思い知れと誰かが言った

『こんにちは、情報屋さん。ちょっとした吉報、いえ貴方にとっては凶報をお知らせしようと思いまして』


 電話越しでもよく分かる機嫌のよさで、臨也の通話相手はそう切りだした。
 当の臨也はと言えば、今しがた事態収拾のついてしまった今日の出来事について、苛立ちながらも僅かに歓喜している最中だった。
 帝人がブルースクウェアと手を結んだことは臨也にとって好ましい状況である反面、静雄が粟楠会から逃亡する際、とうとう暴力を振るわなかったことは予想外だった。

 そんな中かかって来た、一本の電話。  
 もう二年近く定期的に聞かされる声へ、臨也は相手が名乗らずともその名前を知っていた。

 文瀬雪子。

 現在関東のとある大学に通っている女子大生だ。
 臨也と連絡を取り合える時点でまず普通の女子大生ではないのだが、彼女は臨也の弱みを握っていると言っても過言ではない希有な人間だった。
 もちろん臨也自身も文瀬のやってきた、表沙汰にできない行為の数々を知っている。
 だから、お互い自分のために強請ることもなければ、強請られることもない――そんな関係を維持している。

 そんな文瀬は普段雑談すら取り合わず、依頼だけを伝えてくる相手なのだが、明らかに今回の目的は依頼ではない。
 そう臨也が返事もろくにせず、何を言い出すつもりなのかと相手の言葉を待っていれば、


『野崎さんと六条千景君は、無事和解したようですよ』


 文瀬は相変わらずな調子で、そんなことを言った。


『情報屋さんの指示通り、昨晩彼女の携帯に電話をかけたわけですけれど、それって二人の仲を拗れさせる為のものですよね。でも私、二人が公衆の面前で抱き合っている姿を目撃しちゃいまして』


 あ、後で証拠の写メ送りますから。
 
 と、含み笑いを洩らしながら語る文瀬へ、臨也は小さく眉を潜めた。
 六条千景とユウキが和解することぐらい、昨晩の彼女との通話で分かり切っていたようなものだ。快いものは少しも感じないが、驚く要素はない。
 それよりも、彼女が二人の姿を見たということの方が気がかりだった。


「君、今日池袋に行ったのかい?」
『ええ、行きましたよ。だって、六条千景君をけし掛けたのは私ですから。結果は見届けないと』
「……けし掛けた?」


 思わず臨也が聞き返すと、文瀬は満足げにうふふと笑った。
 文瀬にはユウキと六条千景に恨みを持ち、ユウキの親友である桃里を死に追いやってユウキ自身をも追い詰め、六条千景との仲を引き裂いた過去がある。
 臨也が知恵を貸したとはいえ、文瀬は確かに二人を憎んでいた。それが今になって何を言っているのか、臨也にはまったく不可解だった。

 
『そうですよ、彼が知らない野崎さんの過去を全部暴露しました。ああ、貴方のことは何も話していませんので、安心してください』
「それはありがたい話だけどね、俺は君の魂胆が聞きたいんだ。罪滅ぼしでもするつもりかい?」
『まさか。あれは野崎さんが悪いんですよ、当然の報いです。彼を恐喝しようだなんて、私としては死んでもらいたいぐらいですから』


 さも当たり前のように話す文瀬に、いつも通り彼女の思考回路は異常だと臨也は苦笑した。   
 その『彼』というのは、亡くなってしまったユウキの友人に暴力を振るっていた男なのだが、文瀬の目にかかれば全て『彼』以外が悪いと解釈されるらしい。
 彼を貶めようとする人間がいようものなら、すぐさま見つけ出し「じゃあ、死んでください」と笑顔でナイフを振り上げかねない。

 もつれた愛情表現をする人間など幾人も見てきた臨也だが、その中でも文瀬は飛びぬいて歪んでいた。

 その彼女が、何を思ってそんなことをしたのか。興味はあるが、またユウキが苦しむ羽目になるのかと思えば、そうそう面白がってばかりもいられなかった。
 もう臨也にはユウキの過去を利用して、彼女の苦悩する姿を眺める事に魅力を感じない。
 彼女の中で、過去が恐怖の対象というだけではなくなってしまったと知っているから。

 
『私はですね、情報屋さん』


 文瀬はそう笑みを交えて、  


『貴方が彼女を一番苦しめられると思うんです』


 真意の分からない言葉を口にした。


『私はいつだって野崎さんの不幸を願っています。私が死ぬか、彼女が死ぬまでずっとそうです。彼女だけでなく、六条千景くんも、『彼』の妨げになった全ての人間にはずっと苦しんでいてほしいんです。でも、人を殺すのはリスクが高過ぎますよね。臼谷さんのときだって、簡単じゃありませんでしたから。だからせめて、苦しんでもらいたいんです。ずっとずっと、死んでしまうまで』

 
 とんだ暴論を冷静に語る文瀬に、臨也は何も答えない。


『情報屋さん、貴方は折原臨也さんらしくもなく、野崎さんに執着しているそうですね。それは彼女が興味深いからですか?傍に置いて眺めていたい程に、興味深いから、ただそれだけですか?違いますよね。貴方は彼女を愛しているんでしょう。否定したって私はそう解釈します。人を愛する気持ちだけは、これ以上なく理解していると自負していますから。でも、貴方が傍にいればいる程、彼女は酷い目に遭うでしょうね。同じようなことを別の人からも忠告されませんでしたか?されたでしょう?年上の方にこんなことを言うのは何ですが、貴方達は相当危ない橋を渡っています。そろそろ落ちる頃じゃないかとすら思っています。もっとも、これはただの予感ですけれど、確信に近いものです。

 貴方は野崎さんを不幸にする。

 だから、私は貴方がやりやすいように六条千景君との仲を思い残すことなく、潔く終わらせるお手伝いをしました。貴方の傍に居続けられるよう、誘導したんです。ですから、情報屋さん。ずっと彼女の傍にいてあげてください。他の誰が貴方と彼女の仲を壊そうとしても、私だけはずっと応援していますから。それと、六条千景君に関してまた野崎さんを巻き込むかもしれませんが、そのときは許して下さい。友人という関係も壊すだけなので、貴方にはむしろ好都合のはずですけどね。それでは、今後ともよろしくお願いします』


 そう一方的に喋り続けた後、文瀬は通話を切った。
 通話停止の電子音が鳴り続けている中、臨也は薄い笑みを口元に浮かべる。
  

「……セルティも九十九屋も文瀬雪子も、俺を何だと思ってるんだろうねぇ」


 過去にユウキとの関係へ口出しをしてきた相手を思い浮かべながら、自虐的に独り言を呟く。

 確かに何度も彼女を苦しみの中に突き落としている様を見れば、誰だって口を挟みたくなるだろう。
 お前は何がしたいんだと、何を求めているんだと言うだろう。
 好きなのか嫌いなのか愛しているのか壊したいのか楽しませたいのか苦しめたいのか幸福にしたいのか不幸にしたいのか――。
 
 ふと、三月にユウキから問いかけられた言葉を思い出す。


 「私と折原さんの間にあるものは何ですか」
 

 ――じゃあ、逆に教えてくれ。

   
 言葉通りに送られてきたメールを開き、彼女が泣きながらも幸せそうにしている姿を見て、臨也は携帯を強く握りしめた。


 ――俺は彼女をどうしたいんだ?



 (思い知れと誰かが言った)


 
 答えが出るのは×日後。

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あきゅろす。
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