池袋100日戦線
 数時間後



 テレビの前に置かれているソファで、折原さんと私は微妙な間隔を空けテレビを眺めていた。
 それはもう、数時間前にあったことなどまるでなかったような落ち着きっぷりで、ぼんやりと。
 私なんてあれほど戸惑っていたというのに、今では風波一つ立たない心境にまで達している。

 いや。
 なんかいろいろあった後に(ハグ的なあれ)身体が解放された瞬間、しれっと何事もなかった様子で部屋に戻って行ったり、
 私がどぎまぎしながら夕食の用意をしている間にも平然と仕事をしていたり、数日前と変わらない会話をしながら夕食を食べていたりする折原さんを見ていたら、

 冷めた。

 むしろ緊張していること自体が恥ずかしくなってしまった。
 和解(か?)できたのはよかったけど、肩すかしと言うか、え?終わり?みたいな。
 いっそ「別に私も緊張なんてしてませんでしたけど。だって、いつものことじゃないですか」と言いたくなった。
 こうして人は捻くれて行くのだろう。なんて、人のせいにしてみる。…………はあ。


「ユウキ、それ不味い?」


 別段気にしているわけでもなさそうにしらっと言った折原さんへ、


「おいしいです」


 真似してしらっと返事をした。
 一体何を食べているのかと言うと、折原さんが作ったフレンチトースト。
 なぜこんな時間帯にフレンチトーストを作ろうとしたのかは私にもわかりかねる。
 まあ、夕食後のデザートにしてはやや重いけれど、折原さんの作ったものなんて滅多に食べる機会がないのでありがたく頂いた。
   
 今夜ばかりはカロリーに目を瞑って、もくもくと口へ運ぶ。
 

「ならいいけど」


 折原さんがそう言ったとき、番組の合間にあるニュースが終わって次の番組が始まった。
 派手なバックミュージックと共に出てきたクレジットには、『池袋100日戦線』。

 
「折原さんって、本当に池袋が好きですね」
「いや。好きとはちょっと違うかな」
「そうなんですか」


 私はここ1年、そうだとばかり思っていたのに。
 視線はテレビ画面に向けたまま、相変わらずな笑みを浮かべてその人は頷く。


「俺の知り合いに街には人格が存在するんだって言い張る奴がいるんだけど、俺はそういうのに興味はないし、
 そいつの意見に賛同するのも嫌だから、街っていう外壁はどうでもいいと思うことにしてる」
「街の人格……」
「ユウキもそんなのに興味持たなくていいよ。重要なのは街の内部にあることなんだから」
「内部にあることって、こういうのもですか」


 夜の池袋交差点を映し出しているテレビ画面を指さすと、折原さんは目を細めて「少なくとも俺は興味あるね」と小さく笑った。
 この番組、どうやら生放送で池袋の様子を撮っているらしく、マイクを手にしたリポーターが神妙な口調で現在の池袋の違反運転について語っていた。
 池袋ではあまり暴走族なんて見かけないはずだけど……そんなに酷かったっけ? そう首を傾げていたとき、


「あ」


 リポーターの背後に、見覚えのあるヘルメット姿とバイクを見つけた。
 それとほぼ同時にリポーターも振り返り、どう見ても夜のバイク走行には適していない(ナンバープレートやライトが付いていない)そのバイクに目をいぶかしめる。

 これは、まずい。
 リポーターの存在に気づいていないセルティさんらしきバイク乗りの身を案じていると、真横からクツクツと笑い声が聞こえた。
 折原さんが、面白そうにセルティさんへ近づいていくリポーターの様子を眺めている。……楽しそうだなあ。


『数年前から目撃されている黒バイクというのは、貴女の事で宜しいんでしょうか?一体なんの目的で、こんな危険なバイクで街を走行しているんですか?』
  
  
 リポーターがそう聞いた瞬間、とてもバイクのエンジン音とは思えない獣の唸り声のようなものが鼓膜を震わせる。
 まあ、本当にバイクではないのだから仕方ない。セルティさんがデュラハンと呼ばれる存在であることを知っている人間ならそう納得できるけど、
 そんなこと知る由もないリポーターは十分に驚いたらしく、一瞬ビクリとして言葉を詰まらせた。しかし、そこはさすがプロ。すぐに気を取り直したように口を開く。


『なにか答えて下さいよ。あなた、自分が犯罪を犯しているという意識はあるんですか?』  
「犯罪も何も、セルティじゃナンバープレートなんて取得できないし、本来馬である彼女のバイクはライトなんて付けたがらないだろうしねえ」


 独り言に近い折原さんの言葉へ「そうですね」と適当に相槌を打つ。
 きっと、私がいなくても折原さんはこうやって独り言をつぶやいていそうだなあと思った後にその光景まで想像までしてしまって、何とも言えない気分になった。
 私がいなくてもという部分にではなくて、折原さんが独り言をつぶやいている光景という部分に。

 少しの間、考えるように黙っていたセルティさんは懐からPDAを取り出し、呆気にとられているレポーターに向けて、


『この子は馬だから、ヘッドライトもナンバーもありません』
「あの、ふざけてるんで……うわっ!?」
「わー……」


 レポーターの驚き声とほぼ同時に、画面の中で変形していく黒いバイクへ感嘆に近い声を上げる。
 一度元の大きさより2倍も膨れ上がったかと思えば、数秒後には歪な動きをして馬の姿が出来上がった。
 CGフル使用のホラー映画をいている気分だ。なぜホラーかって、馬に頭部がないから。首のところで、こう、すぱんと。

