知らないのはあなただけ
新しい学校へと進学する学生にとっての一大イベントであり、なおかつ桜の一番似合う爽やか絶頂な行事ごとと言えば入学式以外にはまず出てこないだろう。
まあ、私の個人的な印象を言わせてもらえば『苦い思い出満載なもの』というのが大きいのだけれど、
それでも、緊張した面持ちで校門をくぐっていく彼彼女らを見ていると、それが妙に羨ましく思えたりもした。
しかし当然ながら自分の年齢を巻き戻せるわけがないのだし、羨んだって何がどうなるというわけでもない。
むしろナーバスな気分になりそうだったので、とりあえずその場、バイト先へ行く道中に寄り道をしてみた来良学園の校門前を、私はゆっくりと通り過ぎた。
これ以上居座り続けて、変質者だと思われるのも嫌だし。
知り合いをひとりも見つけられなかったことは、若干寂しかったけれど。
♀♂
同日 夕方
「だからやっぱり牛乳だと思うんだけど、クル姉はそんなに牛乳ばっかり飲んでいるわけじゃないし、だからって遺伝でもないんだよねー。だってそれなら私だって同じようになるはずじゃん!しかも双子だよ?私たち双子なんだよ?なのにこんなのおかしいよ!そう思わない?店員さん!」
「……ええと、とりあえず店内でそういう話はやめよう、マイルちゃん」
「謝(すみません)……」
耳付きフードのパーカーをおそろいで着ている最近の常連さん、クルリちゃんとマイルちゃんに品物を出しながらそんな会話を交わしていた。
春休みから一点のぶれもないはしゃぎっぷりを見せてくれている黒ぶち眼鏡の三つ編み少女がマイルちゃんで、
そのマイルちゃんの双子の姉であるショートカットのおとなしい(というか、おとなしすぎる)女の子がクルリちゃん。
前にどんな漢字を書くのかと尋ねてみたら、『舞流』『九瑠璃』と書くことが判明し、思わず『臨也』で『いざや』と読む現同居人さんのことを思い出した。
兄妹と言われても違和感のないネーミングだけれど、真相は知りたくないような気もするのであまり気にしないことにしている。どことなく顔立ちがにているような気がすることも、同じく。
ちなみに、私は名乗ることなくずっと『店員さん』呼びが継続されていた。店主さんがフロア内にいるときは別の呼び方をされるけど。
で、現在マイルちゃんは実に女の子らしい悩み事を暴露していた。
でも、もう少しオブラートに包むとか、声の音量を下げるとか、そもそも外出先でそういうことは言わないでおくとかいうことを店員さんはしてほしい。
「そういえば、店員さんもクル姉程じゃないけど結構あるよね!牛乳じゃないなら、もしかして彼氏?彼氏に、」「止(こら)」
マイルちゃんが全文を言ってしまう前にクルリちゃんがそう嗜めると、
「えー。だって気になるんだもん!ねねね!店員さんのってどれぐらいあるの?あと彼氏ってどんなひと?あの厨房の人?それともたまにいる眼鏡の人?」
さらなる質問攻めにあってしまった。
これって、セクハラ、か?
