君のため=自分のため
 池袋 某女子学園前



 ユウキが自分を探しているという言葉を聞いた千景は、門田が見ていた上辺よりもさらに動揺していた。
 総長という立場上の経験から身体的な窮地を何度も潜り抜けた上、彼の異性関係の性質上、精神的な修羅場というものも数多く経験しているはずなのだが、
 それでもユウキが自分を探しているという言葉には、まるで免疫がないかのような驚き加減だった。

 何故なら千景とユウキが知り合い、付き合って別れてしまったその後のこの一年、彼女は千景を避けっぱなしだったのだ。
 もちろん電話を掛ければノリ良く話に付き合ってくれるし、メールの文面に無愛想な様子はない(むしろ文面の方が感情豊かな程だ)。
 ただ、彼女が自分に会おうという気持ちが微塵もないことぐらい、彼はとっくに気づいていた。
 気付いた上で、まるでなかったことにされてしまった過去にも致命的な部分へは決して触れず、付かず離れずの状態を続けていたのだ。
 自分勝手な、自己完結のような別れを切りだしたユウキへ、彼女お決まりの「女関係」という見え透いた嘘も成り変わっている過去も言及せずに、ただそうしていた。
 逆に自分から、過去のことについて重い話にならないよう、ふざけたことを言うことも多かった。

 理由はただ、彼女が望んでいるから。
 何かの理由で過去を思い出したがらない彼女が、望んでいることだから。

 その本当の理由を聞こうとしたことは、千景の中で多々あった。
 ただ、それを聞いてもユウキが答えることはないだろうと思い、何も聞かないでいたのだ。
 加えてどうにも自分に原因がありそうな、できれば聞きたくはない『決定的』な別れの理由を知りたくなかったからという理由も、その判断の中へは含まれていた。
 聞いてしまえば今の曖昧で何かを濁しているような関係も終わってしまうと、そんなことも考えていた。

 それはまったく、『何事も女性が最優先』の彼らしからぬ理由だった。自分の好き嫌いと都合とを優先させてしまった、千景らしくない理由。
 だからというわけではないかもしれないが、その判断は間違っていた。

 千景自身がそうに気づいたのは、ほんの十日程前にユウキの元同級生だと言う女子大生に出会った時のことだった。

 声をかけてきたのは女子大生の方だった。
 逆ナンというにはあまりに自信なさげで、出会ってすぐの言葉が「野崎ユウキさんの同級生だった沖久早弥です」というものだったため、
 千景は不思議に思いながらもその女子大生の話を聞くことにしたのだった。

 しかし、そこで知ったものは、とても数時間で頭の整理がつくような話ではなかった。


 ――野崎さんの友達だった臼谷桃里っていう子が、一年前の1月22日に自殺したんです。

 ――その子の遺書には、野崎さんが自分を裏切ったと書かれていたらしくて。

 ――すぐにその噂が校内に広まったせいだと思うんですが、野崎さんは卒業式にも来ませんでした。

 ――あと、野崎さん自身もそのすぐ後に自殺を図ったらしくて……池袋のビルの屋上からの、飛び降り自殺をしようとしたらしいんですが。

 ――私、臼谷さんが亡くなった時は、野崎さんが全部悪いんだとばかり思っていました。
 
 ――でも、その自殺未遂のことを考えたら、実は違ったんじゃないかって。

 ――だから、そのときに散々酷いことを言ったのを、謝りたいんです。

 ――あなたは一年前、野崎さんと付き合ってましたよね。

 ――今の彼女の居場所を知りませんか?


 他にもいろいろと言われたかもしれないのだが、千景が覚えているのはこの会話だけだった。
 そのときにその女子大生がどんな表情をして話をしていたかも覚えていない程、あまりに急で言葉も出ない話だった。
 
 一年前の1月22日。
 それはユウキの誕生日の前日、そして思い返してみれば、千景が埼玉を離れていた時期の話。
 そうして、すべてに納得がいった。
 彼女が過去を思い出したがらなかったことも、彼女が必死で守ろうとしていた親友に「会う必要がなくなった」と言ったわけも、別れる理由を千景に話さなかった理由も、全部理解できた。

