二度あることは、
 人通りの少ない路地裏を走り続けること数分――。
 『準備中』という札のかかった中の暗い店の前で、やっと平和島さんは足をとめた。
 平和島さん自身には大して疲れてはいないようだけれど、私はさすがに息が上がってしまって、肩を上下に揺らせていた。
 
 そもそも、どうして私は平和島さんに連れられて来たのか。

 ビルの三階から飛び降りてくるだなんて、よっぽどのことがあったとしか思えない。あのとき私が聞いた怒鳴り声は、一体誰のものだったんだろう。
 そんなことを考えて顔を上げると、平和島さんも丁度こちらに顔を向けていた。
 難しそうに眉を潜めて振り返ったその人は、ふと私から視線をずらせて、珍しく戸惑ったような顔をした。
 何だろうと視線の先を追うよりもまず、ふっと左手が軽くなる。走っている最中にずっと引かれていた手が放されたらしい。

 
「ユウキ」
 

 まだ握られていた時の感触が残っている左手を見つめていると、自分の名前を呼ばれたのでいつものようにその人の顔を見上げた。
 

「今日、俺を捜してる連中に会ったら、すぐに逃げろ」


 お前の足なら逃げ切れる。
 と、そんなことを真剣な顔でその人は言った。
 
 確かに、足の速さには自信があるけれど――


「あのビルで、何があったんですか」


 さすがにそれだけを言われて「はいわかりました」と言えるほど、私は物分かりの良い人間じゃない。
 少し考えるように押し黙った平和島さんは、しばらくしてから顔をしかめて、


「人が殺されてた」


 苦々しげにそう言った。
 

「……え」
「あのビルん中にある部屋に入ったらよ、えげつねぇ殺され方した死体見つけちまって――」


 そして、平和島さんのあとにやってきた男が、その犯人を平和島さんだと勘違いしたのだそうだ。
 おまけにその男はその筋の人間だったらしく、すぐにその場を逃げ出したらしい。

 多少こういうことがあったんじゃないかと考えていた私だが、事実は予想の数倍を上回っていた。     
 もちろん悪い方向に。
 何気なく見上げたあのビルの中で人が死んでいた、しかも殺されていたのかと思うと、なんとも言えない気分になった。


「……その本当の犯人を見つけない限り、平和島さんはずっと疑われたままってことですか」
「多分な」
「でも、誰が殺したかもわからないのに……」


 見つけることなんて、できるのだろうか。
 思わず自分の置かれている状況も忘れて考えていると、


「いや、見当はついてる」


 僅かに声を荒くさせて、平和島さんはそう言った。
 この人がこんな風に苛立っている時、大抵はどんなことが原因か。確かにいろいろな可能性が考えられるのだけれど、一番嫌な可能性が最有力候補として思い浮かぶ。

 今朝のアカネちゃんのこともあるし、まさか――。


「また臨也に嵌められたんだ、情けねぇ」   


 心底苛立たしげにそう言った平和島さんの言葉へ、軽く目眩がした。 


「っつーわけだ、さっき言ったことは守れよ。いいな」
「え、ちょっと待ってっ」


 いきなり走り出そうとしたその人に、敬語も忘れて右手を伸ばした。すると、なんとか平和島さんの右手を掴むことに成功する。
 さすがに立ち止ってくれたその人が驚いたように振り返ったのを見て、私はどうして引きとめたりしているんだろうと我に返った。
 でも、何もせずに見送るなんてことはできない、我慢できない。何かないかと考えてすぐに出てきたのは、


「私が、折原さんに本当は誰がやったのか、聞きますから」


 と、そんなものだった。
 あくまで風に聞いた話でということにすれば、折原さんは教えてくれるかもしれな――


「あいつがンなこと教える玉かよ」


 さっきまでとは違う平和島さんの冷静な声に、私は反論できなかった。
 私がやめてと言って、あの人がこういうことをやめてくれたことが、今までにあっただろうか。
 たとえ相手が誰だったとしても、折原さんが他人の指図を受けて自分の行動を思い留まるなんてこと、あるわけがない。
 それに私は、昨日折原さんには頼らないと言ったばかりで……。


「……あのなぁ」

 
 低く呟くような平和島さんの声に下げていた目線を上げると、その人は困っているような怒っているような、どうとも取れない表情を浮かべていた。


「頼らねえっつーなら、お前も俺の心配なんて、やめてくれ」
「…………え」


 思ってもいなかった言葉に、一瞬何を言われているのか理解できずに呆然とした。
 そしてやっと今朝の『大丈夫か?』という言葉を思い出し、あれは頼れという意味だったのかと知って困惑した。

 だって、あれは、私だけの力でやらないといけないことだから――。

 そう思いながらも、どう言えばいいのか分からずに戸惑っていると、


「……いや、そうじゃねぇんだ」
「……?」 


 平和島さんがさっきと同じ、曖昧な表情を浮かべてながら考え込んでいるような様子で口を開いた。


「心配するとかしねぇとかじゃなくてよ……お前が俺を心配するなら、俺にもお前のこと心配させろっつーか……今みたいにお前が俺のこと助けようとすんなら、俺がお前を助けてもいいんじゃねぇかって……そもそも大丈夫じゃねぇならンなこと言うなって何回言ったと思ってんだ……今だって巻き込みたくねぇから離れようとしたのに引き止めやがって……こんだけやってんだからよ、普通そろそろ気づくだろうが……どんだけ鈍いんだこいつ」
「…………」


 平和島さんは多分、目の前に私がいることを忘れているのだと思う。
 それにしても、何だかとても申し訳ない気分になってきた。
 そうか、平和島さんそんなこと思ってたんだ……確かに私を巻き込まないようにしてくれていたことへは、何か言うべきだったかもしれない。


「鈍くて、すみません……」
「別に謝ってほしいわけじゃ……あ?何でお前謝ってんだ?」
「全部口から出てましたよ」


 私がそう言うと同時に、平和島さんの表情が固まった。


「あの、せっかく配慮してくださったのに、気づけなくてすみません……」
「……お前、やっぱり何も分かってねぇな」


 徐々に平和島さんの顔が引きつって行く――これは、相当怒っているんじゃないか……?
 他に何か気付いていなことはないかと首を捻るも、気づいていないことは気づいていないからこそ気づいていないものであるため、そうすぐに思い浮かぶわけもない。
 そんなことをしているうちに、平和島さんの方から、何かが切れたような音が聞こえた。
 何も思いつかない自分の頭を恨みながら慌てて顔を上げると、平和島さんに両肩を掴まれる。こんなことをされたのは初めてだったので、心臓が大きく跳ねた。


「だから、お前がっ」
 

 真剣そのものな表情と声に思わず身体を強張らせた――のだが、平和島さんはそこから先、何も言わずに肩から手を離してこちらに背を向けた。
 …………え?


「やっぱ、何でもねぇ……」
「そんな風には見えなかったんですが……」
「っ」


 しばらくの沈黙の後、何の前振りもなく平和島さんが走り出した。って、え!? 
 

「あの、平和島さん!」


 慌ててそう呼びとめると、


「お前もうさっさとバイト行け!!」  


 と、そんな言葉が返ってきた。
 ……バイト先、入れなかったんですが……。



 (二度あることは三度ある、かもしれない)



「何やってんだ、俺は……」

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あきゅろす。
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