病室に火種

 扉の前で座り込んでいる私を、黒髪の女の子が驚いたような顔で見つめていた。
 何か言わないと。そう思ってはいるのだけれど、何故か口が開かない。


「あの、もしかして、正臣の知り合いの人ですか?」
「……そう、だけど」


 立ち上がりながら少し迷ってそう答えた。何で知ってるんだろう。
 そんな私の疑問に気付いたのか、女の子は微かに笑みを浮かべながら言った。


「正臣から聞いたことがあるんです。一年前ぐらいに、昔の幼馴染みのお姉さんが池袋に来たって」
「どうして、それが私だって……」
「そこの窓から、病院を出て行く人はみんな見えるんですよ」


 彼女の目線の先にある窓からは、確かに病院の出口が見えていた。
 

「ユウキさん、でしたっけ?ユウキさんが誰かのお見舞いから帰って行くのを、正臣と見てたことがあるんです」
「なるほど」


 彼女の言っていることに矛盾している部分はなかった。
 だから、素直にその言葉を信じてもよかった……けど、何か引っかかった。おかしいような気がした。
 その気が勘違いだといいのに。

 ともかく、まずはしばらくここにいさせてもらわないと。


「あの、突然で悪いんだけど、10分ぐらいここにいさせてもらってもいいかな。子供の鬼ごっこに付き合わされて」


 鬼ごっこ以外は嘘だ。
 しかし、彼女は微笑を浮かべながら静かに頷いた。


「いいですよ。子供とか、好きなんですか?」
「いや、巻き込まれただけで、好きでも嫌いでもないかな」


 持っていた小さな鞄を拾い上げて、女の子の近くへと移動する。
 すると、完全に開かれたカーテンが少し揺れていた。


「そこの椅子、使ってもらっても構わないので」
「ええと、ありがとう。そういえば、名前は」
「三ヶ島沙樹です」
「沙樹ちゃんか……正臣くんの、彼女さんかな」
「今は違うんですけど、そうなれたらいいなって」

 
 沙樹ちゃんはそう言うと、少し首を傾げて微笑んだ。
 さすがに初対面の子に彼女ですか、なんて言うべきじゃなかったかもしれない。せいぜい友達かな、で止めておけば良かった。
 自分の無遠慮っぷりに少し呆れて鞄の中からいくつか取り出す。


「リンゴ、食べられるかな」
「食べられますよ」
「良かった。なら、匿ってもらっているお礼」


 ベッドの横に備え付けられている机に紙皿を置いて、3つ持ってきたリンゴのうち1つの皮を剥いて切り分けた。
 ここ数日同じことを何度もしているので、見栄えが少し上がったような気がする。


「どうぞ」
「ありがとうございます。でも、さっき朝ご飯を食べたばっかりで」
「そっか。じゃあ、冷蔵庫に入れておくね。変色するといけないから、早い内に食べた方がいいかも」
「お昼の後に、食べるようにします」


 そう言いながら、沙樹ちゃんはずっと小さく笑っていた。
 この病棟にいるってことは、外科関係なんだから怪我が原因なんだろう……でも、外見はどこも悪いように見えなかった。
 見えないだけだろうが、なんだか気になってしまった。

 大丈夫なのかなと思いつつリンゴの後始末をしていると、


「あの、また来てもらえませんか?」


 沙樹ちゃんがそう言ったのが聞こえた。
 少し驚いて顔をあげると、やはり彼女は微笑んでいた。間を空けてから「いいよー」そう頷く。


「次はリンゴうさぎに挑戦してみるね」
「待ってます」


 入院なんて心細いだろうし、話し相手が欲しいのかもしれない。
 そんな予想に納得して、私はまたここに来ることを決めた。







 ♀♂






 ユウキが沙樹の病室から立ち去った数分後。


「やあ、さっき珍しい見舞客が来なかった?」


 一定調子の笑みを浮かべながら、その男――折原臨也は沙樹の病室を訪れた。
 臨也の姿を見て、沙樹は先程までとはまた違う笑みを浮かべて口を開く。


「野崎ユウキさん。臨也さんの言うとおり、ここに来ましたよ」


 その言葉は尊敬と確信で満ちていた。やっぱり、この人の言うことに間違いはないんだ。
 普通なら、ただの偶然で済まされる出来事でも、彼女からしてみれば全て"臨也の言うとおり"になってしまう。
 そんな一種の信仰に近いものを抱きながら彼女は言葉を続けた。


「言われたように、臨也さんのことは言いませんでした。正臣のことだって」
「うん、全部正臣君から聞いたことにしてくれたよね」
「また来て欲しいことも伝えました」
「そう。ありがとう、ご苦労様」


 一見優しげに微笑んだ臨也へ、沙樹は嬉しそうに目を細めた。
 

「それで、次にユウキが来たときなんだけどね、」




 (病室に火種)




捕まえようと思えば、いつだって捕まえられる。  


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