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ヴィンセント・クレイは鬱陶しそうに前髪を掻き上げる。フィーアスが寝覚めにとコーヒーを淹れてくると礼を言って受け取った。
「大丈夫ですか?」
二口飲んだカップをテーブルに置いたヴィンセントにそう尋ねられ、フィーアスは無言で俯いた。
すいませんとヴィンセントが頭を下げた。
「貴女には何不自由なく笑っていてもらいたいのですが、我々と関わると辛い思いばかりさせてしまっていますね」
そんな、と首を振ったがヴィンセントは取り合わなかった。無理をしなくていいと諭す。彼の次の言葉にフィーアスは体を強張らせた。
「紅隆の言うように、我々との縁を断つのも貴女の自由ですよ」
「…………何を仰っているんですか」
まさかそんなことを彼に言われるとは思わなかった。
ゴルデワ側で自分とコーザの結婚生活の持続を最も望んでいるのは彼の筈だ。
「近所の子に過ぎないマクベスのことを聞いて辛かったのでしょう? でもここではそんなことよくある事です。貴女には耐えられない」
そんなことないと思わず声を荒げ、立ち上がっていた。
世界王と結婚してからこちら、辛いことなどいくつもあった。けれど自分はそれらを乗り越えてきたのだ。耐えられないことなどない。
ヴィセントはひたとフィーアスを見上げてくる。
「ではキャネザ女史のことも貴女は耐えられるのですね」
ぎくりとした。
座るよう促され、硬直したまま何とかソファに体を落とす。
紅隆とアリシュアとの件は、結局何一つ分からないままだ。紅隆が変装して彼女に会いに来ることこそ無くなったが、それだけなのである。
二人の関係はもとより、アリシュアが気になると言った夫の真意すら定かでない。
いつだったか夫がアリシュアを壁に追いやり詰め寄っている姿が思い出された。彼女の指輪の件で側に寄った自分には指一本触れなかったのとは随分な違いだ。
何も言えずにいるフィーアスに良心の呵責を感じたのか、ヴィンセントは早々に折れた。今のは冗談だ、貴女を試したのだと言われフィーアスはゆるゆると顔を上げる。
「すいません、前々からフォローを入れなければと思っていたんですがタイミングが合わず……」
ヴィンセントはばつが悪そうにコーヒーを啜る。
「でも紅隆との関係については貴女の自由にして構わないんですよ。想い募らせても一向に返してくれない紅隆より、何より貴女を愛してくれる人がいるならその人のところに行ってもいいんですよ」
「そんな人いません」
ヴィンセントは苦笑する。恐らくそれはフィーアスが気付いていないだけだろう。
「そう怒らないで下さい。貴女が必要ないというのではない。寧ろ我々としてはこのままずっと貴女に紅隆の側に居て欲しいのです。しかしそのせいで貴女がいつまでも辛いならと思ったのですよ」
ヴィンセントは本当にフィーアスのためを思って言っているのだろう。しかしそれは有難迷惑だ。フィーアスにはコーザ以外の人など考えられない。
側に居られるだけでいい筈なのだ。
アリシュアに嫉妬するのは自分のお門違いなのだ。
今にも泣き出しそうな顔に不味いなと思いながらもヴィンセントには言うしかなかった。
「女史の件にしてもそうでしょう? 現状、我々は何一つ貴女に説明出来ない、ただ大丈夫だとしか言えないのです」
これまでは紅隆の根性を叩き直そうと奮闘していたヴィンセントも今の情勢ではそう悠長なことを言っていられなくなってきているのだ。
大丈夫という言葉はそれこそ耳にタコができるほど聞かされてきた。けれど実際はフィーアスも信じきれなくて苦しい思いをしている。
「……フィーアスさん、貴女は紅隆とレイチェルが一緒に居るのを見て不安になりますか?」
「え?」
突然突拍子もないことを言われフィーアスは困惑した。
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