真実
六月初旬 関東某公園 夜
折原さんと再会できてハッピーエンド――では、私の物語は終えられない。
そもそも私たちの過ごす日々の何を指してエンドを迎えるのかということ自体に疑問を覚えるけれど、まあそんなもの言葉の綾なのだから気にするだけ無意味だ。
話しを戻して、とりあえずこの人生に区切りを付けるとするならば、「桃里に会いに行く」「文瀬雪子と話を付ける」という条件が必要だろう。
加えて嫌なことは先に片付けておきたいから、順番は必然的に文瀬雪子が先になる。
きっとこんな邂逅、誰も望んでいないに違いない。私でさえ何を得られるかも分からない、用途不明の事柄なのだから。
それでも、文瀬雪子を飛ばして桃里に会いに行くことは出来ないのだ。
何も仇討ちに殺してやろうだなんて、そこまでは考えていないけれど、聞くことは聞く。言うべき事は言う。
あとは、事前的にお互い手は出さないことを約束しているので、出来る限りそのあたりは守るつもり。
「顔を合わせるのは、かれこれ一年半ぶりかしら」
懐かしいわね、と文瀬雪子はにっこり微笑む。
夜の公園とはいえ街灯の下で話しているからだろう、見たくなくてもはっきりとその様子は分かった。
いや、本当に、懐かしい。半月前に覚えた憎悪で頭が一杯になりそうだ。
「私の前でよく笑えるね」
言葉を濁さずにそう言いながらも、思わず右手にしていた松葉杖を握りしめる。
文瀬雪子が本当はどんな人間だったかなんて、私は折原さんを死神っぽいと考えたあの日の情報しか持ち合わせていない。
記憶の量で言えば「面倒見の良い社交的な学級委員長」の方が多いぐらいだ。
でも、それは全てを塗り潰されているから、現認識に歪みはない。
「ああ、ごめんなさい。これが素の表情なの」
気を悪くしないでね――そう文瀬が莞爾として笑う。
一体どんな皮肉だ。
「大丈夫、あんたに対する気なら二年前ずっと悪いままだから」
「あらそう?それにしても、よくこんな時間にこんな場所に呼び出せたものね。その怪我じゃ、何があっても対処できないのに」
依然として笑みを崩さない文瀬は、「もしかして、素敵な情報屋さんも一緒に来てるのかしら」と僅かに目を細めた。
素敵な情報屋さんって、本人が言っている以外で初めて聞いたような気がする。まあどちらにせよ、今気にするべき所ではない。
ちなみに言えば現時刻は午前12時過ぎ、真夜中の公園に人がいるわけもない。この場には5メートル程離れた間隔で、私と文瀬が向き合っているだけだ。
答える前にひとつ息を吐き「来てないよ」と返事をすると、文瀬は少し意外そうな表情を浮かべた。
折原さんと再会したその翌日。
文瀬と会うつもりであること折原さんにを打ち明けた時には、間髪入れず一人で行くべきじゃないと言われた。
手を出さないなんて約束を律儀に守る人間だとは思えない、少しは自分の状態を考えろ。と、どちらかと言えば怒られた。
それを押し切って私は今ここにいる。過去に関しては折原さんに頼らないと、そう言ったのは私だ。
意地やプライド云々は関係なく、そうするのが当然。せめて桃里のもとへは、自分の力で辿り着くべきだろう。
しかし、そんなことを文瀬に話す義理はない。折原さんが来ていないこと以外は何も口にしなかった。
「それより、桃里を殺した理由が……聞きたいんだけど」
「……っ、く」
「……なに」
いきなり口元を押さえて体を震わせ始めた文瀬へ、何かと思い声をかけた直後、私はそいつが笑いを堪えていることに気が付いた。
「何が可笑しいの……」
張り上げそうになった声を押し殺してそう尋ねると、文瀬は目尻の涙を拭い、口を開く。
「……っだって、ねぇ。野崎さんが、あまりに変わってるものだから……そんなに池袋での生活は楽しかった?そんなに、六条千景くんと和解できたのが嬉しかったの?」
情報屋さんは、それほど多くの幸福をもたらしてくれたのねぇ。
