制止するもの、曲げられないもの

 誰かに心配して貰わないためには、心配されるような状況を作り出さないことが得策といえる。
 他にはその「誰か」自体をなくしてしまう、つまり誰とも関わらないという極端な策もあるけれど、私自身に実行できるとは思わない。
 例えば、大丈夫でなくても大丈夫なように振る舞えば(ただしこれにも加減があるため、その調節が難しい)、相手は安心して心配も少しは軽減されるだろう。
 そう言えば聞こえは良いかも知れないが、要は騙しているだけなので何も褒められるべき所はない。所謂ホワイトライと呼ばれる部類の物とも違うのだ。
 特に私の場合、善意だとか良心だとか、そういうものからきた理由で、こんな風に振舞っているわけではないのだから。


「さすがの私も、あのときばっかりは血の気が引いたね……、本当に。遠くから見たら、生きてるのか死んでるのかも分かんないし……」
「狩沢さん。さすがに本人の前で死亡の可能性を話すのは、やめたほうがいいっすよ」
「……何と言いますか、本当にご迷惑をおかけしました」


 昼過ぎのことだった。
 狩沢さんと遊馬崎が、揃ってお見舞いに来てくれた。
 捺樹くんの話から大体予想付いていたことだけれど、狩沢さんは私が急に電話に出なくなった、
 というより携帯を取り落としたような衝撃音と沈黙(悲鳴などは聞こえなかったらしい)を不審に思って、わざわざ私の居場所を探してくれたそうだ。
 その場には門田さんと遊馬崎さんもいたらしく、とりあえず私と関わりのある人へ、片っ端から電話をかけようという話しになりかけたのだとか。
 しかし、その電話をする前に通りを歩いていたクルリちゃんとマイルちゃん(恐らく帰宅途中)を見つけたお陰で、そうはならなかったらしい。
 二人から話しを聞き終えた後、すぐにアパートまでやってくると丁度平和島さんと鉢合わせをして、慌てて救急車を呼び、そのまま一晩病院にいてくれた、らしい。

 明らかに私は日を重ねるごと、頭の上がらない人を増やしている。まあ、それが普通だと思うけれど。
 誰にも世話にならず、恩を感じない生活なんて、はっきり言ってしまえば異常だ。
 そして自分自身がその普通の枠組みの中にいられることに対し、感謝や嬉しさを感じつつ小さく頷いた。
 

「ユウキちゃんさ、これからはもう、階段上りながら電話するのやめた方がいいよ。ドジっ娘が自分のドジで大怪我するなんて、萌える余裕ないから」


 この狩沢さんの言葉通り(ドジっ娘以外)、そして捺樹くんの言った通り、私は自分の不注意で階段から転がり落ちたということになっている。
 頭の怪我もそのときにしてしまったものだと、医者に説明されたそうなのだが……。ここで医者という立場の人間が嘘を交えている辺り、本格的に捺樹くんの正体が不気味だ。
 

「でも、思ったより深刻そうな怪我じゃなくて、よかったっす」


 どことなく安心したような口ぶりでそう言う遊馬崎さんに、狩沢さんも「だねー」と頷いていた。
 確かに頭から血を流すほどの階段からの落下にしては(私から見れば背中から放り落とされたにしては)、マシと言える怪我だろう。
 ただ、それでもこうして起き上がって話すのは辛い。
 明日以降のことを考えれば、こうしている方が説得力あるとは分かっているけれど、気を抜けばすぐにでも苦い表情が露見してしまいそうだった。
 
 
「そういえば、門田さんはどうされたんですか」


 今回のことで、お礼を言おうと思って。
 一応嘘ではない言葉を口にすると、狩沢さんは「それがさー」と少し不満そうな表情を浮かべた。


「仕事が入ったから行けないってメールがきたんだよね。昨日は、今日何もないみたいなこと言ってたのに」
「だから気にしすぎっすよ、狩沢さん。急な仕事かもしれないって言ってるじゃないっすか」
「でも、何か腑に落ちないっていうか……」
「それならそれで、門田さんなりに考えがあるんすよ。きっと」
「あー、それもそうか」


