和やかな夜の過ごし方
 結局その日、店主さんがフロアへ顔を見せることはなかった。
 店を放って外出してしまったらしい。これにはさすがに「おい」と言いたいところだけど、折原さんが来た直後に出て行ったとなれば話は少し変わってくる。
 それでも、なあ。昼ごろからが一番混むんだと言っていたのは、一体どこの誰だっただろう。

 そして案の定、お昼中頃から夕方までは来客ラッシュが続いた。
 テーブルとカウンターの行ったり来たりで、目の回るような忙しさとはこんなことを言うんだろう。

 その中でも数人変わったお客さんがいた。


「うっわー!クル姉これすっごいおいしい!アパートの近くにこんなお店あるなんて知らなかったよ!近所で安くておいしいとかもの凄く得だよね!お得だよね!お買い得だよね!」
「静(しずかに)」
「あ、そっかそっか!ここお店だからうるさくすると他の人に迷惑だよね!でもこれ本当においしいんだもん!クル姉のやつも味見させて!私のもあげるから!」
「少(ちょっとだけ)」
「んーんーんーやっぱおいしい!あ!今のもしかして間接キス!?クル姉と間接キスしちゃった!?やったぁ!」
「黙(うるさい)」
「ごめんごめん!っていうかあれ!?いつの間にかお店の中私たちだけになっちゃったよ!?」
「警(注意したのに)」
「うっわー店員さんに悪いことしちゃったかも?そこの店員さんホントごめん!うわ!?ちょっとクル姉!あの店員さん私ちょっと好み!」
「惑(こまってるよ)」
「ねねね!そこの店員さん!私たちこれからもちょくちょく来るからよろしくね!いろいろと!」
「謝(すみません)」


 こんな会話を交わしていた、三つ編みの女の子と髪の短い女の子がその筆頭だ。
 片方の子が眼鏡をしていたのでなんとなくぐらいにしか自信がないのだけれど、あのふたりは顔立ちが凄く似ていたから、きっと双子なんだと思う。
 その子たちのいる間、確かに騒がしくはあったが、私自身はしばらくの休憩時間を手に入れた。集客率を考えると、あまり喜べた状況ではないのだけど。
 
 あと変わったお客さんと言えば、


「あの、野崎さんですよね!」


 そんな風に声をかけてきた、いつぞやの男の子だろうか。
 私が折原さんのもとを出ていた時期に出会った、黒沼青葉くん。なんでも引っ越しが終わったらしく、池袋を歩きまわっている最中らしい。
 彼が来たときは丁度来客ラッシュが終わりを迎えていたので、黒沼くんが池袋で見て驚いたものや次はここに行ってみたいという場所について話を聞いていた。
 その表情がとても初々しかったことに彼がもともと幼い顔立ちだったことが加えられて、少し和んだ。年上受けのよさそうだよね、彼は。
 
 黒沼くんが帰って行った辺りで閉店時間が迫ってきたため、軽く片付けをし始める。
 本当は店主さんの指示を待つべきなんだろうけど、その本人がいないのでどうしようもない。
 捺樹くんも賛成してくれたし大丈夫だろう。もっとも彼はただ早く帰りたいだけのようにも見えたけど。

 閉店時間と同時に扉のプレートを裏返して『close』にし、フロア内へ戻ってくるとカウンターの上にケーキを入れる箱が置かれていた。


「それ、今日売れ残ったやつだから持って帰って。もう客には出せねえし」


 厨房へ続く扉からひょいと顔を出した捺樹くんに首を傾げて、


「店主さんに許可とかは」
「必要ないだろ。作ってるの俺だから」
「……まあ、もらえるなら嬉しいけど」


 というわけで、今日はお土産付きの帰宅です。




 ♀♂




「折原さんって、約束を平気で破りますよね」
「約束と規律は破るためにあるらしいよ」
「そんなのは傍迷惑なだけです」


 言い終えてから口の中にモンブランの欠片を刺したフォークをもっていく。
 お店のものを食べるのはこれが初めてになるのだけど、あの三つ編みの子のオーバーともとれるリアクションは間違っていないと思った。
 明日捺樹くんに会ったら、素直に美味しかったと言おう。


「そういえば、店主さんや捺樹くんとはどういう関係なんですか」


 ずっと気になっていたことを口にすると、折原さんはやっぱりとでも言いたげな顔でにこりと笑った。


「簡単に言えば俺は情報屋で店主の篠宮はその依頼人。捺樹君は篠宮を通じて俺を知っているだけで、特に接点はないよ」
「へえ……」
「篠宮がどういう経緯であの店をやってるかとか、気にならない?」
「気になりますけど、それは折原さんから聞くものじゃありませんから」
「そう。まあ、知らなくても問題はないか」


