『まだ』
 6月初旬 夕方 池袋内某喫茶店前




「ユウキさん、どうしちゃったのかなー」


 店の窓に張り付いていたセーラー服姿の三つ編み少女は、そう言って明かりもついていない店内を見渡した。
 とはいっても、カーテン越しに見える光景の範囲は酷く限られている。
 テーブルとその上にあげられた椅子、開店時は様々な種類のケーキが並べられていたショーケースと世話をする人間が居なくなった観葉植物。
 ほんの一か月ほど前までは当然のように入店できたはずの場所は、昨日、一昨日、一週間前、半月前と徐々に埃を被っていく置物以外何も変わっていない。

 ここで働く従業員が全員池袋を出払っているのだから、それは当たり前と言えば当たり前の話だった。
 出入りすべき人間がいないのだから、変化のしようがないのだ。
 しかし、彼彼女らがどうして池袋にいないのか。その理由を知らないセーラー服姿の少女――折原舞流には、疑問が膨らむばかりだった。
 

「ゴールデンウィークに行ったアパートにもいなかったし……っていうか、アパート自体なくなってたもんね」


 あれにはさすがにびっくりしちゃった。
 窓から視線を離した舞流は、そう言って背後に佇んでいる自分の姉――九瑠璃の方へと向き直った。
 考える様に片目を伏せている舞流に対し、九瑠璃は淡泊な表情でこくりと頷く。


「兄(兄さんとも)……伝(連絡が)……不(取れないし)……」
「波江さんは知らないの一点張り!」


 もう!
 と、不満をぶつけるように、舞流は持っていた鞄をブンと振りまわす。


「看護師さん達は病院変わったんだって言うけど、転院先も教えてくれないなんて、絶対変だよ!」
「肯(ね)……」
「一番心配しそうな静雄さんだって、ずっと不機嫌そうだけど、病院内でキレちゃった話は聞かないし……」
「必(絶対に)……知(何か知ってる)……」
「でも教えてくれないし!」


 むう、と頬を膨らませた舞流は、しばらく睨み付けるように目の前の建物を凝視した。
 舞流達は彼女らの兄のように、池袋で起こる事件の詳細などに執着することはない。
 いつの間にか事件に巻き込まれ、それをきっかけに行動することはあっても、騒動の中心人物でいたいとは思ったことはなかった。

 しかし、今回ばかりは話が違う。
 自分たちの気に入っていた知り合いが、何の連絡もなくいきなり失踪したのだ。
 それなのに周りの大人は自分たちを除け者にして、事の経緯を教えてくれない。


「せめてイザ兄がいればなぁ……」
「教(教えてもらえた)……可(かもしれないのに)……」
 
 
 自分たちの兄は入院先の病院で消息を絶ったと知っているため、『脱走できる元気があるなら大丈夫だろう』と二人は考えていた。
 だからこそ野崎ユウキの事が気に掛かっていたのだが――。


「あっ、でもでもクル姉!」
「……?」


 舞流は先程とは打って変わり、無邪気な笑みを九瑠璃へ向けた。


「もしかするとイザ兄とユウキさん、一緒にいるのかも!」
「如(どうして)……?」


 小さく首を傾げる九瑠璃に、舞流はふふんと得意げな表情で口を開く。


「だってイザ兄独占欲強いんだから、ユウキさんを一人にするわけないよ。それなら静雄さんが不機嫌なのも、みんながそこまで心配してないのも納得できるしね!」
「…………」

 
 妹の言葉にコクコクと頷く九瑠璃の様子を見て、舞流はにやりと猫のような笑みを浮かべた。
 

「駆け落ちはイザ兄の性格からしてあり得ないけど、外出先でならちょっとぐらい何か進展あるかもねー」
「嬉(嬉しいの)……?」
「ううん、全然!でも、イザ兄って絶対ユウキさんのことマジで考えてそうでしょ?だったら、今までと勝手が分からなくて、意外にヘタれてそうだなって!」


