血の流れる夜に。


 ※痛・流血注意



 夕方 池袋某所



「店員さん、みーつけた!」


 千景と今生の別れかと思うほど重々しい別れ方をしてしまってから(決して大袈裟な表現ではない)、池袋をぼんやりと歩いていれば、背後からそんな風に声をかけられた。
 と同時に勢いよく抱きつかれ、体勢を崩した私は何の抵抗もできず地面に倒れ伏す。咄嗟に手は伸ばしたけれど、倒れたことに変わりはなかった。
 ……膝や腕が、凄く痛い。


「えっ、え!?何かいつもより身体軽くない?すとんって倒れちゃったけど、店員さん調子悪いの!?」
「先(まず)……謝(あやまらないと)……」
「こればっかりはクル姉の言うとおりかも!ごめん、店員さん!立てる?手貸した方がいい?」
「傷(怪我)……負(してませんか)……?」
「……大丈夫」


 痛む身体の節々を押さえながら立ち上がると、やはりそこにいたのはクルリちゃんとマイルちゃんだった。
 お揃いのパーカーがとても可愛い。いや、パーカーがなくったって二人はいつも可愛いけれど……。
 手にいくつか荷物を持っているので、買い物帰りかもしれないと思いながら、小さく鼻を啜る。
 

「っていうか、目赤ッ!誰に泣かされたの!?イザ兄?イザ兄が何かした?静雄さんに言えば、すぐに殴ってもらえるよ?むしろ、私が飛び蹴りしに行ってもいい!?」
「いや、原因折原さんじゃないから……」
 

 いろいろと意識が浮ついている中でそう言えば、クルリちゃんとマイルちゃんが困ったように顔を見合わせた。
 心配してくれるのは嬉しいけれど、わけを話すのは少しばかり気が引ける。というか、また私が泣きだしかねない。今は尋常でなく涙腺が脆い。
 溜め込んでいた物が一斉に溢れだしてしまったような、抑えようのないものがある。

 だから、そんな姿を見られる前に、早いところ二人と別れようとした時だった。


「……じゃあじゃあっ、今から一緒にご飯食べに行かない?」
「甘(美味しい物)……食(食べに行きませんか)?」


 二人はそう言って、左右から挟み込むように私の腕を掴んだ。身動きが取れない体勢、というかマイルちゃんの力加減がおかしい。若干痛い。


「それに、ご飯って……」


 せっかくだけれど、今回は遠慮したかった。
 とても二人の会話に付き合える自信がない。ほぼ半日歩き続けていた所為か、大泣きをした所為か、酷く身体も疲れていた。
 そう考えて首を横に振りかけると、マイルちゃんが「えーとねっ」と少し考えるようにしながら私の顔を覗き込んだ。


「何があったのか知らないけど、美味しい物を食べたら大抵元気になるよ!私もクル姉も店員さん大好きだから、そんな顔してほしくないし!」


 そんなマイルちゃんの言葉に、クルリちゃんもうんうんと頷いている。
 前に折原さんと喧嘩(のようなもの)してしまったときも、二人が慰めてくれたことを思い出し、何かもう本気でこの二人を妹にしたいと思った。
 

「あ、あれ?私、変なこと言った?クル姉っ、店員さん泣いちゃったよ!?」
「如……何(どうしよう)」


 困惑している二人の反応で我に返り、急いで涙を拭った。よくよく辺りを見渡してみれば、通行人の人達もちらちらとこちらを伺っている。
 そりゃまあ、双子の女子高生に挟まれて泣いてる女がいれば、気にもなるか。ひとまずそう納得して、私はよしと頷いた。


「……それじゃ、ご飯食べに行こうか」
「えっ、いいの!?」
「うん。今日は奢るよ」
「やったー!店員さん大好き!本気で付き合って!いたっ」
「謝(すみません)……」
  

 思いっきり抱きついてきたマイルちゃんの頭をパシリと叩いて、クルリちゃんが小さく頭を下げた。
 そんな光景に頬を緩ませて、二人に引っ張られるまま足を踏み出す。

  
 やっと、日常に帰って来られたようだ。



 ♀♂



 夜 池袋内某アパート


 クルリちゃんとマイルちゃんとの賑やか(過ぎる)夕食を終えてアパートに帰って来れば、もう九時近くになっていた。
 高校生二人をこんな時間まで付き合わせるのは不味かったなと反省しながら、やはり家主である捺樹くんは帰っていないだろうアパートを見上げる。
 全ての部屋の明かりが付いておらず、周囲もどこかひっそりとしていた。まあ、一昨日もこんな感じだったので、大して気にはしないけれど。

