彼女との再会=

「やっぱり来てたんですね、情報屋さん」
「君達を二人きりで会わせるほど、俺は馬鹿じゃないからね」

   
 地面に倒れ伏しているユウキから5メートルほどの距離に投げ捨てられている松葉杖を回収し、臨也は文瀬へ一瞥もくれることなくユウキを抱き起こした。
 どうやら完全に意識を失っているらしい。臨也が名前を呼ぼうが、肩を揺すろうが、断続的な痙攣を繰り返すだけで、閉じた瞼は開かない。
 これが何の前触れもなく、臨也の想定していなかったことならば、彼も焦りの一つは見せたことだろう。
 しかし、作業的にユウキの意識を確認する様子からは、それがまったくの想定外でなかったことが伺える。


「それは野崎さんが悪いんですよ」


 文瀬は相変わらずの微笑を継続しながら、上機嫌に口を開いた。
 そうして右手に握っていた直方体の黒の塊を臨也の足元へ投げ捨て、わざとらしく溜息を吐く。
 
 
「お互いに手は出さないと約束していたのに、いきなりこんなものを突き出してきたんですからね。返り討ちに遭っても文句は言えません」
「ユウキにそうさせるだけの事を言った君にも、文句を言う資格はないよ」
 
 
 地面に転がっている黒の塊――ユウキが文瀬の元へ向かう直前に、せめて護身用の道具ぐらいはと手渡したスタンガンを拾い上げ、臨也はそれをジャケットに仕舞った。
 
 自分が臼谷桃里を殺したのだと文瀬が話したとき、ユウキはしばらく放心状態に陥っていた。
 その是非を問うわけでも、文瀬を糾弾するわけでもなく、呆然とただその場に立ち尽くしていたのだ。
 そんなユウキに変化が起こったのは、文瀬が再び何かを口走ろうとした時だった。
 右半身を支えていた松葉杖を手放し、目を疑う速さで文瀬へと直進していったのだ。もともと足が速かったとはいえ、怪我人のそれにしては異常な速さだった。
 実際、ユウキの右足首はもう、ほとんど治りかけてはいた。松葉杖は単なる補助であり、杖無しで歩く姿も臨也は何度か目にしていた、が。

 ――今ので振り出しに戻った気がするな……。

 苦痛と苦悶に顔を歪ませているユウキの顔を見下ろし、臨也はここにきてやっと眉をひそめた。
 怪我人であるユウキが健康体である文瀬にスタンガンを奪われ、返り討ちにあう可能性は決して考えなかったわけではない。
 むしろ、そのことを見越して大した威力もないものを渡した。

 しかし一つ、臨也ですら考えてもみなかったのが、文瀬の自白だった。
 
 彼女が本当のことを言っているとは限らない。ユウキを混乱させるために、出まかせを話しただけかもしれない。
 臨也にとっては、そちらの方が遥かに説得力がある。だからといって、これは嘘だと完全に納得しきれるものでもなかった。 
 

「……君、本当に臼谷桃里を殺したのか?」


 ようやく文瀬へと視線を向けた臨也の言葉には、珍しく疑心が露わにされていた。
 これが普段の臨也であれば逆に興味を持つか、下手をすれば面白がってさえいたかもしれない。
 しかし、今回ばかりはそうもいかなかった。一年半という歳月をかけ、やっと友人の死と向き合おうとしていたユウキに、文瀬の言葉は最悪の効果しかもたらさない。
 文瀬に対するユウキの行動を見れば、それは一目瞭然だった。

 嘘であればいいと期待する臨也の思いに反し、文瀬は呆気なく「ええ、殺しました」と頷く。
 まるで重みのないその言葉が、文瀬の罪悪感の無さを表わしている。 
 

「あの日は臼谷さんの『遺書』を彼女の家へ置きに行った後、そのままあのビルへ行ったんですよ。自分で仕掛けたことは、最後まで見届けたい質でして」


 先日の六条千景の一件と同じことを言う文瀬だが、事の重大性は明らかに違っていた。
 臼谷桃里を自殺に追いやったという意味では、臨也も文瀬と同じ立場に立っている。
 しかし、それが臨也自身の知らない場所で他殺に変わっていたのだ、驚かないわけがないだろう。
 だがそんな臨也など気にすることなく、文瀬は自らの犯行を自白し続ける。


「屋上にひとりできた臼谷さんが、何もせずに出て行こうとしたときはさすがに焦りましたね。思わず彼女の前に出て、どうして自殺しないのかと尋ねてしまったぐらいです。そうしたら彼女、やっぱりユウキちゃんがそんなことをするとは思えない、自分の口で聞きに行くんだって言うんですよ?気づいた時には臼谷さんを柵の傍まで追いつめてましたね。何度野崎さんがあなたを騙しているんだと言っても聞く耳を持ってくれませんでしたし……それならいっそ、私が背中を押してあげようと思いまして。彼女が悲鳴を上げなかったのは、本当に幸運でした」 


 折原臨也さん、あなたにさえ気づかれなかったんですからね。

 僅かに愉快さを含んだ声色でそう言う文瀬に対し、臨也は苦々しげに「そういうことか」と呟く。
 

「そんなに怒らないでくださいよ。私が彼女を殺していなければ、あなたは今野崎さんとそうしてはいられなかったんですから。それに、あなたが私と接触していた事も、言わなかったでしょう?」
「……そうだね」