 そんなイザ兄なら、今すぐ見に行って写メってみんなにばらまきたいね!
 そう無邪気な表情で嫌がらせでしかない案を話す舞流に、九瑠璃は小さく息を吐いた。


「共(二人とも)……早(早く)、帰(帰ってくるといいね)……」
  


 ♀♂



 同時刻 関東内某所



「……私、折原さんのこと信用しますからね」
「ここに来てもう5回目だよ、その言葉」


 なんて、呆れたような調子で言う折原さんだけれど、凄く嬉しそうに見えるのは私の勘違いだろうか。
 やっぱり不安を感じて目の前にいるその人を見つめれば、折原さんは「君が不快に思うことはしないから」と言って笑みを浮かべる。
 ……本当は、私だって同じように笑っていたい。無事折原さんと再会できたことを嬉しく思いたい。
 でも、今そうするには少しばかり、状況が良くない。


「だから、するしないじゃなく……ホテルで一緒の部屋って言うのは、どうかと……」
「ユウキ、一緒にいてくれるって言ったよね?」
「それとこれとは、話が別です!」

 
 そう怒鳴って腰掛けているベッドを叩いても、その人は機嫌良さそうに笑っているだけだった。
 ……どうしてこうなったんだろう。


 ――話は遡ること、半月前。
 折原さんと一緒にいることを選んだ私は、目が覚めると見知らぬ病院で寝かされていた。
 初めこそ何がどうなったのか分からず混乱していたが、入院初日すぐに折原さんから電話を貰ったため、即日病院脱走には至らなかった。
 看護師さんから電話を取り次いで貰うと、その人は黙っていなくなったことを手短に詫び、半月後には迎えにいくからとだけ言って電話を切った。
 結局何をしようとしているのかは分からなかったが、とても忙しそうだということだけは理解できたため、私も言及はしなかった。
 
 それから何事もなく半月が経ち、松葉杖にも大分慣れてきたある日のこと。
 三日後の早朝に迎えに行くから、半月前に再会した場所で待っていて欲しいと折原さんから連絡が来た。
 ……そのときの私は、自分で言いたくはないけれど、かなり浮かれていたと思う。
 取り次いでくれた看護師さんが「あら、彼氏さん?」と言ってきたぐらいだ。相当テンションがおかしかったに違いない。
 でも、入院中もほとんど電話なんてこなかったから、それも仕方のないことだと自分では思っている。……いや、言い訳とかではなく。

 そういうことがあって今朝折原さんと合流し(意外とあっけない再々会だった)、その足で関東まで戻ってきた。
 ――のだが、折原さんは何かと忙しいようで、移動中も携帯と小型のパソコンに構いきりだった。
 そしてようやくまともに話せる状態になったのが、その人に連れられてやってきたホテルのフロントでの話。
 何でも新宿のマンション一室はもう折原さんの所有物ではないらしく、引っ越し先の準備ができるまではここで寝泊まりする予定なのだとか。
 まったく初耳の情報が多すぎて唖然としてしまったが、なんやかんやと言い含められて現在。

 折原さんとツインルームに二人きりというおかしな状況が出来上がった。

 普通に会話ができる嬉しさとか顔を見ることが出来た喜びとかの前に、これはアウトなんじゃないかという疑心で頭が一杯だ。
 自意識過剰とかそういう問題ではなく、普通に、常識的に考えて、こういうのはダメなんじゃ「ってことは、ユウキ用にもう一つ部屋借りた方が良かったわけだ」


「…………」 

 
 まるで見透かしたようなことを言う折原さんに、思わず沈黙する。
 確かに、マンションでも居候をしていた私が、別料金で他の部屋を借りて貰うだなんてことはできない。
 自分で払おうにも、さすがにホテルで寝泊まりするともなれば、きついものがある。っていうかそもそも私の入院費って折原さん持ちらしい……。

 つまり、これ以上、経済方面で迷惑は掛けられないのだ。
 

「わかってくれた?」   
「……なんとか」


 選ぶ余地のない選択肢に顔を伏せて返事をすると、隣にあるベッドへ腰掛けているその人は「よかった」と言いながら顔を覗き込んできた。
 近いっ!?
 そう驚いて体を後ろに反らせば、折原さんは可笑しそうにクツクツと笑う。


