たとえ何も知らないとしても


 捺樹くんが出て行った後、ほとんど間髪入れずに医者や看護師の人たちが病室に入ってきた。
 その中の半分以上の人たちが怪訝そうな面持ちで、どこか探るような目つきだと感じたのは、私の気のせいだろうか。
 きっとしなくても、捺樹くんの所為だろう。ただの一般人が意識のない怪我人の部屋に、入れるわけがないのだし。

 あえて何も聞きはしなかったが、彼の正体はつくづく不明だ。
 
 そんな事を考えながら検診を受け、また昼に来ると言った最後の看護師さんが部屋を出て行くのを見届ける。と同時に、息を吐いた。

 背中や腰や肩など、一部分だけで着地をしてしまったということはなかったらしく、どちらかと言えば体中をまんべんなく打撲しているのだとか。
 確認した右脚や左右のすねの色には若干引いてしまった上、右足首は腫れているし、両肩・背骨・尾てい骨の痛みも酷いはずだそうだ。
 そうだ、というより実際痛い。だから、自覚していると言えばしている。
 切られた腕や脇腹については、浅い傷なので跡も派手に残ることはないらしい。

 ちなみに、頭を殴られた事に関しては、妙に歯切れの悪い口調で出血の割に大した怪我ではないと言われている。
 頭部は太い血管が多くある場所なので、ちょっとした怪我でも出血の量が多くなるのだとか。
 とりあえず確信したことは、捺樹くんがかなり裏にまで手を回していそうだということだ。

 そこでひとつ疑問なのが、あの位置から後ろを向いた体勢で放り投げられたにも関わらず、この程度の怪我で済んでいることだった。
 体が宙に浮いた後の記憶はないので本当の事は何も分からない。
 
 そんな思ったよりも軽い怪我の入院期間は、三週間程度だそうだ。
 何というか、具体的な数字を聞くと案外大丈夫なんじゃないかと思ってしまう。
 今下手に体を動かすのは良くないらしいが、数日すればそれもマシにはなると聞いている所為でもあるだろう。
 それに、だてに私は4ヶ月入院を経験していない。少しも自慢にはならないが、それに比べればなんのという話である。
 
 ……うーん、二週間か。

 真っ白な天井を見上げながら、布団の外に出ている自分の左手を見つめる。
 医者に言われたとおり体の節々が痛むし、やっぱり当分は腕を動かすのも不自由そうだ。


「……まあ、何とかな、」


 るでしょう。と言いかけた言葉は、凄まじい引き戸の開閉音でかき消された。
 メキッという、具体的に言えばコンクリートの砕けるような音も聞こえ、私は天井に向けていた視線を病室の扉へ向ける。
 
 金髪にバーテン服、ただしサングラスは掛けていない見知った人が、そこに立っていた。

 何かを心底我慢しているような、一見するともの凄く怒っているような表情を浮かべていた。
 ふと罪歌に襲われたことを言わなかった時の出来事を思い出して、
 今回も階段を踏み外したことに対し(そう門田さん以外には伝わっているらしいので)、何やってるんだと言われるのかもしれない――と、そう考える。

 しかし。

 その予想は、少しも当たってはいなかった。



 ♀♂



 十数分前 来良総合病院 屋上



「悪かったね、関係ないあんたまで巻き込んじまって」


 へらへらと軽薄な笑みを浮かべながら現れた青年に、静雄は大きく顔をしかめた。
 ただでさえじっとユウキの病室の前で待っている事が出来ず、昨晩合流した門田達とも離れてここに来てしまったのだ。
 すぐさま目の前の彼に掴みかからなかっただけ、まだ自制していると言えるだろう。
 だが、この非常時に無神経な表情を浮かべていることもさることながら、関係ないという言葉には苛立ちは募った。
 
 事実、何故ユウキがあんな形で殺されかけたのかは知らない。
 きっとその原因にも過程にも、自分は関わっていないに違いない――関係がないと言われればそれまでの話だ。

 しかし、だからといって事に首を突っ込まないほど、物わかりの良い人間でもない。


「……やりやがったのは、どこのどいつだ」
「言えるかよ。あんた、そいつのこと殺しかねない顔してるぜ」


 やや呆れたような口調で、頭に包帯を巻いている青年はそう言った。


「つーことは、一応知ってるわけか……」


 それはそうだろう。
 昨日の電話の内容からして、ユウキがああなることはあらかじめ知っていたとしか思えない。
 それなら、目の前にいる男は『関係のある』人間だ。事の詳細も知っているだろう。

 ――そもそも、こいつはどうして俺の電話番号を知ってたんだ?

