表面上は誤魔化せる



 昼 池袋某所

 

「何だ、手前?」


 そう低い声で呟いた下衆男(仮)は、そう言ってこちらを睨みつけてきた。
 その背後に控えている連中もチンピラと呼ばれる部類の男達だと思うのだけれど、残念なことに私は喧嘩慣れしていない。
 かといって、口で勝負できる相手にも見えない。何かできないかと相手を凝視しているうちに、余計な記憶が思い出されて、私は奥歯を噛み締めた。

 ……ああ、痛いんだよね。ああやって、アスファルトと革靴に挟まれて、頭を踏みつけられるのって。
 向こうの体重が直接こっちの頭へ圧し掛かってくるのに、地面も硬くて衝撃を吸収してくれないし。
 そして何よりもの凄く自分自身を踏みにじられている気がして、気分が悪くって、堪ったもんじゃない。

 ――ここは冷静に考えた後、落ち着いた判断をくだすべき場面だったんだろう。
 でも、私はそれができなかった。頭に血が上ったと言ってもいい。目にしている光景が自分の見ていたものと重なって、ギリギリと何かを切り詰められているような感覚がする。
 気がつけば、私は帝人くんたちの方へ歩き出していた。


「ユウキ、さん……逃げ、」「駄目」


 普段折原さんに自分の意見を一蹴されるのを真似して、そんなことを言ってみた。
 と同時に、二人の前へ到着。下衆男は私が女だということに油断しているような、そんな余裕の嫌らしい笑みを浮かべて、


「そういや、手前もあのときにいた奴だよなぁ?俺の元カノの携帯ぶっ壊し、」「だから……」「あ?」   
 

 雑談に花を咲かせようとしていたので、手近にあったゴミバケツを素早く引っつかみ、


「それがなに」


 下衆男の横腹目がけて、中身が一杯の重い重いゴミバケツを振りかぶった。  
 一瞬我に返って、あ、帝人くんの上に倒れてしまったらどうしようと焦ったけれど、それは杞憂で済んだらしい。
 男は変な声を上げて真横にあった壁へと激突した。が、私もバケツの重さにつられ、一回転した後それを背後へ放り投げる。
 目を回しかけ若干足もふらつかせながら、やっと顔を見られる状態になった帝人くんの元へ急いで向かった。そして、
 

「帝人くん、大じょう――」


 と、そこまで言ったのは良かった。けれど、だいじょう「ぶ」と言った瞬間、今度は自分が壁へ叩きつけられる羽目になった。
 どういう状況か。私も一瞬理解できなかったのだれど、さっき壁にぶち当たった奴がもう起き上がって、私へ足蹴りをくれたらしい。
 チンピラならチンピラらしく、安っぽい咆哮を上げてくれればいいのに……。胸の辺りを踏みつけられながら、こちらを見下している下衆男を睨みつけた。

 とりあえず、こいつらは完璧にTo羅丸のメンバーじゃない。
 この間の今日で、千景の方針に逆らう奴はさすがにいないだろう。

 じゃあ、こいつらは何?

 そう考えながら男の足を掴んで、どうにかそれをどけようとしていると、すぐ傍からガツンという鈍い殴打音が聞こえた。
 何が起こったのかは、容易に想像がついた。さすがに血の気が引いて視線を音の方向へ向ける。

 私を踏みつけている男の背後にいた連中の一人が、鉄パイプを持っていた。
 そしてその真下に倒れている帝人くんは、ぴくりともしない。


「ったくよぉ……面倒なガキと女だ」


 煩わしげな様子の男は、そう言ってさらに私の胸を圧迫した。するとさすがに息苦しくなり、思わず咳き込む。

 ああ、わかった……この騒動が終わったら、本気で格闘技習いに行こう――。
 
 帝人くんを殴った奴も頭上にいるこの男もその周りにいる連中も、そしてもちろん自分の無力さ加減へも心底腹が立ち、諦め悪くこの状況をどうにかできないかと考えていたときだった。    
 
  
「ユウキさん!」 
 

 そう言って颯爽と、ヒーローよろしく駆けつけてくれたのは、ヒロインの役どころであるはずの杏里ちゃんだった。



 ♀♂ 


 
 いかにも喧嘩慣れしていそうな男数名といかにもおとなしそうな眼鏡を掛けている女子高校生。
 この組み合わせで喧嘩をしたとすれば、一体勝つのはどちらだろうか。
 何の事情も知らない一般的な回答を求めるならば前者が圧倒的に多いだろうけれど、後者の女子高校生が『園原杏里』ちゃんだった場合、話は180度変わってしまう。
  
 目を覚ました帝人くんは、彼女を背後から襲おうとした男の崩れ落ちる様を、目を丸めて見つめていた。
 そしてその彼のそばで転がっているのは、つい先ほどまで私を見下していた男と帝人くんを囲っていた連中。
 全員が完全に気絶しているようだけれど、もちろん私にそんなことはできない。
 助けてくれたのは、今銀色の棒状の何かを腕にしまった、おとなしそうな眼鏡の女子高校生――園原杏里ちゃんだった。

