不安定なバイト先


 できるだけお互い納得してから出て行きたかったのだけれど、世の中そう上手くはいかないらしい。
 特に相手は折原さんだから、なおさらそういうやりとりが難しいのだ。何気に頑固な人だからなあ……頑固というか、わがままか。
 まあ、私だってわがままを通しているところがある。でも、折原さんよりは、まだ、うん。というわけで、自己正当化を完了させてひとつ頷く。
 
 事前に調べておいた現在池袋でアルバイト募集をしている店のリストを見ながら、まずはどうしようかなと立ち止まった。
 とりあえず、電話で受け付けてもらえるところは後回しにして、一通り店自体を見に行こう。
 ちなみに新宿をアルバイト先として選ばなかったのは、こうでもしないと池袋に来る機会が本当に減るから。
 折原さんはしばらく来る気がないらしいし。

 ……折原さんか……本当にどうやって納得させればいいんだろう。

 そうため息をついて、そろそろ一件目を見に行こうとした時、ふと真横に貼ってある大きなポスターに気がついた。
 内容はアルバイトの急募。応募期間は今日からとなっている(締め切りは人数が揃い次第と書かれていた。凄くアバウト)。
 応募条件は満たしているし、仕事内容も専門的なものではない。時給もそこそこ。なにより、ケーキ屋だった。思わず右手をぐっと握ってしまった。
 わかってる、わかってる。客で来るのと働くために来るのは違うってことぐらい。でも、するなら好きなものに囲まれて働きたいと思うだろう普通。
 本好きな人は図書館で働きたいと思うし、野球が好きだから世の少年たちは野球選手になりたいと思うんだ。
 少し話が飛躍したような気もするけど、そんな理由でリストには載っていなかったその店を最初に訪れることにした。

 ポスターの貼ってある店自体がそうなので、効率も良い。それに、電話ではなく直接店員へ声をかけるようにと書かれていたことだし。
 気分良くいかにも新しい木製のドアを目指して歩き出そうとした時、丁度男女一組がその店へはいって行った。
 ドアにはOPENのプレートがかかっているので、多分お客さんだろう。私も入ろうかなと歩き出した瞬間に、また扉が開いて、さっきの人たちが早足で出て行った。

 …………なんなの。

 表情は見えなかったけれど、急いでいたのは確かだ。逃げるような雰囲気でもあった。
 店に入ればややこしいことになることが分かり切っていたが、気になってしまい恐る恐る店内を覗いてみると、


「…………え」

 中で、人が倒れていた。
 いかにも店員といった雰囲気の格好をした長身の男が、中に置かれているテーブルの隙間でうつ伏せに。
 救急車でも、呼ぶべきかな……その前に意識の確認か。今までにこれを上回る光景を何度も見ているので、今回は冷静だった。
 慣れって怖い。

 とりあえず店のプレートをCLOSEにして(さすがにこの状態で開店は無理だろう)、真新しい店内に入り静かにその人のもとにしゃがみ込む。


「あの、大丈夫ですか」


 耳元で少し大きめにそう呼びかけると、投げ出されていた右手の指がぴくりと動いた。
 よかった……最悪の死んでいるパターンではなかったらしい。
 数回うめき声のようなものを聞いてから、その人が膝をついて起き上がろうとしたのでもう一度「大丈夫ですか」と声をかけた。


「あんまり大丈夫じゃないかな……」
「でしょうね。救急車を呼んだ方がいいですか」
「いや、それはいい。多分、ただの貧血だから」


 そこまで会話を交わしたあたりで、ようやくその人が顔を上げた。かけている眼鏡にヒビが入っていた、危ない。


「眼鏡、危なくないですか」
「ああ。スペアがあるから、あとで取り換えるよ」
「そうですか……」


 少しは気分がマシになったのか、弱弱しくその人は笑った。いや、全然マシになってないな。顔が青白い。


「他の店員さんを呼んだ方が……」
「いや、それが困ったことに、今日は僕しかいないんだ」
「そうなんですか、それは、……それは本当に困りましたね」


 店長はどこだ店長は。
 こんなふらふらした人に仕事一任するなんて、あんまりだ。あの折原さんでも風邪を引いたときは、それなりに優しくしてくれたのに(多分)。 
 いくらケーキ屋さんでもこんな無茶苦茶な職場は遠慮願いたい。


「ところで、君はお客さんかい?」


 少し不安げにそう聞かれて思わず、


「いえ、表のポスターを見て、」「つまりアルバイト志願者!?」「……は、い」


 今までの弱弱しさ加減はどこへ消えたのか、溢れんばかりの笑顔でそう言われた。
 どう見ても年上に見えるのだけれど(20代後半っぽい)、反応が子供みたいだ。
 急に活き活きとしだしたその人は、ひび割れた眼鏡を押し上げて、しきりなおすように咳払いをした。


「情けないところを見せて申し訳ないね。僕は店主の篠宮陽一」
「……店主、さんですか」


 思わず店長、店主を探してしまった過去の私、正解はこの人らしいよ。
 本当に大丈夫なのかなこの店。
 

「君の名前は?」
「野崎ユウキです」
「じゃあ、野崎さん。明日からよろしくね」
「あ、はい……じゃない。明日からよろしく、ですか」
「え?だって、アルバイトしてくれるんだよね?」
「え、」
「え?」

 
 お互いに「え」と呟きあって、意思疎通を図ろうとしたが無理に決まっている。
 だって、おかしいじゃないか。面接も履歴書の提示もなしに明日からなんて……。


「ええと、とりあえず連絡先だけ教えてもらえる?」
「だけって、電話番号だけでいいんですか」
「メールアドレスも聞いた方がいい?」
「…………」


 駄目だ会話がかみ合ってない。
 しかも本人に悪気は一切ないようなので、断りにくい。


「あの、他に働いている人は……」
「厨房担当の捺樹君っていう子がいるんだけどね、今日は仕込みだけして帰っちゃったんだよねー」


 気まぐれで困るよあははーと、店主さんはのんびり笑った。
 私は笑えなかった。


「他、には」
「彼だけだよ?」


 つまり、私がアルバイトを拒否してしまうとこの店は新しいアルバイト志願者がくるまで、
 このふらふらした店主さんと別の意味でふらふらした捺樹くんとやらのふたりだけになるわけか。

 ……一週間もつのかな、それ。
 
 まあ、この店がつぶれようと私には何の被害もないんだけど……ないんだけどなあ……。


 
 ♀♂



「じゃあ、夜の8時頃に電話させてもらうねー」
「よろしくお願いします」


 あれ、私ってこんなにお人好しだったっけ。
 気が付くとアルバイトに承諾してしまって、詳しいことは電話で伝えるからーあと書類とかもまた後日よろしくーと言われ、店を出てきていた。
 いろいろとおかしい。つっこみどころ満載でどこからつっこめばいいのかわからない。
 でも、やると言ったからにはやらなくてはいけない。ああ、うん、頑張ろう。

 それでも自然にため息は出てくるのもので、さて折原さんに何て言おうかと思案していると、


「ユウキ、」


 名前を呼ばれると同時に背後から肩を掴まれ、


「みーつけた」


 振り返ると恐ろしく笑顔な折原さんがそこにいた。



 (不安定なバイト先)


 
 考える時間をください。

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