 そう言って、あっさりと納得したように言う狩沢さん。門田さんを信頼している証拠だろう。
 正直に言ってしまえば門田さんにはお礼以外にも言いたいことがあった。だから、来ないという言葉に少しがっかりしたけれど、どうしてもという話しでもないので、諦めるほかなさそうだ。
 それから三十分ばかり取りとめもない話をして(昨日電話をかけた理由だとか)、定時の検診を機に二人はまた来るからと言って帰って行った。
 ただ、帰り際に狩沢さんが、クルリちゃんとマイルちゃんが夕方頃に来るかもしれないと言っていたのがやや気にかかる。
 二人は私の見舞いよりも、折原さんの方へ行った方がいいんじゃないだろうか……。まだ知らないという可能性も、なくはないけれど。

 なんだかんだ言っているうちに検診も終わり、少し疲れしまったためベッドの上でうつらうつらとしていると、病室をノックする音が聞こえた。
 時計を見れば、現在午後3時過ぎ。平和島さんやクルリちゃんマイルちゃんの来る時間帯ではない。看護師の人達なら、すぐに「失礼しますね」と言って入室してくる。
 さすがに昨日の今日で何の警戒も無しに「どうぞ」と言えるわけもなく、誰が来たのだろうと訝しく思った。

 そんな具合に、しばらく無言のまま様子を伺っていると、扉の向こうから知った声が聞こえてきた。
 また、その人が名乗った名前も声と一致するものだったので、私は今度こそ「どうぞ」と言った。


「昨晩は、本当にすみませんでした」


 あと、救急車を呼んでくださって、ありがとうございました。
 そうとりあえずは狩沢さん達へ言ったように言ってみると、その人は難しい顔のまま「ああ……」と頷いた。
 良い顔をされるとは元から思っていない。この人――門田さんから見れば、今回の出来事は不可解以外の何物でもないのだから。
 
 まあ、捺樹くんがどこまで話したかと言う程度にもよるけれど。
 
 そうしてベッドで横になったまま門田さんの言葉を待つ事、数十秒。その人は思案顔で口を開いた。


「昼過ぎに狩沢達から、容態は良さそうなことを聞いたんだが……」


 とてもそんな風には見えないと暗意に言われているようだった。
 そこで初めて自分の気が緩んでいた事に気付いたが、門田さんは私が誰かに襲われた事を知っている上、口も堅そうなので、まあいいかとあっさり諦めがついてしまった。
 事の裏側を知っていて、なおかつ近くも遠くもない関係。そして門田さんの人柄も相まって、私は「あまり良くありません」と比較的素直に口を割った。


「狩沢さんや遊馬崎さんが来たからというわけではないんですけど、今私が言った事。これも、他言無用にしてもらえたら助かります」
「知られて困る内容でもねぇだろ。そこまで隠そうとする意味が分からねぇな」


 なら、分かってもらえなくても構いません。と、そんなことはもちろん口には出さないし、何より思ってもいない言葉だ。
 助けてもらった分、すぐに何を返せるわけでもないし、話せる事は話そうと思う。それに、場合によっては協力を仰げるかもしれない。
 ほぼ誰にも心配をかけずに、私がやりたいこと、しなくてはいけないことをやるための協力――つまるところ、我儘に近い物があるけれど。
 それがひと段落ついたら、絶対にお礼はしないとなあと思いつつ、私は順を追って説明することにした。


「唐突なんですが、私は今日中にここを出るつもりでいます」
「……臨也のところにでも行くつもりか?」


 眉を潜めてそう言った門田さんに、少しばかり私は驚いた。


「どうして分かったんですか」


 そう尋ねると、門田さんは今朝折原さんが刺された事をニュースで見たんだと答えた。


「紀田のときも、自分の身体壊してまで会いに行こうとしたらしいじゃねぇか。そういう奴は大抵、どれだけ痛い目を見ても同じ事を繰り返すもんだ」
「……お見通しって感じですね」
「別に、見通してるなんて大層なもんじゃねーよ。ただ単に、勘が当たっただけだ」


