周知のことですから



 翌日 夕方



「これ、どうかな」
「俺が見てやったんだから、不味いわけがねえ」


 いっそ頼もしさを感じる捺樹くんの言葉によしと頷き、お店に来るまでに買っておいたラッピング用の小物をテーブルへと広げた。
 昨晩のチャットでセルティさんからアドバイスされた通りプリンを作ることにしたのだけれど、マンションで作るとなれば折原さんの目が気になるので、
 店主さんから許可をもらってお店が閉まってから店内の厨房をかりることにした。
 最初はラッピング用品と同時に買ったレシピを見て黙々と作り、専門料理だからなのか何なのか、駄目だしをしてきた捺樹くんにアドバイスをもらいつつなんとか完成できた。 

 そして、包装も終えて辺りが暗くなり始めた頃。
 メールで教えてもらった平和島さんの都合の良い時間帯に、そのまま直帰できるよう支度をしてお店を後にした。
 一番厄介である折原さんに関しては、店主さんと捺樹くんさえ口を噤んでくれればそうそうばれるはずがないので、そのことへの口封じほどの対策しかしていない。
 口封じと言っても口約束でしかないから、心もとないけど。……でも、あの人は私が自転車に躓いて転んだなんてどうでもいい情報にまで精通しているからなあ……。

 そんな不安を感じつつ、新宿へ向かう道とは反対方向にある待ち合わせ場所へとさくさく歩く。
 学校帰りの学生や辺りをうろついている若者、仕事帰りの人たちとすれ違いながら、特に変わりのない街の喧騒だけを耳に入れる。
 一年前にここへ来た時は、以前来た時とまるで変化のないこの街が羨ましくて仕方がなかったけれど、今はここがどれだけ不安定な場所なのかよくよく理解できていた。
 だから、こんな風に『変わりない』と言えるのは、一種良いことなのだろう。

 ああでも、それをよく思わないどこかの誰かさんが、身近にいたりするんだった……。
 幸せならぬ不安定のもとは、いつでも身近にあるものだ。格言っぽく言ってみたが、ため息しか出て来なかった。  
 
 そんなことを考えているうちに待ち合わせ場所へ近づいていたらしく、街灯の傍に立っているその人を見つけて、今まで考えていたことが頭の中から放り出された。

 セルティさん曰く、平和島さんの言葉の意味は私が考えないといけない。けれど、未だそれは考え中で、私の中に結論なんて出ていない。
 つまり私は煮え切らないというかグダグダというか有耶無耶な思いを抱えたままなわけで、「おい」「――ッ」反射的にも近い反応で半歩退いた。
 本当にそばから平和島さんの声が聞こえた。むしろ、本人が目の前に立っていた。


「いつの間に、こっちに……」
「こっちって、お前の方から来たんじゃねえか」


 不思議そうに首を傾げている平和島さんの言葉に、あれ?と首を捻る。
 周囲を見渡すと、確かに平和島さんのそばにあった街灯が、ちゃんと私の近くにもあった。
 歩いた記憶がないというだけで、しっかりと平和島さんの方へ向かっていたらしい。それってもう病気の域なんじゃないだろうか。
 そう冷静に考えてみればこの緊張も解けるかと思ったのだけれど、実際のところそうでもない。逆に失態が明るみになって、緊張が二乗された気分だ。


「少し、ぼんやりしてました」


 これ以上変なところをみせられない。
 強引に緊張やら羞恥やら照れを引っ込めて、平常通りの声音で答えた。
 言われた直後はそこまででもなかったのに、どうして今さらこんな風にどぎまぎしなくちゃいけないのか……自分の思考回路がほとほと理解できない。
 
 
「休憩中に、わざわざすみません」


 落ち着いた雰囲気を装ってそう言うと、


「わざわざって程でもねえだろ」


 二週間前と同じような、装いでない落ち着いた返答をされた。 


「それで、渡したいものがどうとかって言ってたよな」
「あ……そう、それなんです」


 危うく本来の目的を見失うところだった。
 持っていた少し大きめの紙袋からひとつ紙袋を取り出して、中を確認する。うん、封筒が入っているから、これが平和島さんのだ。
 その紙袋を差し出して、私は少し腰を折った。


