いとがみえない


 同時刻 新宿 某マンション



「あなたたちの関係って、本当に面倒ね。聞いてるだけで苛つくわ」
「あ、そう。俺は君が苛ついていようとなかろうと、仕事さえしてくれればそれでいいから、どうでもいいけどね」
「私だってあなたたちの仲がいくら抉れようと気にしないけど?でも、いい加減私をあなたたちのいざござに巻き込まないでもらえるかしら。煩わしい」
「今回君に何か頼んだっけ?」
「あの子の携帯電話を見ておくよう言ったのはどこの誰?」


 デスク上の端に置かれている携帯電話を睨みながらそう言うと、臨也は波江に一瞥もくれることなく皮肉めいた微笑を浮かべた。
 以上はいつも通りのやりとりではあるが、微笑を浮かべながらもどことなく臨也の機嫌は悪そうに見える。
 臨也から愚痴るような調子で聞かされた、昨晩あったらしいことを思い出しそんなことを考えていると、


「そんなに気になるほど連絡来てないじゃん。ユウキは友達少ないんだから」
「誰もあなたにだけは言われたくないでしょうね」


 酷い嫌味を包み隠さず言う波江だが、当然臨也はそれを聞き流す。
 けれども、当の波江はそんな臨也の無反応さなど気する様子もない。

 そもそも、臨也に友達と呼べる人間がいるのかということすら疑わしい。  
 岸谷新羅とは中学生時代からの付き合いではあるようだけれど、友達と呼べるかは微妙なところだし……他にそれらしい人間なんていたかしら。
 改めて自分の雇い主の何とも言えない人間関係を確認したが、特に感じいるところはなかった。


「なら、なおさら自分で見てなさいよ。私にはあなたみたいに他人の携帯を覗き見る趣味なんてないの」
「俺にもそんな趣味はないよ。ただ、ユウキがまだ隠し事をしているようだから、その確認をしたいだけ」
「確認をするのに、どうして携帯の着信を待つ必要があるの?履歴を見ればいい話でしょう」
「彼女は小まめに履歴を消してるみたいだからねえ。変わったメールや着信がなくても、信憑性は欠片もない」
「随分と羨ましい関係だこと」


 これ以上話を続けたところで、目の前にある厄介な携帯は消えそうにない。
 そう判断した波江は臨也との会話に見切りをつけて、手近にあったファイルを取り出そうとした。
 のだが、足元に置いていた鞄からバイブ音が聞こえてきたため、その動作は中断し、やや急いた様子で鞄から携帯を取り出す。
 そのまま着信相手を確認する前に席を立ち、廊下に続く扉へと向かった。


「誠二君からだといいねえ」
「あなたには関係ないわ」


 ぴしゃりと扉を閉めると同時に返答し、臨也の言葉通りというわけではないが、着信相手に期待を抱きつつ画面を確認してみると、


「…………」


 誠二からのものではなかった。
 そのため、不快感を隠さず苛立った様子で通話ボタンを押す。


「今忙しいから」後でかけ直して頂戴。と、それだけを言って切ろうとしたのだが、
『波江さんッちょっと聞きたいことがあるんだけどいい!?店員さんっていうかユウキさんのことで気になることがあるんだけど!』


 耳を塞ぎたくなるような大音量で喋る通話相手、折原マイルの間髪入れない発言のせいでそのタイミングを失った。
 臨也の妹である折原クルリとマイルに接触したのは昨日の夕方頃の話なのだが、いきなり、しかもここまで遠慮なしに電話をしてくるとは思っていなかった。
 その上野崎ユウキのこと――すぐに電話を切りたくなったが、この様子だとまたすぐにかけ直してきそうだった。


「……なにかしら」 
『えっとね!さっきお店に行ったら店員さんがものすっっごく落ち込んでたんだけど、波江さん何か知らない?イザ兄が何かしたとか、イザ兄が何かしたとか、イザ兄が何かしたとか!』


 どうやら自分が思っていた以上に、彼女たちは自分の兄を良く思っていなかったらしい。


「そんなところね、痴話喧嘩のようなものでしょうけど」
「やっぱり!?うわ、店員さん何されたんだろう…………く、クル姉ッいろいろ考えてみたんだけどえっちぃことしか思い浮かばな――い、痛い痛い!痛いよクル姉!ごめんってば!イザ兄たちで変な想像してごめんなさい!でも私が想像したのは店員さんのことばっかりだしイザ兄のことはあんまり――うわちょっと待って!もう言わないから!っていうか、クル姉そんなに店員さんのこと好きだったっけ!?」