 そういえば、私の知り合いの女の子って、やっぱり年下が多いと思う。元から人間付き合い豊富とは言えないが、年の近い人とも仲良くなりたいなと今日改めて感じた。
 年の近い人なら、今日あったようなことも相談しやすそう……でも、年の近い人って、誰だろう。


「あ」


 すぐに思い浮かんだのは、狩沢さんだった。あの人なら、離れていたとしてもほんの少しの差だろう。おまけに話しやすいし、相談もしやすそうだ。
 そうとなれば、折原さんが迎えに来てしまう前に、一度くらい会っておきたい。善は急げというか、年の近い人ともっと親しくなれたら嬉しいという高揚感から出た結論だ。
 捺樹くんの部屋がある二階を目指して階段を上りつつ、携帯電話と部屋のカギを手提げ鞄から捜す。
 どちらもすぐに見つかったので、鍵を片手に突如(画面の)明るさを取り戻した携帯の中から(気まぐれすぎる……)、いつだったかに交換した狩沢さんの電話番号を検索した。

 向こうの都合は大丈夫だろうかと考えながら、通話ボタンを押して数回コール音を耳にする。
 階段を上り切り、捺樹くんの部屋の前に辿りついた辺りで、


『はいはーい?』

 
 機嫌の良さそうな狩沢さんの声が聞こえてきた。
 まずはそのことに安心し、扉の鍵を開けながら「夜にすみません」と返事をする。


『いいっていいって、私夜型だから。それで、どうしたの?恋愛相談でも何でも聞いちゃうよー』
 

 恋愛相談という部分だけやけに具体的だった。もしかすると、ノンちゃんは千景を連れだしたあのときに、何か話していたのかもしれない。
 ……だとしたら、何もかもがお見通しのような気がする。


「ええと……何と言うか、ちょっと違う気がするんですけど――」


 解錠したドアノブに手をかけて、話しながら扉を開けると、

 目の前に黒い『何か』が広がっていた。
 
 そして、その『何か』の正体を確認する暇もなく――



 ガシャンと陶器のような物の割れる音が、頭上から聞こえた。

 厳密には、自分の頭から聞こえてきた。


 
 それと同時に襲ってきた激しい痛みに、声も出せず視界をぐらつかせる。
 何が起こったのかもわからないまま地面に崩れ落ちると、ボタリと赤い滴が落ち、その場に赤黒い染みを作った。


 血。


 私の、血――だ。


 遠くから聞こえる狩沢さんの声に、遠のきかけていた意識を何とか自分の中に押し留める。
 頭は割れてしまいそうな程、痛い。痛すぎて、上手く声が出ない。いっそ意識を失ってしまった方が楽にも思えた。
 荒い呼吸を繰り返して、取り落としていた携帯電話に手を伸ばす、と「ひ、いッ」あれだけ出なかった声が、自然と喉から吐き出された。

 急に視界へ入り込んだ刃が、私の腕を一閃したのだ。
 切られた直後に焼けるような痛みを感じたが、傷は深くないのか服にじんわりと血を滲ませるだけだった。

 
 ヤバイ

 マズイ

 これは、駄目だ――。


 私の頭を殴り、腕を切りつけた相手を確認する時間はなかった。一刻も早く、ここから逃げなくてはいけない。
 このアパートの誰かにこの状況を伝えられたら、警察を呼んでくれるはずだから、早く、はやくにげないと。
 

 ――そう思った私は、酷く考えが足りていなかった。


 このアパートは、まだ九時だというのに、どれ一つとして明かりの点いている部屋がないことを忘れてた。
 頭を殴られ、意識も途絶えかけている人間が、ナイフを持っている輩相手に逃げのびられるわけがなかった。 


 結果、私は玄関すらも出られることなく胸倉を掴まれ、無理やり立ち上がらせられた挙句、


「い、ッぁ――――!?」


 先ほど腕を切られたより、さらに痛みの増したそれが横腹に走った。
 痛みという刺激のせいで一瞬意識が覚醒し、目の前にいる人物がまともに私の眼へ映り込む。
 黒いニット帽を眼深く被った、同じく黒い作業着を着ている背の高い男だった。誰という特定はできない、自分の知っている人間なのかもわからなかった。
 
