偽装ハッピーエンド
動揺するだろうユウキを抱きしめる役割は、六条千景へ明け渡そう。
それだけが彼女たちに対する、臨也の最大譲歩だった。
自分さえいなければ結ばれていただろう二人と、二人の幸せを願って死んだ少女に対する、せめてもの罪滅ぼしだ。
――というのは、どうしようもない嘘である。
所詮、臨也の感じているものは罪悪感などではなく、ユウキが自分の元を去りはしないだろうかという不安だけなのだ。
その不安を取り除くために、出来るだけ事実を知られず、今抱えているリスクを減らす必要があった。
文瀬はいずれ、何も仕掛けてこないユウキを不審に思い、接触を試みるだろう。
そうして、自分が臼谷桃里を殺したと言うに決まっている。
それもできる限り避けたい出来事ではあるが、臨也自身に降りかかる疑惑だけで言うなら、大した心配事ではない。
彼女に対して最も危惧すべきこと――それはユウキが臨也といることで不幸にはならないと知った文瀬が、臨也は桃里の自殺に大きく関わっていると暴露することだった。
あれだけユウキを貶めることに執着しているのだ。それぐらいのことは、平然とやってのけるに違いない。
だから、そのときまでに、何としてでもユウキの信用を確固たる物にしなければならないのだ。
文瀬の言葉など聞き入れないほどに、信用してもらわなければならない。
そのために、多少の譲歩が必要不可欠なのである。
悪い意味での束縛を気付かれてはいけない。他者との接触をかき乱してはいけない。ある程度、自由にしてあげなければいけない。
それが今回で言う、六条千景との接触だった。
ユウキからしてみれば、彼以上に接触を許されて喜ぶ人間はいないだろう。
彼を通じてあのメールを読み、かつての親友が自分を憎んで死んだわけではないと知ったなら――
「折原さん」
酷く震えた声に臨也は考え事を中断し、ただ眺めていただけの携帯電話から顔を上げる。
そこにいたのは、野崎ユウキだった。左手で白い携帯を握ったまま、肩で息をしている。
別れて1時間もせず戻ってきたことは意外だったが、それが彼女の意志ならば何も問題はない。
「これ……どういうこと、ですか」
息を乱し目を泳がせるユウキは、臨也に携帯電話を開けて見せた。文面の見る見えないを確認するまでもなく、臨也は「そういうことだよ」と、無表情で答えながら立ち上がる。
「君は自分があの子と関わったことで、彼女を死なせてしまったと思っていたかも知れないけど、そういうわけじゃなかったんだ」
「…………」
「君があのとき助けていなければ、彼女はもっと早くに自殺していた。それを止めたのは紛れもなく、君だ」
そう臨也が言うや否や、ユウキは一層大きく身体を震わせ、
「じゃ、あ……」
擦れた声で、目の前にいる男へ結論を求めた。
「そうだよ」
――君が本当に、一番欲しかった言葉をあげよう。
「君が彼女ためにとやったことは、無駄じゃなかった。そして桃里ちゃんは、君を憎んで死んだわけじゃなかったんだ」
一度は死を選んだほどに、自分の過去を悔やんでいたユウキへ、臨也の言葉はどれほどの意味を含んでいたのだろう。
彼女は歓喜するわけでも、感涙に噎び泣くわけでもなく、静かに涙を頬へ伝わせた。
臨也はそんなユウキへ触れることもせず、自分が携帯電話を入手した過程を話し、ずっと黙っていたことに対して謝罪の言葉を口にする。
とはいっても、過程にはいくつもの嘘が含まれていた。
その話の中で、臨也は臼谷桃里の自殺現場には行っていない。もともとそれを持っていたのは文瀬で、臨也は一旦預かっていただけということにされていた。
普通の人間ならば、そのことに罪悪感を覚えるのだろうか。
愛していると自覚しておきながら、どうあっても相手を騙し続けることを、心苦しく思うのだろうか。
その答えがどうであれ、臨也にとってはどうでも良いことだった。彼はユウキがそばにいれば、それで構わないのである。
そのためならば、彼はいくらでも嘘を吐く。嘘を嘘と思わせない、嘘を吐くタイミングを見極めるだけの技量も、持ち合わせていた。
事実、ユウキは疑うような言葉を一度も漏らしはしなかったし、蔑みの言葉も発していない。
ただただ声も上げずに泣き続け、持ち主のいなくなった携帯電話を握りしめるばかりだった。
臨也も彼女が泣きやむまで、ただ向かい合うことしかしなかった。
全てが予定通りに運んでいること、六条千景の元から早く帰ってきたこと、彼女の泣き顔さえ愛おしいことを満足に思う。
――ああ、俺は君が好きだ。
(偽装ハッピーエンド)
こんな彼女は哀れなのだろうか。
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