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誰より優しく、上手な嘘をつく柔らかい唇は。



陽七が眠った後、徳勝は独り暗い客間にいた。手元を照らす灯より他に、何も見えない真夜中。

「………」

衣擦れの音と共に黙々と手を進める徳勝。着物に、ほの白い菊花の刺繍が浮かび上がった。
ぴた、と指が止まる。静かな呼吸音だけが部屋に響いた。

「………どちら様ですか」

家の外から、土を躙る音がする。糸の繋がったまま着物を置くと、徳勝はゆっくりと立ち上がり玄関に向かった。

「……ひょっとして、お唐さんでしょうか…?」
「…美月屋、さん」

静かに戸を開けると、昼間の着物のままのお唐が青白い顔で徳勝を見上げていた。

「どうなさいましたか、こんな夜分に」
「…あ、の…」

口ごもるお唐に、いつもの気丈な姿は微塵も見られない。薄暗い玄関で、その表情は酷く年老いて見えた。

「……ひとまずお上がりください。外は寒いでしょう、今お茶をお出しします」
「美月屋さん、っ」

反射的に着流しの裾を掴むお唐。徳勝が振り返ると、彼女はその腕の中に半ば倒れるようにもたれ掛かった。

「お茶は、結構です…少し。少しだけ、話を聞いてはいただけませんか」
「………はい。分かりました」



お唐を客間にあげ、灯に火を点ける。幾分か明るさを増した室内で、二人は静かに膝を正していた。

「………今日、の…」

不意に口を開いたお唐は、徳勝と目が合うとまた押し黙った。二人の息遣いだけが妙に大きく聞こえる。

「……吉原の、お話でしょうか」

徳勝が尋ねると、お唐はゆっくりと頷いた。

「………本当は、っ…不安…なん、です」
「…ええ」
「この、まま…私に、あの店が…」




昼間の強い彼女は、まるで別人のようにか細い声で精一杯に言葉を紡いだ。





誰より優しく、上手な嘘をつく柔らかい唇は。





(初めて今、その本音を見せた)

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