 どうして彼女にそんなことができるのかと問われたって、私はそれを誰にも話したりはしないと思う。
 
 彼女が罪歌だから。

 なんて、彼女本人以外が、誰かに言って良い話ではない。
 
 もちろん、驚いている帝人くんにも、私は何も言ったりはしなかった――まったく、当然のことだけれど。

 だから、何があったんですか?なんて聞かれてしまったら、曖昧に誤魔化すつもりだった。
 しかし私は少しも帝人くんのことを分かっていなかったようで、


「ああ、いいんだ、何も聞かないよ」


 彼はそう言って、杏里ちゃんに微笑むだけだった。


「あ……ありがとう、帝人君……」


 その様子に安心したような笑みを零す杏里ちゃんに、うーん私ってここにいていいんだろうかと少しばかり悩んだ。完全に蚊帳の外だ、というかお邪魔虫って奴だ。
 そんな私の視線に気づいたのか、帝人くんの肩に手を置いていた杏里ちゃんはハッとしたように、ほんのり顔を赤くした。初々しいっていうのは良いことだ。


「あの、帝人くんも、ユウキさんも……大丈夫ですか、救急車とか……」
「あ、いや、大丈夫。なんとか立てるよ」
「私に至っては無傷だから」


 杏里ちゃんを心配させないようにするためか、帝人くんは慌てて起き上がった。
 私はもとから立ってはいたのだけれど、鉄パイプなんかで殴られたのに、彼は本当に大丈夫なのかと少し心配になる。
 案の定、帝人くんは立ちあがってから、しばらくの間俯いてぼんやりとしていた。


「帝人くん……」


 本当に大丈夫なのかという意味でそう呼びかけると、彼は我に返ったように顔を上げ、


「大丈夫ですよ。うん……僕は大丈夫だから」 
「じゃあ、早く病院か岸谷先生の所に……」


 杏里ちゃんの言葉に、帝人くんは首を横に振った。


「骨とかは折れてないみたいだから、大丈夫……。それより、早く……門田さんの所……来良の第二グラウンドまで行かないと……」
「え……」

 
 戸惑っているような杏里ちゃんに対し、私は申し訳ないが帝人くんの言葉に横やりを入れさせてもらう。
 

「……門田さんが、どうかしたの」


 自分が思っていたよりも、随分と低い声が出てしまっていた。ふたりはそれに驚いたような顔をして、しばらくしてから帝人くんが真剣な、けれど少し困ったような顔で口を開いた。


「門田さんは、今暴走族の人と来良にいるそうなんですが……さっきダラーズの掲示板に、その暴走族の人の彼女を見つけたっていう書きこみがあったんです。
 それで、ユウキさんがここへ来る少し前に、この人たちの仲間がその子達を連れて行ってしまって……。多分、門田さんといるその人を脅すための、人質にするんじゃないかと」
「その子達の名前とか、一人でもいいから分からないかな」
「……確か、ひとり『ノンちゃん』って呼ばれていた子がいたような……」
「そっか……」


 そっか。
 それだけ聞けば、十分だ。
 
 本当に下衆というか下種というか下司な連中だなぁと胸がむかつくような苛立たしいものを感じて、


「助けてくれてありがとう、杏里ちゃん。教えてくれてありがとう、帝人くん」


 二人にそれだけを言って、その場を駆けだした。
 背後から呼びかけるような声が聞こえたけれど、今回ばかりは無視を決め込ませてもらい、短距離走を走るペースで前へ前へと足を進ませた。

 千景の前でノンちゃん達を人質に取るだなんて本当に馬鹿な連中だ、というか馬鹿を見てもらわないといけない。
 でも、彼女達が解放されないと千景は動きにくいんだろうなぁ。

 そこで私に何ができるかなんてとても答えにくいことだけれど、ああ何もできないよ喧嘩弱いからね走ることしか逃げることしかできないからね私は。
 それでも何かしたい。ノンちゃん達を助けたのはもちろんだし、連中がむかつくのも確かだけれど、
 千景の手助けなんて絶対に出来っこないと思ってたから、『最後』ぐらい何か、なにか出来たら――。


「あ、でも、学校って……」


 大抵の学校にある、とあるものを思い浮かべて、これはいけるんじゃないかと心の中で手を叩いた。
 漫画でしか見たことはないし、どれだけ効果があるかもわからない。
 見た目的にはしょぼいけれど、派手ならいいというものでもないし、下手すれば大変なことになるような気がしないでもないが、ここでやらなきゃいつやるということで。


「やっちゃおうか」

 

 (軽い語尾で隠せばそれで、)  



 最後だなんて、本当は――。

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