 そう疑問に思うところもあるが、今言及するのはやめた。


「ああ、知ってるよ。俺の頭やりやがったのもそいつだからな。つーより、あんた帰らなくていいのか?今日も仕事だろ」
「あいつが目ぇ覚ますまでは帰らねぇ」


 ユウキが病院に運ばれてから今のこのときまで、静雄は帰るどころか一睡もしていない。
 仮に今日仕事へ向かったとしても、頭にこびり付いて離れない血を流すユウキの姿ばかりを思い出して、不祥事を起こす回数が増えるだけだ。
 それなら、今はこうしているのが一番だと静雄は考えた。

 きっとしなくても、その待っている時間の中、自分は何もできない。
 しかし額から血を流してぴくりとも動かない彼女が、また瞼を開けて口を開いてくれるまでは、ここを離れたくはなかった。
 

「……本当に、あいつは選択肢間違ってるよな」


 そうため息交じりに呟いた青年は、すっと屋上の出口を指さし、  
 
  
「野崎なら、もう起きて喋れるようになってる」


 平然とそう言った。

 
「……本当か?」


 昨日の様子からもっと時間がかかるだろうと考えていたため、静雄は疑心と期待の入り混じった声でそう尋ねた。
 もしそれが本当なら、今すぐにでもこの場から駆け出していくところだ。
 いくら命に別状はないと言われても、意識がないというだけで最悪の考えに辿り着いてしまうのだから、その不安が晴れるなら1秒でも早く彼女の顔が見たい。

 静雄のそんな様子に、青年は少し驚いたような顔をして「やりづれぇ……」と呟いた後、


「こんなとこで嘘吐くかよ。あんたがここにいた間に検診も終わったし、もう大丈夫だって理由で、一旦門田と連れの連中にもお引き取り願ったんだ」


 行くならさっさと行けよとでも言いたげな表情で、青年は道を空けるように横へ一歩退いた。

 そんな彼に静雄は何を言うでもなく、屋上から飛び出して行く。
 見つけたエレベーターを待つことも出来ず階段を駆け下り、数十分前に来た道を引き返して、彼女の名前が書かれている病室のプレートを探す。
 そして、すぐに見つかったその病室に手を掛け、力加減も忘れて引き戸を引いた。

 個室のベッドの周りのカーテンは、全て開ききっていた。 
 
 扉の音に驚いたのか、それとも突然の入室者に驚いたのか、頭に真っ白な包帯を巻かれた彼女は目を見開いている。

 その様子を見て何とも言えない物が込み上げたが、奥歯を噛みしめて必死で耐えた。
 そうしてベッドで横になっている彼女の元に歩み寄り、ただ無言で彼女を見つめる。

 言いたいことは山ほどあった。
 しかし、何を言えばいいのかは分からず、ふと視界に入った掛け布団からはみ出た彼女の手を触れる。
 包帯を巻かれているわけではないので大丈夫だとは思うが、それでもほとんど力を入れずに、重ねるような形で彼女の手を握る。
 昨日の彼女を連れて逃亡したときに掴んだそれよりも、少し温かいように感じた。


「……ごめんなさい」


 ふと聞こえたユウキの声に顔を上げる。
 すると、彼女は何か酷く後悔しているような顔をしていた。

 
「心配させてしまって、ごめんなさい……」
「……お前に謝られんのは嫌いだって、ずっと言ってんだろ」


 それに、ただ心配をかけたからという理由で謝っているようには見えなかった。
 本当は何を思ってそんな事を言ったのか、気にならないと言えばそれは嘘になる。
 

「でも……」


 今は彼女の声を聞けたことだけで、十分だった。



 (たとえ何も知らないとしても)



 「報われねぇなぁ……」

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あきゅろす。
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