「少し遅くなってしまったんですけど、アパートに住んでいたときのお礼をと思って、あの、いろいろとありがとうございました」


 再び顔を上げると、自然に表情が弛緩された。
 人に物を贈るというのは、意外に贈った方の人間が嬉しかったりするものだとよく聞く。多分、それだろう。
 差し出した紙袋を見つめて少しの間平和島さんはきょとんとしていたが、


「……おう」
 

 そう受け取ってもらえたので、安心した。
 緊張も少しずつほぐれてきたことだし、これなら意識せずに話せそうだ。


「中身はセルティさんからいくつかアドバイスをもらって、プリンにしました」
「セルティに?」
「はい」
「そこまで大したことしてねえのに、悪いな。気ィ遣わせて」
「いえいえ、あのときは本当にお世話になりっぱなしでしたから」


 でも、手作りだなんだよな……やっぱり、お店のものを買った方が良かったかな。 
 いやでも、私なりに頑張ったことは頑張った。それに、プロの監修付きなのだから味の保障もある。マイナスに考える要素はないはずだ。
 そうしてうんうんと頷いていると、手に持っていたハンドバッグから携帯の着信音が聞こえ始めた。

 その音を聞いて、思わず身が固まる。

 数日前。私は画面を開かなくても着信相手があの人からかあの人以外の人からかを判別するために、個別の着信音を設定した。
 で、今鳴っているのはその人用の着信音。

 帰りが遅いから、何か思われたのかもしれない。
 というか、最近折原さんからはこういう邪魔ばかりされているような気がする……そろそろ怒ってもいい頃合いだろう。
 

「……臨也か」


 どうして分かったんですかと言いかけて、今の自分の反応を見れば一目瞭然だということに気が付いた。
 平和島さんの声が、異様に低い、ような。


「そうみたいで……その、すみません。私そろそろ帰ります、またお店寄ってください」


 そんな風に半ば逃げるようにして、私は平和島さんに手を振りながら駆け足でその場を去った。
 ちなみに、平和島さんの顔は怖くてとても見ることができなかった。
 走りながらも携帯電話を取り出して画面を確認すると、やっぱり折原さんの名前が表示されていた。

 ……まさか、この電話、ばれたからかかってきたんじゃ……。

    

 ♀♂



 ユウキから一方的に別れを告げられ、その原因である臨也に苛立ちながら仕事場へと戻っていた。
 少しユウキと話せたかと思えば、狙い澄ましたようなタイミングで邪魔が入る――最早決まり切ったこの連鎖にいっそ殺意さえ芽生えてきたが(もちろん対象は臨也)、
 これといった打開策もない。
 それに、下手に引きとめても困るのはユウキ自身だ。そう考えるとあまり思い切ったことはできないでいた。
 もし迷惑だと考えずにそういう行動してしまえば、自分は臨也と同じ行動をしたことになる。

 それに加えて、ユウキのあの鈍感加減もどうすればいいのか……二週間前の言葉なんてまるで覚えていないような雰囲気だ。


「あそこまで言えば、普通気付くだろ……」


 あんなの好きだって言ってんのと大して変わんねえじゃねえか。
 やっぱり正面切って言うしかないのかと右手に持っている紙袋に目をやりながら歩いていると、車道の端に見慣れた黒バイクとヘルメット姿を見つけた。
 多分向い側から走ってきたんだろう、丁度向かい合うような形でバイクが停められている。


『今、休憩時間か?』
「まあな」
『そういえば、ユウキから連絡なかった?今日』


 いきなり何を聞かれたのかと首を傾げてから、ユウキがセルティにアドバイスをもらったと言っていたのを思い出した。


「連絡があったっつーか、さっき会ってきたところだ」
『じゃあ、貰ったんだな。ユウキの手作りプリン』
「……これ手作りだったのか」
『あれ、ユウキ言ってなかった?あ、お礼として渡すなら何が良いかって聞かれたから、私はそのこと知ってるんだけど』
「知ってる、ユウキから聞いた。でもよ、一言もそんなこと言ってなかったぞ。あいつ」
『手作りだってこと強調すると、お前に気を遣わせると思ったんじゃないか?』
「ユウキの考えそうなことだな」
『それで、どうだったんだ?』
「どうだったって、何が?」
『……ユウキ、他には何も言わなかったのか?』
「礼の言葉以外はほとんどなかったな」
『何か言いたげだったとか』
「ねえな。あいつ、ほとんど表情一貫してたから」


