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 その圧倒的なまでの存在感に彼は見入った。いや、それは気持ちの問題で、実際には強すぎる光を掌で遮ってようやく目を開けているに過ぎなかった。
 空を覆うように広がる橙は彼の人生で初めて見るものだった。こちらではごく普通の自然現象だと説明されひどく驚いたが、職業柄その表情が表に出ることはない。
 光の塊はゆっくりと街の向こうに沈んでいく。するとそれを追うように群青、藍が空に広がっていった。
 高台にあるこの墓地はその様がすっかり見通せたが如何せん風が強い。次第に冷たくなっていく風に髪を洗われ前髪が逆立った。
 手櫛でそれを直し右手に視線を転じる。
 無人の墓地に一人立ち尽くしたその女も彼にとっては圧倒的な存在感を持っていた。
 彼女はもう15分以上そうしている。
 邪魔をするのも憚られ声を掛けなかったが、放っておくといつまでもそうしていそうで芝生を渡って彼は側に寄った。
 道路脇の街灯が灯り始め、路上駐車した車を照らす。その光はここまでは届かなかったが、辛うじて墓石に掘られた名前が見えた。
 彼に分かるのはそれが男の名前だというくらいだ。
 彼女は睨むようにその名前を見ている。
「花、買ってくれば良かったですね」
 来る途中に花屋があったのにと指摘したが彼女はいらないと切り捨てた。
「でも……」
「空の墓に花を供える奴はいないよ」
「え……」
 彼女は猫のように伸びをするとそれまでとは一変、清々しい表情になって踵を返し、帰るよと彼を呼ぶ。
「ランティスさん拾いに行かないと」
「いいよ別に。ほっとけ」
 本気でどうでもいいと思っているのが分かる声だ。そんな訳にもいかないだろうと取り成しながら彼は墓石を振り返る。もう暗くてその石に刻まれた名前を読むことは出来なかった。
 懇願に負け彼女は渋々車を街へ下ろす。仕事帰りの勤め人達が犇めき合う大通りを車はのろのろと進む。少し走っては止まり、また進めば信号に捕まる。この時間帯はいつもこうだ。
 車は確固とした目的地に向かって進んでいるのではなかった。男に持たせた端末に連絡を入れているが一向に繋がらず、当てもなく道路を走る。ただ一つ目安として人の群れを目指していた。目指す男は人だかりの中心にいると二人は知っていた。
 男の元まで辿りついたのは群れを巡って五つ目だった。辺りはすっかり宵の口で腹の虫が騒ぐ頃合いだ。場所は多重歩道橋の一角、夢多き若者たちが集い、拙い芸に青臭い夢を乗せて披露する場だ。勿論公的に認可されているものでは全く無い。
 ようく知った歌声が群れの外に居てもはっきり聴こえる。二人は群れを掻き分け音の発生源を見つけ出した。
 男は手摺りを背に手元の紙を見ながら歌っている。その隣にはギター弾きが居たが随分手元が危なっかしい。しかしそれを気に留める観客は一人としていない。ギター弾きを含めた全員が男の歌声に心を奪われていた。
 二人の前には一斗缶が置いてあり、二人の位置からでもかなりの量の金銭が投げ込まれているのが分かった。
 不意に視線が持ち上がり観客の中の二人とかち合う。女は目線で切り上げろと訴えたが男は一曲終えるまで歌うのを止めなかった。
 呆けた客たちは数秒の間を開けて盛大な拍手とアンコールを要求する。どうやらこの二人は度々それに応えていたようだが今度こそ終了だ。男はギター弾きと観客に別れを告げたがそう簡単に放してはくれなかった。
 押し問答をしているのを見兼ねて女が割って入る。
「ほら散れ!」
 観客は追い払ったもののギター弾きだけは尚も男に取り縋り、終いには行かせるものかと足に抱き着いてくる。
「いい加減にしろ!私は腹が減ってるんだ!」
 ギター弾きを引き剥がし地面に転がす。男を連れて去ろうとすると「あんた」としつこくギター弾きが割って入った。





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