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 夜闇を光々と切り裂くネオンや行き交う大勢の人々を見ると、やはりどうにも落ち着かない。生まれたときからイルザン勤務になって初めての休暇を貰うまで、キースレッカはこういった猥雑さとは殆んど触れずにきていた。
 十分に酒の入った宴会の猥雑さとはまた違う、互いに見ず知らずの大衆が行き交う事で自然発生する雑然さ、とでも言うのか。
 全く知らない者の中では個があるのは自分だけのように感じる事がある。そんな時は民衆という巨大な装置の中に放り込まれたような気分になって、どうしようもなく背筋がざわつく。しかし次の瞬間には擦れ違った人たちの会話が耳に飛込んで、その1つ1つに生活や過去といった奥行きがあるのを知る。
 沢山の個の中に自分という個。周りの彼らの事など何1つ知らないのに、そんな未知に取り囲まれてしまっている。
 考えるだけで背中の毛穴が開くのが分かるのだ。
 しかし今日は違った。この未知の群れの中に既知が1つあるのを知っているからなのか。
 その店は群像発生地のど真ん中に聳えるビルの82階にあった。正装の必要はないとの事だったのでジーパンにTシャツ、ジャケット姿で来てしまったが、一緒にエレベーターに乗り込んだ数名はドレスアップこそしていないものの、断じて「ちょっとしたオシャレ着」などではない。
 82階のボタンを押したキースレッカに「え?」みたいな目を向けて来る。その視線に内心「えええええ??」と怯えながら、食事の相手がちゃんとした格好をしていたら即座に帰ろうと心に決めた。
 エレベーターのドアが開くと直ぐにホール、その先に受付カウンターで、そこには明らかに格式高そうな装飾だらけの店名と立派なカメリエーレが客を出迎えた。
 同乗者達はさっさと予約確認をして店内に入って行く。1フロアぶち抜きの規模に早くも逃げたくなっていると、受付のカメリエーレがそっと近寄って来た。
「失礼ですがアデルンティスラ様でいらっしゃいますか?」
 何とも快い声で問われ、はぁ、と頼りなく答える。すると彼はパッと笑顔になった。
「お待ちしておりました。さぁどうぞ中へ」
 えっ!と叫ばなかったのは奇跡に近い。しどろもどろになりながら何とか自分がこの店に相応しい格好ではないからと伝えるが、彼は問題無いと取り合ってくれなかった。
 店内の客は皆ドレスアップ2歩手前くらいのちゃんとした格好で優雅に食事をしている。音を絞ってかけられたゆったりとした曲も、柔らかい光の証明も、どれもこれもが高級感溢れている。
 居た堪れない思いをしながら案内された席は、何と窓際特等席だった。
 ぎょっとすると同時に、席に座ってキースレッカを待っていた懐かしい顔にほっとする。カメリエーレが声をかける前に彼女もこちらに気づいて立ち上がった。
 その姿に、キースレッカは絶句する。
「来たわね腕白小僧!レディを待たせるとは一体何事?」
 笑いながら抱擁してくる自称レディに小さく叫んだ。
「ちょっ……、何なんですかその格好!ジャージ!?」
 自分も大概だが、彼女のジャージにスニーカーは問題外だ。他の客達もちらちらとこちらを見てはこそこそと何やら話している。
「このビルのテナントにジムが入っててね。さっきまでそこにいたから」
 そういう問題ではない。
 助けを求めるようにまだ側にいたカメリエーレに目で訴えたが、彼も問題視はしていないようでキースレッカに椅子を引いてくれた。
 怖々その椅子に腰を下ろすと、向に座った彼女に今更ながら「お久しぶりです」と頭を下げた。全く、ジャージのせいで挨拶さえしていない。
「うん、久しぶり。君とは結局、リヴァリエに発つ前の晩に顔を合わせて以来だね」
 見送りに行けなかったしと寂しそうに言う姿に首を振った。

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