オフィスビルにて
「もう昼前なのに……」


 依然として千景の行方は分からないままだった。

 何度か道行く人にも聞いてみたのだけれど、もちろん芳しい収穫など得られず途方に暮れている。
 まだ探していない場所にいるのか、それともどこかですれ違いになっているのか――。
 どちらにしても、さすがに何時間と歩きっぱなしであったため、少し休もうとあるオフィスビルの手すりにもたれかかっていた。

 ちなみに、携帯電話は不機嫌を起こして仕事をしてくれない。
 いつだったかと同じように画面を真っ暗にさせて、こちらが何をしても応答してくれないのだ。
 昨日折原さんの電話は受信できたのに、それ以降は使えなくなってしまったなんて、一体どういうことだろう。そんなに折原さんが好きなのか、私の携帯は。

 まあ、仮に携帯電話が使えたとしても、電話越しでしたい話ではないのだから、探すことに変わりはない。

 それに、最後ぐらいは、私から彼を見つけたいのだ。 


「……よし」


 お店へ行く前に寄った捺樹くんのアパートで着替えた服をはたき、私は手すりから身体を離した。 

 そろそろ千景探しの続きを始めよう。 
 パンプスなんかで歩き続けているせいか足に豆ができていそうだけれど、こうしている間にも彼が用を済ませてしまうかもしれない。
 そうして、何気なく歩きだそうとしたときだった。


「――――――!」


 頭上から、怒鳴り声のようなものが響いてきた。
 何だろうと見上げてみると、あるのはついさっきまで身体を預けていた素っ気ない色のオフィスビル。
 さすがに何を言っているのかは分からなかったが、それがとても剣呑とした雰囲気であることだけは理解できた。
 ゴールデンウィークに出社して、さっそく怒られてしまったとか、そんなところだろうか。
 だとしたら気の毒だなと呑気に考えて、数歩歩きだしたとき――今度はガラリと窓が乱暴に開けられたような音が、後方斜め上から聞こえてきた。

 それ自体に、変わったことはなにもない。
 けれどなんとなく気になって振り返り、三階分ほど見上げてみれば、人間の形をした影が飛び降りて――きた。


「な、」


 にこの状況――?
 そう言葉に詰まりながら唖然とその様子を見つめている中、真っ先に目がいったのは今朝も見かけたバーテン服。
 次に気付いたのは着地の衝撃でずれてしまっているサングラスと明るい金髪だった――ということは、あの人、


 平和島さん?



 ♀♂



 同時刻 池袋某所 オフィスビル



「……………………あ?」



 アカネやユウキに関する臨也への憤りに比べ、思いのほかあっさりと開いてしまった扉の向こうには、一見理解できない光景が広がっていた。
 今朝静雄が走り回っている中で見ていた景色とは、一選を画して非日常なそれ――奇妙な形へ変形した、かつて人間だったものが室内にあった。
 ひとつはテレビの前にあり、ひとつは椅子にもたれかかり、ひとつは壁にめり込むように、各々原形を留めない惨い状態で息絶えている。


「……」


 久々とはいえ死体を見た経験のある静雄が酷く混乱することはなかった……のだが、さすがにその場で立ちつくし、一度思考が途切れた。
 しばらくしてようやく自分の置かれている状況を認識し始めると、驚きと同時に様々な疑問が湧きあがってくる。
 どうして臨也の事務所に死体があるのか、むしろここは本当に臨也の事務所なのか――そこまで考えたところで、背後から怒声が聞こえてきた。 
 しかし、その怒声を発した若者は、静雄の姿を見るや否や動揺を露わにし、次に周りの惨状に気づいて、目を見開く。


「お、お、おま、て、てめ、てめ……て……てめえ……」


 そう呟きながらもうろたえるようにして彼は部屋から逃げ出した。
 もちろん静雄が事情を伝える暇もなかったため、このままここにいればどうなるのか、それは容易に想像がついた。 
 それと並行して、顎に手を当てながら、ふとあることを思いつく。

 ――つーことは、俺は臨也にはめられたってことか。

 いつもの静雄と比べれば比較的冷静な様子で舌打ちをした後、静雄は迷わず室内にあった窓に手をかけ、やや乱暴にそれを開いた――その直後、彼は何の躊躇もなくそこから飛び降りた。 
 入ってきた時と同じように階段を使っている暇はない。そう判断しての行動だったのだろうが、これは静雄だからこそできた逃亡方法だったろう。
 真っすぐに自分の落ちる場所へしか目を向けていなかった静雄が、何の痛みや痺れも覚えていない様子で顔を上げると……。


「…………」


 ほんの数メートル先で、ユウキが目を見開きながら静雄を見つめていた。

 ――なんでこいつが……っ。

 状況が状況であるのに加え、顔を合わせるのをできるだけ避けたかった静雄も数秒立ちつくしてしまった。
 が、ふと我に返って、周囲を見渡す。まだ本格的に何かに追われているということはなさそうだが、あと数分もすれば黒い背広を着た連中がここへ集まって来るだろう。
 そう考えれば、ユウキをここに残して逃亡するわけにはいかなかった。静雄の知り合いだというだけで、ユウキに接触してくるかもしれない。

 とにかくこの場から連れ出そう。
 そう決めれば行動に移すのは早かった。ユウキの左手をとって、駆けだすために一歩前へ踏み出す。
 しかし、状況を理解していないユウキは、当然すぐについてこようとはせずに「あの、何かあったんですか」オフィスビルと静雄を見比べながらそう言った。
 

「説明してる時間がねえ」


 言葉不足にも程がある物言いになってしまったが、静雄ひとりならともかく、ユウキを連れて逃げるためには時間がいくらあっても惜しかった。
 そんな考えから出た静雄の言葉をどう思ったのか、ユウキは僅かに眉を潜めながらも、


「わかりました」


 静かに頷いた。
 静雄はその返事に安心して直ぐにユウキの手を軽く握り直し、目の前にある歩道を駆けだした。



 (オフィスビルにて)



 鉢合わせ。

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