 そう言って、門田さんは厳しい顔で言葉を続ける。


「どれにしたって、あんたがここを出るってのを聞いちまった手前、黙ってそれを見過ごすわけにはいかねぇ。
 あんた、狩沢達がどれだけ心配したのか分かってるか?それをなかったことにして黙って出て行くつーのは、褒められた話じゃねぇな」
「それは自覚してます」


 門田さんに言われるとは思っていなかったけれど。
 むしろ、門田さんに言われてしまったというのが、若干ショックでもあるけれど。
 しかし、だからと言って納得できるようなものでもない。それこそ黙って「そうですね。じゃあ、やめます」と言えるようなものではない。
 そして、頷けないなら頷けない理由を、私も話すべきだろう。
 

「だから、私なりにこれ以上心配をかけないようにしたつもりです。つもりになっているだけかもしれませんけど、それでも自分にとって重要な人が刺されたと聞いて何もしなければ、私は確実に後悔します。私の中にも優先順位はあるんですよ、誰だってそうじゃないですか。みんなを一番になんか、できるわけありません。もちろん門田さんの話もよくわかりますし、どれだけ自分が身勝手かも知ってます。これ以上ないくらいに、思い知ってます。だからこそ、後悔しないために、私は私の中で、一番重要な事を優先させます」


 それをしなかったから、曖昧なところで立ち止まってしまったから、取り返しのつかない事になってしまったのだ。
 もうあんな思いはしたくない。だから、手遅れになる前に私は折原さんに会いに行く。
 何が手遅れになるかなんて、誰にもわからない物だけれど――それでも、やらなくて後悔するというのは、やって後悔をするよりも、苦しいと思うのだ。
 というよりも、私自身が苦しかった。「もう何もしない」ことを選んでしまった自分自身が、憎くて仕方がなかった。
 少しでも会いたいと、話したいと思ったなら、そのときに話しておいた方が、会っておいた方が絶対に良い。良いに決まってる。

 だから、折原さんに会いに行きたいのなら、私は行動しなくてはいけない。


「それに、しばらく経ったら帰ってきます。期間は分かりませんけど、帰ってくる事だけは確かです。夜中にこっそり抜け出すわけでもありませんし、病院の許可も得てから出て行きますから」


 主に捺樹くん経由で。
 謎だ不気味だと言いつつちゃっかり便乗している辺り、どうとも言えないものがあるけれど、今はあらゆる意味で例外的状況なのだ。
 ありがたく協力してもらう他ない。

 私のやや長い言葉に口を挟まずにいてくれた門田さんは、しばらく考えるように目を伏せた後、


「あんたの言い分は分かった」


 そう言って、未だ難しい表情のまま話を続けた。


「でもな。どう見たって臨也のいる場所に辿りつける身体じゃねぇよ、そりゃあ」
「大丈夫です。やせ我慢をするのも、体調を悪化させるのも、無鉄砲なのも慣れてるので。あと、ここまでの長台詞を言える時点で、そこそこ回復の兆しは見えています」
「それは起き上がって喋れもしない奴が言う言葉じゃねぇ」
「今は体力温存してるだけですよ、出て行く前に疲れていたら話にならないじゃないですか」
「辿りつく前にぶっ倒れても話にならねーよ」
「ぶっ倒れるまでの過剰運動なんてしませんし、移動中は寝ているつもりなので大丈夫です」


 と、同じような問答をこの後も数回繰り返し、いくら横になっている体勢とはいえ疲れたなと思い始めた頃、


「……諦める気はないらしいな」


 いっそ呆れたように、門田さんは小さく息を吐いた。
 この人がこれだけやめておけと言っているのだから、本当にやめた方がいいんだろう。
 しかし、前言撤回の見込みはこれっぽっちもない。

 そんな私の思いに気付いたのか気づいていないのか、門田さんは厳しい口調で、


「そこまで言うなら、自分の行動には責任を持てよ」


 あんたも一応大人だろ。
 
 一応、という部分に自分がどういう目で見られているのか、すぐに分かってしまった。
 けれど、それは至極もっともなことで、当たり前なことだ。最低ラインとも言える。

 そうして千景との一件にから、いい加減に前へ進まなくてはいけないと考えたことを思い出し、


「もちろんです」


 と頷いた。



 (制止するもの、曲げられないもの)


   
 あと数時間。


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