 馬の姿は、始めて見たな。
 本来は怖がるべきところなのだが、知り合いの馬であるということと、所詮画面越しに起こっていることなので、私は呑気にテレビへ見入っていた。
 逆に正当な反応を示してガタガタと震えているリポーターに、セルティさんは気にした様子もなくPDAの画面を見せていた。
 カメラの角度のせいか、何が書かれているのかは分からない。


「でも、大丈夫そうですね」


 セルティさんの存在を知っている私ですらCG映像のように思えてしまったのだし、真っ当な視聴者はただのやらせだと思うに違いない。
 テレビ撮影をしている人たちだって追う余裕なんかないだろう。
 そう安心しての言葉だったのだが、折原さんは「そうかな」と意地悪気に言う。どういう意味かと首を捻って画面に目をやると、いつの間にやら画面上にひとり登場人物が増えていた。

 白バイの男がひとり、爽やかな笑顔を浮かべてセルティさんを凝視していた。
 
 その前に何か二人の間にやりとりがあったのかもしれないが、その次に私が見たのは青になった信号先目がけて走りだしたセルティさんとそれを追う白バイ。
 CGフル使用のホラー映画は、いつの間にやらまた別ジャンルの何かへと変更していた。まあ、確かに『池袋』の『戦線』ではあるなあ。


「……あの、これ大丈夫なんでしょうか」
「さあ?セルティならうまくやり過ごすんじゃない?」


 流石にこの状況は予想できなかったなあと呟いた折原さんは、やはり楽しそうだった。


「でも、前にも追われてましたよ。セルティさん」
「そうらしいね。ユウキが見たことあるっていうのは、初めて知ったけど」
「それは、まあ」


 ここを出ていたときのことだから、言う機会がなかっただけですよ。
 なんて言うとまた空気が重くなりそうなので、


「そう言えば、あの白バイの人って有名な人なんでしたっけ」


 適当に話を誤魔化した。


「葛原金之助っていう交通機動隊の偉いさんだよ。セルティを捕まえるために投入された助っ人なんだってさ」
「なんか必死ですね」
「野放しにするわけにはいかないだろ?それにしても、こんなときにご登場とはねえ。タイミングがいいんだか悪いんだか」 


 呆れたように笑った折原さんは息をついて、そのまま画面に視線を向けていた。
 現在セルティさんはマンションの壁を駆け上がり(なんて現実味皆無な光景)、リポーターは緊迫した雰囲気で現状説明真っ最中、白バイの男は無線で応援を呼んでいる。

 今池袋に行けば、この光景がそのままあるんだもんなあ。ううん、変な気分。
 

「セルティは本当に俺の予想外の動きをしてくれるね、良かれ悪かれ」


 独り言調子で呟かれた折原さんの言葉に、少し眉を潜める。
 この人の他人の評価の仕方はどうやっても好きになれない。自分の動かす駒であること前提の話し口調は、いっそのこと嫌いと言えた。
 そして、本当に人を手ごまのように扱うのだから、どうしようもない。
 

「セルティみたいな存在は、現代社会じゃいないって事になってるのにねえ。
 むしろセルティが映画とかに出てくるような宇宙人とかだったら、国や軍が勝手にもみ消してくれるんだろうけど――――まあ、無理だろうねえ」


 そう言ってケラケラと笑う折原さんに小さく息をつき、トーストを載せていた皿でも洗おうかと立ちあがったときだった。


「お?」
『現在、黒い服のライダーは屋上に消えたまま沈黙し……あっ!』


 折原さんとリポーターの驚声にひかれてテレビに視線を向け、立ち止る。


『あれは何でしょうか!カメラ越しに解りますでしょうか!我々の頭上から星が消えていきます!黒い!黒い大きな幕が!う、うわあ!?』


 そのとき画面に映ったのは、巨大な黒い翼のようなものが緩やかに滑空していく様子だった。
 所謂ハンググライダーというやつだろうか、その中央には馬に跨った人影も見える。
 しかし、それにしても大きい。これでは「追って来てくれ」と言っているようなものだ。セルティさんがそんなことをするとは思えないのだけれど。
 
 むしろ「追って行ってくれ」と言っていたりして。

 そんなことを思っているうちにあることへ気が付いて、なるほどとひとり得意になった。
 今度こそ、セルティさんは大丈夫そうだ。
 いつの間にやら池袋から番組のスタジオへと戻っていたテレビ画面に見切りをつけて今度こそ折原さんの分のお皿も含めて手に取り、台所へと向かおうとした。
 当の折原さんは携帯画面を見つめておかしそうに笑っている。

 ……不吉だ。
 そう感じてまた足止めを食らっていると、折原さんがおもむろにこちらへ振り向いて、


「ユウキ。しばらくセルティには近づかない方がいいよ」
「?」


 言葉の是非を問う間もなく、折原さんはどこかへ電話をかけ始めたので、不審に思いながらもとりあえず台所へと向かった。

 セルティさんに、また何かあったのだろうか。



 (実録、池袋100日戦線)
   


 あの街はほぼ毎日が戦線です。

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あきゅろす。
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