 そこまで聞いたところで、通話を切った。むしろ、よくここまで聞いたものだ。
 軽い耳鳴りに苛まれながら仕事部屋に戻ると、臨也が薄笑を浮かべてこちらを見ていた。


「その様子だと、誠二君じゃなかったみたいだね」
「……あなたには関係ないでしょう」


 出て行ったときと同じような言葉を繰り返し、デスクに腰を落ち着けて一息ついたとき、次はユウキの携帯から着信音が鳴り始める。
 さすがに眉を潜めて数秒それを凝視していると、すぐに音は鳴り止んだ。メールなのだろう。


「誰から?」


 自分宛てのものでもないメールの送り主について、臨也は当たり前のように聞いてきた。
 その言葉に嫌々ながらもユウキの携帯を開き、メール内容へ目を通してから、呆れたように目を伏せる。 


「アドレスだから確証はないけど、平和島静雄じゃないかしら」
 



 ♀♂



「……どうしよう」


 本当にどうしよう、だ。

 マンションまで帰ってきたのはいいのだけど、肝心な玄関扉を開くことができず、その場に立ち尽くして早十分が経過しようとしていた。
 さて、どんなテンションで折原さんに会ったものだろう。テンションと言うか、そもそも言葉を交わす交わさないの選択肢から決めなくてはいけない。
 並行して、目を合わせる合わせないの審議も必要だ。いや、決して折原さんと和解したくないわけではないのだけれど、その、まあ、言ってしまえば、

 自分からは謝りたくない、だけ。

 これが単なる意地なのか我儘なのか、もしくは折原さんから何か言ってくれることを期待しているのかはさておきとして。
 本当にどうしよう。折原さんから謝ってもらえるとは元から期待していない。
 あの人がちゃんと謝ってくれたことなんて、ひとつ、ふたつ、みっつ……もない。一回だけだ。オンリーワン。
 罪歌の女の子に襲われた時だけ。そう言えば、あの子も平和島さんにぶっ飛ばされてしまったのだろうか。

 じゃなくて。

 そうじゃなくて、折原さんのことを真面目に考えよう。


「っていうか、ここは私が大人になって妥協するべきなのかな」


 そう独り言を呟いてみると、案外それは響きの良いものだった。
 となれば、この先は簡単だ。
 扉を開ける、仕事場へ行く、冷凍食品ならぬ冷蔵食品を出してしまったことに加えて帰りが遅れたことを謝る。
 そうすればきっと、仕方ないから許してあげるけど、みたいなあくまでも上から目線な折原さんと和解できるはずだ。

 なんだかんだと言ったところで、あの人と私の関係性は、そういうものなのだし。
       
 自虐ネタが多いなあと自分の言ったことに落胆して、玄関を開けると「ん――ん、んえッ」変な声が出た。
 普通ならば「んえ!?」と叫びたいところなのだけれど、どうにも私は語尾調子がおかしいためにそんな声が出てしまった。
 
 落ち着け。
 まずは順を追って、扉を開いてからのことを思い起こそう。

 玄関を開けた、視界が真っ黒になった、誰かに抱きつかれた(抱きしめられた、という表現はてこでもしたくない)ことに気が付いた、この部屋でそんなことをする人は?
 アンサー、折原さん。
 
 驚くなと言う方がどうかしている。


「なに、が、どうしましたか」


 私は女としても背の高い方ではないので、頭一つ分以上背の高い折原さんの表情など見えるわけもなく、ひたすら無言のその人に慌ててそう問いかけた。
 いつもの冗談か、あるいはセクハラか……なんて冷静に考えることができず、脳内はひゃーとでも表現するのが一番しっくりくる状況だった。
 背に回されている腕の感触がだんだん強くなってきて、むしろ痛いと感じ始めてきたのだけれど、それよりなにより心臓が仕事をしすぎて死ぬかと思った。
 つい数日前にされたアウトラインをぎりぎり越えてしまったセクハラよりも、どきどきした。カタカナで書くと露骨だから、あえてのひらがな。
 
 
「あ、あの、本当にすみませんでした」


 抱きつかれていなければ腰を直角に折って謝っていただろう。
 他に言うこともなく、ただ沈黙が怖かったので、それをどうにかするために私は謝った。
 
 本当に、わけがわからない。
 もしかして、この人は折原さんじゃないんじゃないかと思うほどに、わけがわからない。


「聞いて、ますか」
「聞いてる」


 この日初めて聞いた折原さんの声は、嬉しいとも苛立ちとも楽しいとも違う、よくわからない感情を帯びていた。


 (いとがみえない)


 私には見えない、分からない。

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