「あのですね……」


 さすがに少しむっとした。体勢を整えてもう一度その人と向き合う。
 すると、折原さんは笑うのをやめて、さっきと同じように嬉しそうな表情を浮かべた。


「ごめん、ごめん。君のそういう反応見るのも、久しぶりだなと思ってさ」
「…………」
「どうかした?」
「え、いや……」


 まるで見たことのない穏やかな物腰に(実は裏があったというものは省いて)、拍子抜けしていた。
 ここに来るまでも、当たり前のように荷物を持ってくれたり、しきりに体調を気にしてくれたり、今日はやけに優しいなとは思っていたけれど……。
 正直に言ってしまえば、優しすぎてちょっと怖い。この期に及んでまた演技をしているとは思わないが、それにしたって……この変貌は何なのだろう。


「……折原さん。ちょっと、じゃなくて、かなり優しくなりましたよね」


 遠回しに聞く必要もないだろうと思ったため、そう直球に聞くと、


「ああ……」


 折原さんは僅かに目を細めて、呟くように言った。


「君にそうしちゃいけない理由が、なくなったからね」
「――それって」


 どういうことですか。
 そう尋ねようとしたのだけれど、折原さんは私の言葉を待たず、不意に立ち上がった。
 どうしたのかと首を捻る私へ松葉杖を手渡した後、また何事もなかったかのように口を開く。


「そろそろ、夕食でも食べに行こうか」
「え、だってまだ、」
「松葉杖で移動するのが嫌なら、抱えて行ってあげるけど」
「……松葉杖で行きます」


 そう、と頷く折原さんはやっぱり優しげで、若干違和感を覚えてしまう。
 でも、これはきっといいことなのだから、すぐにそんなものはなくなってしまうだろう。
 今は少し、驚いているだけだから。



 ♀♂



 同日 深夜



 ベッドに入る直前まで同じ部屋で眠ることに難色を示していたユウキだったが、一度横になるとすぐに寝息を立て始めた。
 以前にこういうことがあったときは臨也が眠った(ように見えた)のを確認して、ようやく寝支度をしていたのだから、今日は余程疲れていたことが分かる。
 

「ねぇ、ユウキ」


 そう臨也が名前を呼んでも、彼女の瞼は開かない。ただただ気持ちよさそうな寝顔で、静かに呼吸を繰り返すだけだった。
 しかし、そんな身動きもせず、何か喋るわけでもないユウキの様子を臨也は飽きることなく眺め続けていた。

 やっと彼女のそばにいたいという自分の本心を認めることができたのに、それから半月も臨也は彼女の顔を見ることすら叶わなかった。
 それがやっと今日再会することができ、手を伸ばせば触れられる場所に彼女がいるのだ。離れるまでは当然だったことが、今は愛おしくて堪らなかった。
 そう思えば眠ることも惜しくなってしまい、微かなベッドライトに照らされている彼女を眺めることへ、時間を費やしていた。
 
 最初はただ寝顔を確認するだけのつもり立ち止まったのだが、気が付けばユウキのベッドに腰掛けている。
 今彼女が目を覚ませば、確実に枕のひとつは投げつけられるだろう。しかし、それぐらいで済むのなら構わないと考えているのが臨也だった。 


「君はまだ、俺の事を特別愛してるってわけじゃないんだよね」


 半月前の再会と、今日1日の様子を思い出し、臨也は目を細めてそう呟く。
 ユウキはあくまで『一緒にいたい』と言っただけなのだ。それも恋愛感情というより、家族へ向ける愛情に似たものだと感じていた。
 それならと彼女が明確に自分を愛してくれるまで、臨也自身も彼女の前ではあからさまな愛情を向けないことにしたのだ。
 

「でもさ、ずっと我慢もできないんだ」


 そう一方的にユウキへ囁きかけ、まだ微かに湿っている彼女の髪へと口づけを落とした。 
 

「早く俺だけを愛してよ――」



 (『まだ』)



 無理強いに意味はないから。

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あきゅろす。
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