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 その背中に追いついたのは駐車場に入ってからだった。
 客の存在などはなからなかったかのように仕事を再開するキャネザと簡単に切り替えられない他職員。これを鎮めて廊下に出た時には当然ながら客人の姿は無かった。
 二人の男は今まさに車に乗り込もうとしているところで、コルドの静止の声に顔を上げた。
「おや、どうされました」
「貴方にひとつ、お聞きしたいことが」
 外務庁からここまで、こんなに長い距離を走ったのはいつ以来だろう。コルドは弾む息を整えながら「兄」を名乗る男に向き合った。
「先程、キャネザの案件をご覧になって貴方はこれを却下した奴はカスだと仰いましたね。その理由をお聞きしたいのです」
 流石に口が滑ったと思ったのか、男は困ったように首を捻る。
「あ〜、いえ、あれは素人考えの戯言です。どうぞお気になさらず」
「私も却下をし続けた一人です」苦笑していた男の顔から笑みが消える。「通るのは難しいだろうと思ってのことです。ある人に強く勧められて今回通しましたが、難しいという思いに変わりありません。しかし貴方のお口振りを聞くと通してしかるべし、と言っているように思います。それは何故ですか?」
 男は数秒コルドと見つめ合ったが、「甥」を車中に入れると自分はドアを閉めて質問者の前まで進み出た。
「困難であることとしなければならないことは同義ではありませんよ」
 男はにこやかに言っている筈なのに、コルドは強く叱責された気がした。
「長官殿はお風邪を召されたことはありますか?」
「は?」
 意図は分からぬながら頷く。
「その風邪が、感染力が高く、場合によっては命を落とすような強い毒性を持ったものだとしましょう」
 男は続ける。
「一度罹患してしまうと暫く起き上がることもできない。ならばかかる前に手を打てばいい」
 男が何を言いたいのか、コルドには分かった気がした。
「ワクチンを打った貴方は結局風邪をひかなかった。ワクチンのお蔭かもしれません。でもワクチンなんて打たなくても罹患しなかったかもしれない。
 しかし、その年風邪をひかなかったことに慢心して翌年何もしないと、より強力になったウイルスが貴方を殺してしまうかもしれません。
 何も起きなかったという結果が同じでも、その過程で何も無かったことと同義ではない。
 アリシュア・キャネザのやろうとしていることはワクチンの開発・製造・増産です。私は外務については素人だが、あの素案を見ただけでもどれ程重要事項か分かる。
 貴方達の敵の大半は貴方達を知りませんが、中にはよぅく知る者も紛れている。そういうやつらは、その気になればこの国を落とせますよ」
 男はひとつ頭を垂れるとコルドに背を向け助手席に乗り込んだ。車はたちまちエンジンがかかり、コルドは塞いでいた道を譲った。
 運転手が会釈をして目の前を通過する。滑らかに走り去って行った車を追うようにコルドも外務庁に戻った。
 長官室の自分の椅子に身を沈めると、机上の写真立てが目に入ってきた。かつての上司が笑顔でこちらを見ている。
 自称無職の資産家に打ちのめされすごすごと引き返した自分を見たらハクビーズは呆れるだろう。後は全てお前に託すと言ってくれた言葉に報いたいと思っていたが、一民間人に諭されているようでは駄目だ。
 実現するまでの数多の障害を理由に必要な政策から目を背け続けているのは、何もこの件に限ったことではない。元老院制度の廃止もその一つといえるだろう。
 あの時の世界王の難しげな表情はコレだろうかとふと思う。
 コルドは受話器に手を伸ばし、外線ボタンを押した。そして絶対に使わないと思っていた短縮番号で相手を呼び出す。5回のコール音の後「はい」と通話が開始された。


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