 何故か少し残念そうに折原さんはそう言った。
 店主さんへ愚直に聞いたところで答えてくれるものなのかは分からないけれど、今の私はそういうものも待てるし。
 最後の一欠けらを口に入れて空になった皿の上にフォークを置き、


「あの、折原さん」 


 テーブルの中央に置かれている白い箱を指さした。


「三個貰って、今折原さんとひとつずつ食べたんですけど、最後のひとつどうしましょう」
「欲しいなら食べてもいいよ。別にそこまで好きでもないから」


 そう一見優しげに笑ってから、


「でも、ケーキ二個ってカロリー高そうだよね」


 禁句の言葉を言ってしまった。
 少し前に、コンビニケーキを一晩で十個ほど食べたことがある。で、その日、体重計に乗ってみたら……恐ろしい数字が表示された。
 その日からは今まで無頓着だった食生活を見直している。栄養バランスは考えてるつもりだったけど、カロリーはあまり気にしていなかったから。
 
 そして、そのことを折原さんは知っている。
 今日は頑張ったから食べてもいいかななんて思っていたのに、他の人からそう言われてしまうと食べづらい。
 ……く、


「……折原さん、どうぞ」
「いいの?」
「いいです」
「そこまで気にしなくても、」「早く食べちゃってください」


 目に毒だから。
 男は気にしないかもしれないけど、女ってそういう生き物なんです成長期とか言われても体重が増えるとショックなんです。
 ケーキの箱を折原さんの方へ押して、後ろを向いた。すると背後から少し呆れるようなため息が聞こえ、その数分後。


「食べ終わったから、こっち向いてもいいよ」


 そんな言葉が聞こえたので振り向くと、目の前にフォークを突き出されていた。
 フォーク単体ならぎょっとしただろうけど、先端にケーキのスポンジがあるのでどういう意味なのか、なんとなく把握できた。


「……食べません」
「無理やりどこかに押し込んでいいなら食べなくてもいいけど」


 怖っ。
 表情はそのまま笑顔なものだから、余計に怖い。
 

「じゃあ、食べますから、フォークごとください」
「ここで首を縦に振るほど、空気の読めない男じゃないよ」
「読まなくても全然大丈夫です、むしろ大歓迎です。っていうか、昨日としてること変わらないじゃないですかっ」
「あれよりはまだ微笑ましい光景じゃん。昨日のはなかなか背徳的な画だったし」
「背徳的……」
「じゃあ、扇情的」
「余計に悪いですよ」


 これ以上抵抗したところで、そのうち口に押し込まれるのがオチのような気がしてきた。
 確かに昨日よりはマシと言えばマシなのだし……これぐらい、我慢できるだろう。

 どうにも私の羞恥心やプライドというものは地に落ちてきている気がする。 
    
 一瞬正気に戻ってしまったが、気にしていても話は前に進まない。
 無言でおずおずと口を開くと「ッ!?」ちょ、痛い痛い痛い喉刺さっ「どうかした?」どうかした?じゃない。
 口内からフォークが出て行ったので、恐る恐る飲み込むと喉の内側で鈍痛がした。そして、生理的な涙が浮かぶ。
 ……人間って、案外喉が弱点なんだ。

 対する折原さんは意地悪で悪趣味な笑みを浮かべて、
  

「おいしかった?」
「味なんて分かりません」


 喉を押さえながら当たり前なことを言った。
 せいぜい甘いことぐらいしか分からなかった、おいしいかどうかを感じる間もない。
 

「じゃあもう一口いる?」
「いりませ、ん、ん゛ッ」


 今度こそ本当に口の中へ押し込まれた。けれど、今度は適度なところでフォークがとまり、喉を刺すようなことはなかった。
 未だじりじりと喉は痛んでいるのだけれど、押し込まれたそれがおいしいということはわかる。甘いし、おいしい。
 

「どう?」 


 相変わらずな笑みでそう聞かれて、


「おいしかった、ですけど」


 飲み込んでから、素直にそう答えた。
 もしかして、一回目はわざとやったんじゃ……。
 そんな風に疑ってしまったのだけれど、どこか折原さんの笑みが純粋に楽しそうに見えてしまったので、結局何も言えなかった。

 
「おいしいなら全部食べさせてあげようか」
「いや、それって意味がな、ッん!?」
「口に入れた時の声が可愛いよね」
「……あんまり、嬉しくありませんからねそれ」



 (和やかな夜の過ごし方?)



しばらく休憩時間。   
10.10.07 ST!×3.5 end. To be continued…

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