 ぐったりとしたまま動かないユウキの身体を抱きよせ、臨也は自嘲的な笑みを浮かべた。


「その部分に関しては、君の言うとおりだ」


 結局、自分たちはそんな出会い方しかできない。
 自業自得とはいえ、仲を取り持っていたのが文瀬雪子の殺人と臼谷桃里の死だなんて、まったく歪みしかない関係だ。
 

「でもね、俺はもうその辺、諦めてもいるんだよ。今ユウキがここにいるだけで、いいんじゃないかと思ってる」


 救いようのない下衆な判断だと自覚はしているが、今さらどうしようもないのだ。
 そう認めている時点で、やはり文瀬雪子と自分は何も変わらない――そう臨也は自らを嘲りながらも、ゆっくりと目を細めた。

 確かに文瀬の自白した内容にも動揺させられたが、重視すべき部分は別のところにもあるのだ。


「それで、君はどうして今それを言う気になったんだい?」


 臨也がそう普段通りの口調で尋ねると、


「もちろん、野崎さんが幸福にならないためです」


 あなたも分かっているでしょう、そう言いたげな調子で、文瀬は微笑んだ。 


「他人を酷く憎んでいる間というのは、どうあってもその人は幸福になれませんからね。私をこれ以上なく憎んでもらうために、自白することにしました」
「……君は本当に軸がぶれないね」
「愛ですよ、愛」


 うふふ、と笑い声をあげた文瀬は「では、また連絡しますね」とだけ言い残し、さっさとこの場を立ち去って行った。

 本人が自白したところで、何の証拠もない今は警察に知らせても相手にしてもらえない。
 唯一証言らしいものができる臨也は、国家権力に頼れる立場の人間ではない。
 また自分とユウキに確執をもたらす事柄をいくらでも知っている文瀬へ、臨也が危害を加えられるわけもない。
 つまり、ユウキが文瀬になんらかの報復をするためには、自分自身で動くほかないのだ。

 全てを見越したうえで、あくまでユウキを不幸にするという観点によって行動している文瀬は、臨也の目にさえ異常に映った。



 ***



 下半身の鈍痛という酷い刺激で目覚めると、自分がベッドに寝かされている事へ気が付いた。
 今朝目覚めたときと何ら変わりない、ホテルの室内にあるベッドだ。
 腹部にも違和感を覚えながら身体を起こすと、丁度扉の開く音が聞こえた。間もなく外出していたらしい折原さんと目が合い、私は思っていることをそのまま口にした。


「……あの、私どうなったんですか」


 すると、折原さんは少し考える様に沈黙した後、小さく息を吐き――。


「君、どこまで覚えてるの?」


 やや呆れたような口調でそう言った。

 ……正直に言うと、ほとんど覚えていないというのが現状だ。
 折原さんと文瀬が未だ繋がっているんじゃないかと疑った後、文瀬自身にそれを否定された部分までしか記憶にない。
 時間に換算すれば、10分にも満たないんじゃないだろうか。
 大丈夫だと言って出て行った手前、口ごもりながら素直にそう話すと、折原さんは私のベッドに腰掛けて「……なるほどね」と呟いた。
 
 その表情がやけに真剣だったので、もしかすると、疑ったことに気を悪くしているのかもしれない。
 きっと私は、文瀬に何らかの方法で意識を失わせられたのだろう。
 出かける前に帰りが遅かった時は様子を見に行くと言っていたから、実際に様子を見に来て、倒れている私を見つけた、とか……十分にあり得る話だ。
 下半身の痛みも、倒れた拍子に右足へ負担がかかってしまったせいだろうか……。すると当然、ここまで連れて帰って来てくれたのは折原さんということになる。
 うわ……どこが大丈夫なんだよこれ……。

 もう何もかもがいたたまれなくなり、私が謝罪の言葉を口にすると、
 

「君が謝るのはお門違いだ」


 折原さんはそう言って、ようやく表情を弛緩させた。


「君の気持も分からないわけじゃないけど、やっぱりもう少し時間をおくべきだったんだ」
「……そう、ですね」


 もうさすがに「そんなことはない」とは言えず、私はただ頷くしかなかった。
 せめて、自分の身は守れるようになってからでないと、駄目だろうか。
 また桃里との距離が遠ざかってしまったようで、自分の無力さ加減に嫌気がさした。
 そうして私が俯いていると、不意に頭を撫でられ、思わず顔をあげる。


「せめて、今日ぐらいは安静にしておきなよ」


 ここ数日間よく聞く優しい声音でそう言った後、折原さんは「それで」と言葉を続けた。


「明日もし動けそうなら、埼玉に行ってくるといい」
「……え」

 
 突然の提案に思わず首を傾げると、折原さんはあまり嬉しそうとは言えない笑みを浮かべ、


「君が通ってた高校の最寄駅――そこで君に必要だったもの、返してあげるから」


 
 (彼女との再会=最悪の繰り返し)
 


 もう彼女には会わせない。

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