崩壊フラグが立ちました
「いってきます」
翌朝。
まるで遠足にでも出かける小学生のような心境で折原さんにそう言うと、その人はこちらに背を向けて、はいはいと軽くあしらうように右手を振った。
無言なのが少し気になるところだけれど、折原さんの一挙一動についていちいち考え込んでいては日が暮れてしまうので、ハンドバッグを片手に玄関へ向かうことにした。
いまさら「やっぱり駄目」とか言われても困るし、さっさと行ってしまおう。
……困るというより、それじゃ昨日のあれに何の意味があったのかと怒りたくなるだろうけど。
「ユウキ」
部屋から出て行こうとした時に呼び止められて振り向くと、折原さんが何でもないように笑みを浮かべながら、
「君の店主に宜しく伝えておいて」
意味ありげにそう言った。
♀♂
お店に着いて事前に知らされていた裏口から店内へ入ると、どうやらそこは厨房のようでいろいろな器具や設備が置かれていた。
私が厨房に入ることはないと昨日の電話で知らされているので、手早くそこを通り過ぎ、店主さんのいる店内へ向かおうとした。
のだけれど、
「あんた、野崎さん?」
厨房には白いコックコートを着たバンダナ姿の青年がいた。歳は私と同じぐらいだろうか。
折原さんとは違う雰囲気なのだけれど、あの人に少し似た感じでへらりと軽笑を浮かべている。
それがいかにもさぼりの常習犯というような雰囲気で、昨日の店主さんの言葉に頷けるものがあった。
「そう。もしかして、捺樹くんかな」
「そうそう、遠野捺樹。厨房担当、これからよろしくー」
「こちらこそよろしくー」
とてつもなく、緩い会話だった。
お互い別のことを聞くわけでもなく私は店内へ向かい、彼は戸棚をごそごそと漁り始める。
うん、淡白。まあ、別にいいか。と思えてしまうあたり、相変わらず私の対人スキルは低い。
店内には椅子がテーブルの上に上げらた状態で置かれていた。
きっと店主さんが掃除をしたからだろう。ちなみに、このお店は喫茶店も兼ねているのでテーブルや椅子が置かれているらしい。
私は主に接客をしているようにと昨日から言われていたので、店内の様子を見ていると妙に気合いが入った。
「そういえば、野崎さんって昨日もほぼ無表情だったけど、接客任せて大丈夫?」
制服を渡されつつ、とてもいまさらながら店主さんにそう聞かれた。
眼鏡は新調されているけれど、やはり今日も顔色が悪い。この人の方こそ、大丈夫なんだろうか。
「以前に接客のバイトをしたことがありますから」
「なら大丈夫だね」
ほとんど無条件雇用なところから、本当かどうか分からないことを信用するところまで、この人はお人好しが過ぎると思う。
お人好しというか、人を疑うことを知らなさそうな人だ。
別に私が経歴詐称をしているわけではないのだけれど……大丈夫かな。
そう首を傾げながらも厨房に入ってすぐ脇にある小部屋に入って鍵をかける。そこは所謂スタッフルーム(かな)という場所だった。
制服も特に変わったところのない。スタンダードなパンツスタイル。よしと頷いてから部屋を出ると、店主さんに開店準備を指示された。
さて頑張ろう。
♀♂
平日の、しかも午前中ともなればケーキ屋にお客さんなんて来ないと思っていたのだが、そういうわけでもないらしい。
開店直後という物珍しさもあってか、人の出入りはそれなりに多かった。
何分久しぶりの接客だったので不安もあったが、なんとか大した失敗もせずに現在午後12時過ぎ。一度客足が途絶えたので、休憩時間をもらう。
持参したお昼を速攻で完食してから、あることを思い出した。
「折原臨也さんっていう人から宜しく伝えるよう頼まれたんですけど、知り合いなんですか」
「……おりはらいざや?うーん、聞いたことないなあ」
時間がたつにつれて、少し顔色のよくなってきている店主さんに今朝のことを尋ねると、首を傾げられてしまった。
なんだ、知り合いじゃないのか。
そう思いながらも少し安心して息をつくと、捺樹くんと話があるとかで店主さんは厨房へ行ってしまい、店内は私ひとりとなってしまった。
つくづく従業員が少ない。まあ、大丈夫か。ぼんやり突っ立っているのもどうかと思ったのでテーブルを拭いていると、ドアの開く音がした。