 それと同時に、電話越しに聞き続けていたユウキの声ひとつひとつが突き刺さるような、酷い自己嫌悪に襲われた。

 ユウキはとんでもない嘘吐きなのだと、ようやく思いだしたのだ。

 誕生日を祝えなかったことには別れたことに関係ないだなんて理由は嘘、「私も親戚に用があったから」と言っていたのも嘘で、「千景は気にしなくて良いから」という言葉も嘘、親友だと言っていた子が引っ越したというのも嘘、助けるどころか気づくことさえできなかった自分と、何でもないように話していた彼女の態度も当然嘘、どことなく電話越しでの口数が少ない彼女に安否を聞いたとき「大丈夫」と答えた彼女の言葉も、嘘でしかなかった。
 
 ――そして、その大量の嘘をつかせていたのは紛れもなく俺だ。
 
 ユウキが冗談以外で嘘を吐くとき、それは大抵何か抱え込んでるときなのだから、聞いてやるべきだったのだ。
 彼女の拒絶を真に受けて距離を取る前に、彼女の望んでいることだからと言う前に、自分の都合を考える前に、そのことを思い出すべきだった。 
 ユウキの嘘は分かりやすいと、嘘をつきたい人間なんているわけがないと、そう言ったのは自分なのに。
 気づいて尚何も言わなかったことを悔いたのは、これが初めてではないはずなのに。

 そして何より、自殺未遂という現実離れした言葉が、延々と彼の頭の中で響いていた。

 彼女が決して強い人間でないことは、出会ったときからほとんど分かり切っているようなものだった。
 おまけに責任感が異常に強くて、自暴自棄に自己犠牲のような真似を頻繁に繰り返すような、決して良いとは言えない性質を持っていることも分かっていた。
 しかし、もう、それは和らいでいると思っていたのだ。彼女が自分の『嘘』を認めたから。もうこんなことは繰り返さないだろうと、勝手に思っていた。
 油断していた、と言うのはやや大げさかもしれないが、それに気づいた千景は正しくそう思った。
 
 もしそれが彼女の自殺を未遂で終わらせていなかったら――。

 そう考えるだけで、過去の自分へもユウキ自身へも言いようのない憤りを感じた。
 
 彼女が一番助けを求めていた時に、守ることもそばにいることもできなかったのだから、別れようと言われるのは当然のことだ。

 ――それは俺が悪い。何度謝っても気が済まないぐらい、俺が悪い。

 しかしどうして、ユウキは何も言わなかったのか――言えば相手を傷つけるとでも思い、こうなったのは自分だけのせいだと、それなら自分の中でため込もうとして、ほらまた自己犠牲。
 それで心配する人間がいることも知らないで、どうしてそんなことをするんだと、千景はらしくもなく責めるような言葉ばかりが思い浮かんだ。
 それと同時に、ユウキが気兼ねなく何でも話してくれるような、そんな間柄にさえなれていなかったことに悔しさも感じた。
  
 それに気づいたからこそ、千景は平和島静雄に彼女の居場所を聞いたのだ。

 直接顔を合わせ、誤魔化しのきかない状況で話しをするために。
 何もできなかったことを自分の口から告げるために。 
 どうして何も言ってくれなかったのかと聞くために。
 お前が傷つくことが嫌なんだと教えるために。
   
 そうしなければ、彼女はまた誰かのために自分を蔑ろにして、傷つくかもしれない。
 だから、そういう自己犠牲が本当はどういうものなのか、少なくとも自分はどう思っているのか。
 それを思い知ってもらうために、千景は彼女に会わなければいけなかった。それを知ってまだ、ユウキが同じことを繰り返す人間でないと、確信していたから。
 
 例え会いたくないと言われても、見つけたそばから逃げ出されても、必ず追い付いこうと、そう思っていた矢先に、門田からユウキが自分を探しているということを聞いた。
 続けて、会えなかったときのために『いけふくろう』で待ち合わせようと言うことまで聞き、一瞬今からでもそこへ行ってやろうかとさえ考えかけた。
 だが、今行ったところで彼女はそこにいない。それなら、それまでにダラーズとの揉め事に片を付けてやろう。
 
 そう結論付けた千景は、半ば門田を睨めつけるようにして、口を開いた。



 (君のため=自分のため)



 片方だけの幸せなんて、成り立たないから。

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あきゅろす。
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