 渡された時の笑顔が可愛かったのは、認める。
 それをセルティに言うかどうかは俺がユウキに思っていることを少しも知らせてないので、言わないでいることにした。
 つーか、言えるか。


『お前に言われたことで、気になってることがあるとか言ってたんだけど』
「気になってること、って……内容、聞いたのか?」
『ああ』
「…………あいつっ」
『いやでも、お前がユウキのこと好きなんだろうなあっていうのは前から気付いてたから!』
『ああやっぱりそうなんだ、ぐらいにしか思わなかったし』
「……」
『ユウキもそういう言葉じゃないと思いこんで、というか思わされてたみたいだから、な?ユウキ自身に悪気はないんだ』
「思わされてって、どういうことだ?」
『もともとはユウキもそういう意味を含んだものかもしれないと思ってたらしいんだけど、臨也がいらない入れ知恵をしたらしくて』
『友情間のものだと思って私に話したみたい』
「またあの野郎かよ……」
『単純にお前の邪魔をしたいのか、本気でユウキをとられたくないのか――どっちにしても子供みたいな奴だな』


 呆れているような文面を打ち込んだセルティに、前からたまに感じていた疑問がまたふっと浮かびあがってきた。
 いっそユウキへの気持ちがばれていたことには開き直ることにして、特に考える間もなくそれを口に出す。
 

「つーか、あいつら付き合ってるわけでもねえのに、何で同棲してんだよ?」


 今までのユウキの言動は、そういう関係だということに関して否定的だったはずだ。
 仮にそれが隠しているだけなんだとしても、それならそれで臨也の方が付き合っていることを明言してくるだろう。 
 しかし、それもない。

ユウキと初めて会ったときは、まだ同棲しているような雰囲気ではなかった。
 もしかすると、あのとき公園で別れた後に、臨也と何かあったのかもしれない。その《何か》にはまるで見当がつかないが。


『私にもわからない』


 躊躇いがちに打ち出された文章は読み終えた直後に削除され、


『でも、私はあのふたりの関係がいいものだとは思えない』


 新羅は当人たちの問題だって言うけどね。
 付け加えられた文章も含めて怪訝に思い、眉を潜める。


『臨也どれだけユウキのことを考えているのかは知らないけど、あいつはユウキを束縛しすぎだよ』
『ユウキと頻繁に連絡をとっていると、静雄だけじゃなくて、他の人間ともユウキを関わらせたくないっていうのがよくわかるんだ。露骨に邪魔してくるから』
「俺だけじゃねえのか」
『そう。だからまあ、言ってしまうと、私は静雄とユウキが上手くいけばいいと思ってる』
「思ってるって、言われてもな……」
『上手くいきたくないのか?』
「…………」
『お前もそんな顔するんだなあ……』
「……どんな顔もしてねえよ」
『とりあえず、何かあればいつでも相談に乗るから、遠慮せずに言ってくれよ』
「なんか楽しそうじゃねえか?お前」
『実際、かなり楽しい。とにかく、仕事が終わったら真っ先に帰ってプリン食べて、感想メールを送るように』


 本当に楽しそうな雰囲気でPDAに文字を打ち込むセルティ。
 他人の色恋を見て何がどう楽しいんだ?そう疑問に思いながらも、


「なあ、セルティ」
『なんだ?』
「……女って、どういうこと言えば喜ぶんだ?」


 つい、そんなことを聞いてしまっていた。



 (みんな、結構気付いてるんだけど)



「ねえねえねクル姉!!さっきの店員さんと静雄さんが一緒にいたけどやっぱりそういう感じなのかな!?ああいう感じなのかな!?気になるよぅッもう声掛けちゃえばよかったぁ!!」
「禁(それは迷惑)」

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あきゅろす。
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