キラキラと目を輝かせているマイルちゃんには悪いけれど、一番最初の質問には絶対答えたくない。
「そもそも彼氏とか、いないからね」
「ええー!?なんで?」
「なんでって言われても……」
「驚(意外)」
マイルちゃんはよくオーバーリアクションをとる子だけど、クルリちゃんまで少し驚いたように目を瞬かせていた。
この反応は、喜んでもいいことなのだろうか。
「だっていそうなんだもん!でも、そっかー彼氏いないんだ。じゃあ、彼女は?」
「いや、普通いないから」
「ってことは、彼氏彼女どっちも募集中なんだ!」
「……少なくとも、彼女は募集してないかな」
マイルちゃんがそういう性癖を持っていることは察し済みだけど、真正面から言われると困る。
確かにふたりと話すのは楽しい。でも、たまにセクハラ紛いの言葉をかけをされたり、ふたりが来店するとぱったりお客が入って来なかったりするのが困りどころだった。
一度そのことを店主さんに話してみたけれど、あの人はあまり商売をする気がないのか「別にそれぐらい構わないよ」と朗らかに言っていた。
もうここでバイトを初めてから二週間近くたつはずなんだけど……あの人のことはよく分からない。
「でも、店員さんって静かな人だから、同じようなタイプの人があってると思うな!」
何やら楽しげにそう言ったのはもちろんマイルちゃんだった。
「それでいて感情的な人とか!優しいのはもちろん必須条件だけどね!逆に絶対あいそうにないのは、優しくなくて陰湿な人!意地悪な人!そういう男とは付き合っちゃ駄目だよ!」
「必(絶対に)」
「……うん、そっか……うん。ありがとう」
気にしたくなかったことへの真実性がいよいよ強まってきた。
私の考えすぎかもしれないが、その付き合っちゃ駄目な男がある特定の人物を指しているような気がする。
それにしても、
「……感情的な人って」
「ん?店員さん、何か言った?」
「いや、何も」
思わず考えていたことを口に出してしまって、内心焦りながら誤魔化した。
私の方こそ、もう一方の特定人物を最近意識しすぎだと思う。
もう何日も前のことであるはずなのに、私の思う静かでいて感情的な優しい人の言った言葉がずっと頭を巡っていた。
『顔が見たいから』なんて、異性の知り合い、友人に言うべきものじゃない。
私のように深読みをするような女がいるから、やめておいた方がいい。
でも、もしも、仮に、例えばの話だけど……「店員さん、顔赤ッ!」「赤くないっ」「照(赤い)」
半ば仕事を投げ出している私がいた。
♀♂
数時間前 新宿 某マンション
「だから、もしふたりがイジメにあったとしても、心配する必要なんてないんだよ」
「……あなたなら、その子たちがまともな性格でイジメにあったとしても、無視を決め込みそうだけど」
半分他人事のような調子で自分の妹たちを語る臨也に、波江は呆れ気味な返事を返した。
今日が来良学園の入学式であるため、そこに通う身内をもつ臨也と波江はお互いの弟妹についてしばらく話をしていたところだったのだが、
やはりというか、当たり前にというか、臨也の妹たちは変わった性格をしているらしい。
度の過ぎた周囲から浮いていた存在と言うのはどこでも敬遠されがちなものであり、学校と言う集団生活の場もまた例外ではない。
そこでふと気になった彼女たちへのイジメの可能性を波江は臨也に話したのだが、
さすが臨也の妹というべきか、仮にそんなことがあったとしても平気らしいことがその兄によって語られた。
「そもそも、まともな性格をしている人間はいじめられないと思うけどね」
多少なりとも周囲から外れているから、いじめられるんだよ。
そう言った臨也は一見物憂げな様子にも見えた。が、口元には笑みを浮かべていたので、見間違えだろう。
「ま、こんなことを言うとユウキあたりには怒鳴られそうだけど」
「あの子に『怒鳴る』なんてことできるのかしら」
「まだ彼女が高校生だったときに、一度だけ遠目に見たよ」
「それってただのストーカーよね。気持ち悪い」
「安心しなよ、君の恋愛観の方がよっぽど気持ち悪いから」
お互い大した表情の変化も見せずに皮肉を言いあっていたが、臨也の最後の言葉に波江は僅かに眉を潜ませた。
「ユウキの話が出たからついでに言うけど。俺が妹達の行動で心配することがあるとしたら、とりあえずユウキと接触しないかどうかってことだね」
「最低な兄の話をされるかもしれないから?」
「そんなの、彼女にとってはいまさらな話だろ?」
得意げにそう語る臨也を心のうちで鬱陶しいと思いながら、波江は一貫した表情を浮かべたまま止まっていた作業を再開させた。
そんな波江の様子は全く気に掛けず、ほとんど独り言のように臨也は喋り続ける。
「俺とユウキの関係に気づいたら、あいつら絶対に邪魔すると思うんだよね。波江の言うとおり、俺は兄として最低ランクにいるだろうから、当然良い感情をもたれていないし」
「それはそうでしょうね」
「だから、ユウキには会わせたくないんだよ。でも、クルリたちのアパートってユウキの店に近いんだよねえ」
ため息交じりな臨也の言葉を聞きつつ、波江はぼんやりとあることを思いついた。
今までさんざんこき使われて不快な言葉をかけ続けられているのだから、数少ない臨也の弱みとも言えるその妹達とユウキをつかって鬱憤晴らしでもしてやろうかと、やはり作業を進める手は止めずに。
(知らないのはあなただけ)
もう遅い。
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