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 数分の間、誰もが歌の余韻に浸り呆然としていた。いつの間にか廊下に出来た野次馬も、そしてコルドも同様に。
 その間に男はギターをケースに仕舞い側にいた職員に返却した。ギターは合唱曲の練習用にと数日前に持ち込まれたものだ。受け取る方はギターを戻しに行く途中何度も机に激突していた。
「お騒がせしてすみません、どうも」
 照れたような半笑いで男が言う。自分に言われているのだと気付いてハッとした。
「アリシュア・キャネザに用があって来たんですが」
 その台詞に記憶が刺激されたのか、5カ月前にもアリシュアを訪ねてきたことのある男だというタインの耳打ちを聞き、恍惚の余韻を吹き飛ばした。
 未だ呆ける職員たちに激を飛ばし仕事に戻るよう言いつける。タインと一緒に客人たちを応接室へ押し込んだ。
 危なっかしい給仕がコーヒーを置いて下がってからようやく客人に対し誰何する。
 男は少し考える素振りをしてから自分はアリシュアの兄だと名乗った。
「これは甥です」
 兄、という単語に目を丸くしていると同じように驚いた「甥」が静止の声をかけた。
「何だよ、不満か?」
「その内訳を言ってくださいよ。それ次第です」
「内訳ぇ?」男は面倒そうに言う。「お前は長女の子で――」
「じゃあ俺はその長女の結婚相手の連れ子ってことにして下さい」
 今度は伯父がその発言に待ったをかけた。
「連れ子って……。あいつがそんなもん許す訳ないだろう? 発覚した時点で破談するし、また盛大にバトル始めたら今度こそただじゃ済まなくなる」
 甥が尚も言い募ろうとするのを男は手を振って止めさせた。コルドらに向き直り己らの不手際を謝罪する。
「すいませんね、打ち合わせしてなかったもので。まあ兎に角、我々はアリシュア・キャネザの身内みたいなものです」
 何とも胡散臭い連中だ。
「先程お聞きしたところ、妹は直ぐに戻るということですが、あれは今どんな仕事をしているんです?」
 知り合いではあるのだろうが身元不明には変わりない。コルドはやんわりと回答を拒否し逆に尋ねた。
「本日はどういった御用向きで?」
 はぐらかされたことに気付いているだろうに、男は怒る様子もなくすらすらとコルドの問いに答えていく。
「どの辺を周るおつもりですか?」
「お仕事は何を?」
 この他愛もない会話も部下が戻るまでの時間稼ぎにすぎないのだが、肝心のキャネザはなかなか戻らない。まさか国土省はあれを通したのだろうか。
「妹さんはとても優秀で、同期の者は足元にも及びません。なので昇進を勧めているんですがなかなか応じてくれず……。上昇志向がないというのとも違うと思うのですが、小さい頃からそうだったのでしょうか?」
 すると男は首を捻った。
「さあ、あれの子供時分は存じませんが」
 兄だと言い、殆ど身内だと言いながら時折男はこうやって他人の顔を見せる。勿論コルドもタインも、目の前であんな打ち合わせを見せられて本気で身内だと思っている訳ではなかった。
 男は口の片端だけを持ち上げて笑う。
「今がそうだというなら、それはおそらく地位も名誉も必要なくなったということでしょう。正直、働かなくたって死ぬまで食っていけるだけの金はあるんですよ。それが何を思ったかまたこんな肩の凝るようなことしているとは……私も驚いているんです」
 心臓が止まるくらい、と胸に手を当てて男が笑ったとき、応接室のドアがノックされた。8つの目が一斉にそちらを向く。
 声をかけて入ってきたのはアリシュアだった。
 しかしどうしたのか、アリシュアは石のように硬直して室内を――厳密には客の一人を見ている。凝視されている方もそれは同様で戸口に現れた女を振り返ったまま動かない。
 まるでこの二者の間の空気だけが時間を止めてしまったようだった。


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あきゅろす。
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