そうやけに甘ったるい笑みを浮かべ、文瀬はじっとこちらを見つめた。
まるでこれまでの私を見てきたような台詞だ。
池袋で今までの生活をしてきたのは、全て折原さんがいてこそのもの。あの人がいなければ、私はもうどこにも存在していない。
でも、それを知っているのは私と折原さんだけのはず、で。
「……それって」
――嫌な考えが頭をよぎった。
まさか、折原さんと文瀬雪子は今でも繋がっている、とか……。
いや、でも、そんなことをして一体折原さんに何の意味がある?私のことを文瀬に伝えて、何がどうなるっていうんだ。
それを種に文瀬がこれまで接触してきたわけでも――。
「あ」
否定しかけた自分の言葉を、半月前の記憶がさらに否定した。
私が千景と向き合おうと思ったのは、文瀬の電話があったからだ。その声を聞いて、動揺して、自分の過去を正面から叩き付けられたからだ。
……どうして私は、今まで疑問に思わなかったんだろう。あんなにタイミング良く、偶然、文瀬が自分から連絡をしてくるわけがない。
私のそのときの状態を知っていなければ――。
「野崎さん、あなたちょっと勘違いしてる」
再び聞こえた言葉に、私はハッとして顔を上げる。
すると文瀬は大きな余裕を含んだ微笑を浮かべ、控えめに首を傾げていた。
「別に、折原臨也さんと連絡をとっていたわけじゃないわ。なにも情報屋はあの人だけじゃないんだから。それより、野崎さん」
そう言って、にっこりと穏やかな笑みを浮かべた文瀬に、何故か悪寒が走った。
今回は私が彼女を呼び出したはずなのに、言わなければ、聞かなければいけないと思って会いに来たのに。
それは間違いだったんじゃないかと思わせる――そんな楽しそうな笑顔。
「自殺まで考えていたあなたが、ここまで前向きになれたんだもの。お祝い代わりに、ひとつ良いことを教えてあげる。
臼谷さんは、あなたが憎くて自殺したわけじゃないの」
「…………え」
思いがけない言葉に、頭が真っ白になった。
私はずっと、桃里が文瀬の言葉を信じ、私の裏切りが原因で自殺したものだと思っていた。
そうクラスメイトが噂しているのも、ご両親がそう言っていると先生達から聞かされたのも、折原さんから指摘されたのも、覚えている。
だからこそ、私は彼女にそう思わせた自分と文瀬が憎かった。それさえなければ、桃里は自殺しなかったのにと悔やみ続けていた。
それなのに、いまさら、
「どういう、こと……」
震えた声でそう尋ねると、文瀬は微笑を浮かべたまま、口を開く。
「そのままの意味よ。彼女は最終的に、私の言葉ではなくあなたを信じることにしたの。親友だったあなたをね。良かったじゃない、親友として冥利に尽きるでしょう?」
文瀬はそう、当たり前のように微笑むけれど、とても手放しに喜べるものではなかった。
彼女が本当のことを言っているかも分からない。今の言葉は全て、でたらめかもしれない。
そんな思いももちろんあった。
しかし、本当に一番、気に掛かったのは――――
「――じゃあ、」
もし、本当に私を憎んで自殺したんじゃないなら、
「どうして、あの子は死んだの――」
文瀬は、満面の笑みを浮かべた。
「私が殺したのよ。臼谷さんが自分で、自殺してくれなかったから」
私が代わりに、自殺させてあげたの。
「だって、もう限界だったんですもの。それに、また策を練り直すのも、これまでの努力が無駄になるのも、嫌だったから仕方ないわ。でも、人を殺すって本当にリスクが高いのね。もう絶対にやらないって、そのとき心に決めたぐらいよ。まあ、そういうわけだから、あなたは彼女の死を悔やまなくてもいいわ。良かったわね、これで暗い過去とはお別れできるじゃない」
(真実)
遠くで誰かが、私を呼んだ。
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