ごめん、好きだ
折原さんからセクハラ紛い、いや正真正銘のセクハラを受けて早一年。
今日のものは格別に酷かった。
一度本気で頬を殴ってやるべきなのではと今まで何度も思っているわけだが、一度も実行できた試しがない。
血気盛んだった高校生時代の私であれば、何の躊躇もなくさらりとばちりといけたんだろうけどなあ。
まあ、私は今の私の方がすきなので、戻りたいとは思わないけれど。
「明日からバイト、バイトー」
何度も繰り返し言っていると、ファイトに聞こえた。果てしなくどうでもいい。
寝る前の日課である扉前への家具移動を終えて、ごろりとベットに寝転がり天井を見上げて伸びをする。
バイト、バイトだ。脱引きこもり、社会的にあまりよくない地位から脱出できるわけだ。
この際方法や過程は置いておくとして、折原さんに認めてもらえたことが凄く嬉しい。
これで、堂々と池袋に行けるのか……去年では考えられないことだ。それだけ折原さんの考えも変わっているんだろう。
このまま順調に、対等な関係になれると、嬉しいんだけどな。
完全に対等なものは無理だとしても、それに近いものへなれたのなら、それで十分。
ひとりでぼんやりそんなことを思っていると、携帯から着信音が流れ始めたので、ベッドの脇に置いていたそれを手に取った。
画面には『六条千景』の表記。千景は電話のタイミングを心得ているところが大好きだ。
……いや勘違いしないでほしいのだけれど、別にそういう意味の大好きじゃない。
そういえば、メールはともかく通話は久しぶりだなとボタンを押した。
「もしもし」『もしもーし』
「カメよ」『……』
「カメさんよー」『その流れのらないと駄目?』
「いや、いい。今ちょっとテンション変みたい」『ユウキって、たまにテンションのパラメーターおかしいよな』
「うん、後で恥ずかしくなって後悔する」『へえ』
「たまに仕事場で悪戯仕掛けられるんだけど、いろいろ振り切っちゃってオーバーリアクションした後とか本当にもう……」
『あー、初めてユウキとキ』「んもくせい見たときとか本当にテンションあがるよね」
『スしたときの反応とか、変を通り過ぎて可愛かったけどな』「私のスルーをさらにスルーしないで。それと、そういう話は、あんまりよくないと思う」
『そういう話?』「……付き合ってたときの話を、別れてからするとか」
『ごめん』「そんなに素直に謝られても」
『……なんつーか、俺恰好悪いよなー……』「……いきなりどうしたの」
『お前はもう俺のこと好きじゃないんだろ?』「好きだけど、前みたいな好きじゃない」
『ユウキがそう思ってることは分かってんのに、いつまでもそういうのが離れねえんだよ。女々しすぎるだろ?』
「そういうの、って」『諦め悪く、しつこく食い下がってんの。もしかしたらを信じてるわけ』
「私がもう一回付き合う、とか」『ん』
「…………」『……悪い、話題変えるか』「、うん」
『今日、池袋にいなかった?』「……え」
『ノンたちとたまたま遊びに行ったんだけど、ユウキっぽい後姿を見た気がする』
「、」『でも変な黒い男に手ぇ引かれて歩いてたから、人違いかと思って声かけなかったんだけどさ』
「私じゃないね、うん。私じゃない」『だよなー、ここで頷かれたらさすがに笑ってらんねー』
「……ところで、最近はメールが多かったけど、何かあったの」『ああ、ほら。ユウキ、この間風邪引いたとかいってたじゃん』
「うん」『風邪って喉にくると、すぐに直らないだろ?』
「人によるんじゃないかな。私は確かに喉にきやすいけど」『前にお前がそう言ってたから、電話はやめておこうかと思って』
「……ちょっと、千景の優しさに感動した」『惚れ直した?』「友達としてー」『マジかー』
「でも、もう全快したから」『みたいだな。ユウキって、風邪引こうが熱でようが家でおとなしく寝ないタイプだから心配してたんだよ』
「それは、まあ、その、諸事情っていうのが……というより、だからあんなにおとなしく寝てるようにメールくれたんだね」
『そうそう』「……同じことをさ、年上の人たち3人から言われてるんだけど……私、本当に千景より年上かな。たまに自信ない」
『んー、俺はユウキが歳とか関係なく喋ってくれるのが一番嬉しいけど』「……まあ、私だって千景との歳の差はあんまり気にしてないけどさ」
『じゃあ、別にどうでもいいんじゃねえの』「だね」
『そういや……いつだったか、お前に変わってないって言っただろ。あれ取り消す』「なんで」
『別に悪い意味じゃねえんだけど、少し変わった』「……そっか」
『どこが?とか聞かないんだ』「自覚してるから。それに、少しでも変われてよかった」
『昔のは嫌い?』「嫌いじゃないけど、今の方がいい」
『俺はそれでも好きだったよ』「私も千景といるときの自分は好きだったよ」
『俺なんて今でもお前のこと好きだから』「私なんて今は、」『まった、それ以上言われると心が折れる』「……」
『……駄目だ。たまにこういう話し出すと止まんねー……』「……今日は、もう遅いっていうのもあるし、お互い寝よう」
『そうするか……変なことばっか言って、悪い』「いや、千景が謝ることじゃないから。私だって、曖昧だったし」
『俺にとってはすっぱり振られるよりマシだったよ、結果オーライってやつ』「そう、かな」
『そ。じゃあ、おやすみ』「うん、おやすみ」
通話の切れた携帯をしばらく耳にあてたまま硬直して、小さく息を吐いた。
言うべきことはたくさんある。話すべきことがたくさんある。もう言わなくちゃと決めたばかりなのに、言えない自分が嫌だった。
千景、
ごめん、好きだった。
(ごめん、好きだ)
ひとつの恋/故意の、作られたバッドエンドの在り方。
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