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 その年はじめの定期業務試験が終わると宮殿内の空気が和やかなものに変わる。堅苦しい行事もなく、黎明祭までまだまだ余裕があるこの時期は、何処も慌ただしさとは無縁だった。
 ただ、レニングスだけは黎明祭に向けて怨念めいた気迫がその膨らんだ腹に溜まるのか、妙に張り切った顔でコルドに「崇高なる思考」を披露する。毎年のことながらいい加減うんざりだ。
 まだ耳に彼の湿った声が残っているようで、コルドは廊下を戻りながら両耳を擦った。春宮から本宮まで戻り階段を上がると、公路の隅に案山子のように立つ部下の姿が見えた。アリシュアである。
 彼女はじっと公路の先を見ていた。どうしたと声をかけながらコルドもそちらを見ると、スーツ姿の背中が角に消えたところだった。
「……今の、西殿か?」
 最近めっきり姿を見せなくなったが、またローナンが接触してきたのかと思ったが部下は違うと首を振った。
「ただ、ちょっと……」
 言葉尻を濁したまま難しい顔をする。その腕に「外務庁」と印字された封筒が抱えられていた。
 質すと国土省に行くところだったと言う。
 全国各地には大門と同様の性質をもった磁力場が点在しており、彼女はこの危険性について訴え続けてきていた。
 実を言えばスペキュラーが生きていた頃同様の下命が下され、市内全域で順次対応工事がなされたことがある。当時コルドはまだ副長官でハクビーズの指示のもと対応措置を詰めたことがあったが、それ以来この手の案件は一度も施工されていなかった。
 素案を提出されたとき当時のことが思い出され、懐かしくまた故に一技官が提唱するには難しいことだとコルドにはよく分かっていた。
 前回の強行施工の効果は未だもって証明されていない。
 あの時だって訳の分からないものに多額の税金を使ったと後にさんざん批判されたのだ。乗り気だったのはスペキュラーとハクビーズだけだった。
 そんな背景があり退け続けていたが、この素案を見た世界王が以外にも賛同した。これは積極的に進めるべき事案だと強く推してくるのでコルドも許可したのだ。
 大変なのはこれからだろう。この対応工事を進めるためには国土省をはじめとしていくつもの省庁及び部署、そして内閣府を通り神の採決を得なければならない。誰も同じ轍は踏まないだろう。
 部下と別れて外務庁に戻る道すがら、素案を見せた時のローナンの何とも言えない難しい表情が思い出された。
 第一執務局が見えてくると平素にはないざわめきが聞こえる。ギターの音色が鳴り出し、ついにはその音に合わせて歌声が聞こえてきた。何事かと駆け戻ると職員たちの輪ができていて、歌はその中からしているようだった。
 それにしてもこの歌声は――
「長官」
 戸口で呆然と聴き惚れていると、タインがこちらに気付いた。
「……何だこの騒ぎは」
 咎める声にも力がない。
 タインも同様な様子で、コルドを呼んではみたものの視線は直ぐに歌声の発生源に向けられる。
 輪が割れ、歌声の主の姿がコルドにも見えた。その意外な姿に虚を突かれた。
 机の上に楽譜を置き弾き語りをしている後ろ姿はどう見ても男だったのだ。
 いや違う。歌声が女声に聞こえる訳ではないが、男のものだとするにはあまりに柔らかく、澄んでいるのだ。この歌声とその姿のギャップに戸惑っているのだ。
 その歌が黎明祭用の合唱曲だと気付いたのは、男がアウトロまで弾き終えてからだった。
 しん、と静まる中、数拍の後に手を叩いたのはこれまた見知らぬ青年だった。歌に気を取られて珍客がもう一人いたことに気付かなかった。
「いやあ、相変わらず凄まじいですね」
 青年がそう讃えれば男は「だろ?」と笑う。
 その地声はあくまでも男のもので、歌声との差に眩暈がする。喝采が湧いたのはこの直後だった。


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