顔を背け続ける
 同日夜 某アパート内




「捺樹くん、本気で帰って来ないつもりなんだ」


 部屋に掛かっている時計では、すでに午後10時半を指していた。
 12時には寝てしまうつもりなのに、部屋の鍵をを全部私なんかに預けてしまって本当に良かったのだろうか。
 まあ、帰って来られたら来られたで少し困ってしまうのだけれど。
 寝間着姿でそんなことを思い、うんと頷く。こんな恰好、折原さん以外に見せたいとはあまり思えないし。
 

「って、いやいや」


 それじゃまるで折原さんに寝間着を見せたい、みたいな意味になってしまうじゃないか。
 そうではなくて、折原さんは勘定外というか論外という意味の『折原さん以外』だ。むしろ向こうは見飽きていると思う。
 ……私は一体誰に向かって弁解しているのだろう。


「独り言が多い……」


 ゴミ袋や他人の家であるためどうすれば分からない雑貨が乱雑しているこの室内。
 そこで自分の声だけが響いているというこの状況は……ううん、何だか凄く寂しい人みたいだ。

 捺樹くんはテレビを部屋に置かない主義なのか、本当に室内が静かで寂しい。
 帰った場所へ当然のように会話をする相手がいる――そんなことに慣れてしまった自分はとても恵まれているのだろう。
 三月に一人でいたときは、何だかんだ言って隣に平和島さんがいたからなあ……。そうぼやいて、もうひとりにはなれないなと実感する。
 そんな自分が、私はあまり嫌いじゃない。


「寂しいときのインターネットコミュニケーション」


 じゃじゃーんというわけでもないが携帯を取り出し、お馴染みのチャットへ接続を開始した。
 千景はちょっとさすがに、今朝の今なので気が引ける。


「…………」


 言葉にはしないけれど一気にいろいろなことを思い出しかけて、それを止めるよう首を横に振った。
 正臣くんが行ってしまった時に、自分も過去と向き合わなければいけないと考えたけれど、まだもう少し待ってというのが現状。
 曖昧なこの状況を好むのは、やっぱりただの逃げでしか「ん」

 半ば故意に思考を妨げるように声をあげ、首を捻る。
 ネット接続をしたはずのそこでは、『お使いの端末では入室できません』の文字が表示されていた。


「入室拒否されてるってことかな」


 チャット部屋の不調が原因でない限りは、そうとしか思えない。
 入室拒否だなんていう芸当は、チャット部屋の管理人しかできないはずだ。つまり、甘楽さんが。

 というか、折原さんが何かしているとか。

 そこまで疑ってもいいものかと思いつつ、私は一度接続を切り、電話帳を開いた。



 ♀♂



『折原さん、いつものチャット部屋で不具合とか、起こってませんか』

「こんな時間に何かと思えば……別に不具合なんて起きてないと思うよ。俺は入室してないから、本当にそうかは分からないけど」

『そうですか。でも、どうしてか私の携帯から入室できないみたいなんですよ。こっちの不具合でしょうか』 

「まあ、俺が君の端末をブロックしてるから当たり前だろうね」

『…………何で』

「俺は今君と普段通りに会話ができない。それなのに、チャットのメンバーは普通にレスが交わせる。これ、おかしいと思わないかい?」

『おかしいのは折原さんの持論です』
 
「手厳しいなあ、君好みのストレートさを狙ったのに」

『ストレートなんですか、これが』

「俺にしてはね」

『まあ、その通りですけど』

「寂しいならもう寝たらどう?さすがに俺もずっと話し相手はできないよ」

『さらっと入室拒否は続行する流れにしようとしましたね』

「仕方ないねえ……今はそういう設定いじれる状態じゃないから、明日には直しておくよ」

『……そんなに忙しいんですか』

「ここ数日が山場って感じかな」

『なら私、なおさらいた方がよかったんじゃないですか。家事までこなすのは大変じゃ……』  

「いや、適当にやってるからそこまで大変でもない。一応君が来るまでは自分でやってたことだからね」

『それもそうですね』

「そこはもう少し食い下がらない?」

『食い下がったところで何にもならないのは知ってますから。というより、折原さん大分疲れてませんか』

「自覚はしてないけど、どうして?」

『言動が変に優しいうえ、思わせぶりが過ぎてます。今度こそおやすみなさい』


 妙なところで会話を区切り、彼女は通話を切ってしまった。
 変に優しいうえ思わせぶりか……まあ、狙っているのがその辺りのものなので間違ってはいない。
 通話画面から開きっぱなしのチャット部屋へと向かい、携帯端末の画面越しにチャットの様子を見ていると、隣からクツクツという笑い声が聞こえてきた。


「何がおかしいんだい?捺樹君」
「おかしいんじゃなくて、呆れてるんすよ」


 特に特徴もない普通の扉の前に胡座をかいている彼は、そう言って地面に置いていた缶コーヒーを一気に飲み干す。
 

「普段通りに話せないのはあんたがそうしてるからじゃないですか。野崎への距離は扉一枚越し、何の障害にもなりゃしねえ」


 鍵も持ってんだから。
 へらへらとした芯のない声ではあるが、呆れているという感情が伝わるには十分な言葉だった。
 彼の言うとおり、俺は彼女の(正確には遠野捺樹の)部屋の前に立っている。そろそろ30分が経つ頃だろう。
 目的は彼が俺の指示通りに動いてくれているかという確認のためだったが、何となく長居をしてしまっていた。

 
「そんなに心配なら、俺なんかに見張りを任せるもんじゃありませんて。そもそも、見張りなんて行動自体意味ねえっすよ」
「まあ、俺もここまでするのはどうかと思ってるさ。ただ最近、物騒な噂を聞いてねえ」


 そう一ヶ月前の九十九屋の忠告を思い出し目を細めていると、隣の彼は「過保護って奴か」と呟いていた。
 全く隠す気のない独り言だ。聞こえなかったふりをして視線を画面へ向け直し、しばらく無言でいると、


「あんたさ、本当にあいつのこと好きだな」

 
 飄々とした調子で遠野捺樹がそう言った。


「そこまで好きなくせに、よく同棲なんかして普通に暮らしてるなー。そこだけは感心できる、あ、今のなし。感心できます」
「誰も言わなかったことを平然と言うねえ」
「ここまで不自然なことに誰もつっこまなかったんすか。俺にはあんたが『好きだから』とか『モラル的に』って理由で手を出さない男には見えねえんすよ」
「よくデリカシーがないって言われないかい?」
「前の彼女にはそう言って振られました」
「その子に同情するよ」


 室内から聞こえる微かな物音を聞きながら、別段何も考えずに言葉を紡ぐ。


「好意云々は置いておくとして、俺がそんなことをしだしたらユウキは本気で抵抗するに決まってるだろう?」
「そりゃ普通の女はそうでしょうよ」
「人の嫌がることはしない。小学校で習うことだ」
「あんたにそれを言える権利があると」
「ないね。俺にはその権利がないと同時に、君の質問へ答える義務もない」
「そうっすか」


 簡単に納得した彼はそう頷き、


「まあ、ずっとこのままでいるのは無理だと思いますけど」


 きっと何の根拠もなく、無責任な言葉を吐いた。




 (顔を背け続ける)




 現状維持など続かない。

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あきゅろす。
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