午前中と同じく笑みを形成して「いらっしゃいま、せ」瞬時にそれが崩れる。
「なんだ、ちゃんと働いてたんだ」
「どういう意味ですか」
なんだか言うまでもないような気がするけれど、折原さんだった。
ちょっとどころでなく帰って欲しい。ご帰宅願いたい。
「何の用ですか」
「ひどいなあ、俺一応客だよ?」
「…………わかりました、仕切り直します」
早足でケーキのショーケースへ向かい、午前中は店主さんの定位置だった場所に立った。
一度折原さんから顔をそむけて、笑顔を作り直す。相手は客相手は客折原さんである前に客なんだ。
自己暗示を終えてから振り返り、
「いらっしゃいませ!」
「なにその変わりよう」
折原さんが微妙に引いていた。
私としても若干やりすぎた感が否めない。午前中でもこんなオーバーな接客はしていなかった。
とりあえず、私は早く買うか食べるかをして帰って欲しいだけだ。バイト先に知り合いが来たときのやりにくさったらないのだから。
「その表情どこから出てきたわけ?」
「接客時の通常装備ですが」
「……接客なんて絶対務まらないと思ってたのに」
「そもそも、務まらないものはバイトとして選ばないでしょう。それと早く決めてください」
「いや、別に買いに来たわけじゃないから。食べに来たわけでもないし」
「本当に何の用ですか」
そんなのは客じゃない。
素に戻って眉を潜めると、折原さんは店内を見渡してから、
「店主は?」
「……厨房ですけど」
あまり良い予感のしない笑みを浮かべながら、折原さんが「じゃあ、呼んできて」そんなことを言った。
ここはいないと言った方が、店主さんのためだったかもしれない。
そう答えに迷っていると、背後にある厨房への扉が開いた。
一瞬店主さんかと思って慌てたのだけれど、そこから出てきたのは捺樹くんだった。
よかった。そう安心したのもつかの間で、
「やあ、久しぶりだね。捺樹君」
「どーも」
ふたりのやりとりが予想外すぎたため思わず「え」と声が漏れた。
「篠宮が面貸せって言ってましたよ」
「随分物騒だねえ……まあもとがそういう感じだから仕方ないか」
呆然と疑問符を浮かべている私には何の注釈もなく、
当然のようにショーケースのカウンター内に入り、折原さんは今朝と同じような意味深な笑みをこちらへ向けた。
「じゃあ、仕事頑張ってね。俺も一仕事してくるから」
「一仕事って、」
言い終える前に扉が閉じられた。
「もしかして、折原さんと知り合いなの」
ぼんやりとショーケースにもたれかかっている捺樹くんにそう聞くと、
「一応」
投げやりな返事をもらった。
「店主さんは、折原臨也なんて知らないって言ってたんだけど」
「そりゃ知られたくなかったんじゃねえの?そういうあんたも知り合いだったのか」
「うんまあ。店主さんって、折原さんの顧客だったりするのかな」
「さあ。篠宮本人に聞いてくれよ。それで、あんたは顧客?」
「さあ。っていうか、答える気ないよね捺樹くん」
「あんたもな」
どうも、捺樹くんと会話をするとグダグダな感じになってしまう。
波長があっているようなあっていないような……だって、折原さんとの関係を聞かれても、同居してますとかあまり言いたくないし。
厨房内でどういうことが起こっているのか凄く気になるのだけれど、まさか覗くわけにもいかないのでそのまま捺樹くんとカウンター内でぼんやりしていた。
数分後、店の外で何か話声聞こえてから扉がキィと音をたてて、開いた。お客さんかと思ってそちらに目を向けると、
「…………」
「…………」
「らっしゃーい。野崎さん、接客顔接客顔」
「……おーい、静雄ー」
捺樹くんに声をかけられているのも、交互に向けられるお客――トムさんの視線にも気付いているのだけれど、
とても返答できる状態でも挨拶をできる環境でもなかった。
どうして、こういうタイミングで来てしまうんだろう。
「……数日ぶりです」
「……ああ」
なんで、折原さんがここにいるときに限って来てしまったんですか、
平和島さんっ。
(お店の崩壊フラグが立ちました)
初日、なんだけどな……。
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