 叫ぼうにも痛みと恐怖と胸倉を掴まれるという体勢の所為で、息をすることもままならない。
 私を片手で掴んだまま移動を始めた相手に、自分はどうなるのかと遠い意識の中で考えた。

 どうして、私はこんな目に遭っているのだろう
 やっと、千景とも話ができて
 これからって時に
 どうして


 ずるずると引きずられていた爪先が、不意に地面を離れた。

 爪先どころか、自分の身体が今、相手の片手だけで支えられていると言うことに気がついた。

 
 ――まさか。


 ゆっくりと背後を振り返れば、そこにあるのはついさっき自分の上っていた階段があるだけ。
 最悪な考えが頭をよぎる。
 男が手を離すだけで、私はこの段差を転がり落ちてしまう。打ちどころが悪ければ、死んでしまう。


「ぃ、や……」


 死にたくない。
 まだ、死にたくない。
 もう、死にたくない。
 死にたくない。
 死にたくない、 

 死にたくない――っ


 走馬灯のように「死にたい」と願った一年前の屋上を思いだした瞬間、


 身体が宙に放り出された。



 
 ♀♂  


 

 同時刻 池袋 某喫茶店前  
 
  

「……やっぱ、いねーか」


 『close』というプレートの掛った扉を見て、静雄は僅かに息をついた。

 茜との一件に無事片が付いた彼は、再び堂々と表通りを歩けるようになっていた。
 しかし、昼間逃走中に別れたユウキのことが気になり、彼女の携帯に電話をかけたのだが、電源を切っているのか全く連絡が繋がらないでいる。  
 そこで彼女が今、臨也のマンションにいないことを思い出し、昨日聞いた宿泊先の家主だというユウキのバイト仲間を探しに喫茶店までやって来た。
 のだが、見当違いだったのか、店の中には誰もいない。

 ――何か嫌な予感がするんだよな……。

 言いようのない不安を覚えながらも、その場を去ろうとした時。
 静雄の携帯が着信音を鳴らし始めたので、彼はすぐにその相手を確認した。

 そこに表示されているのは見覚えのない番号だった。
 首を傾げながらも通話ボタンを押すと、


『あんた、平和島静雄だよな』


 早口で捲し立てるような、男の声が聞こえてきた。


「……誰だ?手前」
『野崎ユウキのバイト仲間みてーなもんだよ、ほらバンダナの』
「ああ……そういや、いたな」


 いたな、というより、自分が探していた相手だと気付いて、静雄は携帯を壊れない程度に握り直す。
 そして、ユウキのいるアパートの住所を聞こうとしたとき、向こうの息が妙に荒いことに気がついた。
 が、そのことを聞き出す前に向こうが口を開き、とある住所とそこへの行き方を早口で伝えてきた。

 ――何だ?こいつ。

 そう静雄が怪訝そうに眉を潜めると同時に、


『今すぐ、そこに行ってくれ』


 早くいかねーと、


『野崎が死ぬぞ』
「あ?」
『いや、死にはしねぇが、半殺しぐらいの目には遭う』
「……どういう事だ?」


 現実味も何もない話に、静雄は顔をしかめた。
 いきなり親しくもない相手から、ユウキが死ぬ、半殺しの目に遭うと言われたのだ。そこでああそうですかと頷ける程、疑いを知らない人間などそうそういない。
 
 しかし、例の嫌な予感は強みを増していた。


『さっさと行けってッ』


 張り上げるような声の後、向こうから呻くような声が聞こえてくる。
 さすがに相手が冗談を言っているようには思えず、携帯を耳から放さないまま、静雄は言われた場所へと走り始めた。
 

「っ何であいつが、そんな目に遭うんだよ」
『……ンなもん、決まってんだろ』 


『折原臨也の、とばっちりだ』


 そう言ったきり通話は途切れ、静雄がとあるアパートの階段前で倒れているユウキを見つけるのに、そう時間はかからなかった。




 (血の流れる夜に。)




「これで少しは懲りたでしょう。」
11.08.15 ST!×6 end. To be continued…

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