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 試験を終えた技官達はそのまま帰宅してよい事になっていた。翌日からは通常業務に戻り、今まで通りしごかれる毎日が待っているから、開放感に浸れるのはこの短い時間だけなのだ。
 安堵感の漂う中、一人カインだけが難しい顔をしていた。
「なんだよ、しくじったのか?」
 同期の友人が笑いながら背を叩く。そういうそちらは調子が良かったらしい。
 各々荷物を取りに各省庁へ戻っていく。カインもそれに流されるように総務省へ向かった。
 残っている先輩技官達に挨拶をし、鞄を持ってロッカーへ向かう。
 カインの気を重くしているものは無理矢理握らされた外務庁長官の名刺だ。有り難くない事に手書きで端末番号が書かれており、今回のコルドの試験官参加はこのためだったことを示している。
 どういう意図にせよ目を付けられた事実は未熟な青年技官には荷が重いことだった。
 母に告げても良かったが、そうなると本格的に引き上げ命令を出されかねない。母は今の仕事に何の未練も持ってはいないだろうが、カインは違う。望んで就いた職を手放すのは嫌だった。
 ロッカーを開けると中には容積の半分近くを占領している長いケースが納まっている。トロンボーンのケースに似たそれは正直言って邪魔だが、他に置く場所もないしいざという時は必要なものだとカインは思っている。
 そのケースのポケットに用があったのだ。
 父が死んでから母以外親類のいないカインだが、困ったときに相談に乗ってくれる頼れる知人が一人いた。ポケットから取り出したメモにはその人の連絡先が書いてある。
 その番号をダイヤルすると、やや暫く待たされてから若い男が通話に出た。一瞬ぎくりとしたものの姓名を名乗り取次ぎを頼むと直ぐに目当ての人物が受話器の向こうに現れる。
 携帯端末に番号登録をしないこと。連絡を取るのは必要最小限。通信はヴォイスオンリーのノンスピーカーで。通信記録は即刻削除すること。これは相手とこちら側とで取り決められたことだった。
 カインは挨拶もそこそこに自分の置かれた状況を説明し打開策を求めた。しかし、いつもは打って返したような回答が返って来るのだが今回は違った。
 暫く唸り続けた末に動けないと言うのである。
 お前も無闇に動かず時が過ぎるのを待てと言われたが、本当にそれでいいのかと思ってしまう。
 これはお見通しだったらしく、笑いながら大丈夫だと諭された。ただし、と相手は釘を刺すのを忘れない。
「軽挙な行動は慎むように……か」
 メモを戻しロッカーを閉じる。端末の記録を削除して床に下ろしていた鞄を拾い上げた。
 軽挙な行動とは例えば焦って母に密告したり、コルドの誘いに乗ったりすることか。普段通りの行動を心掛けろというのだろう。
 けれどいざ実際にコルドに目の前に立ち塞がれたら、カインは巧くかわせる自信がない。こればかりは経験値の差がものを言うのが手に取るように分かった。
 しかし予想に反してコルドからの接触はなかった。
 考えてみればこれまでも碌に会った事がなかったし、カインの連絡先など知らない筈だ。だからこそ強引といえる手段で試験に参加したのだろう。
 下手に動かないこと。成程これは有効である。
 教えに従い大人しくしていると瞬く間に試験結果の発表日がやってきた。
 返事をしない事に怒ったコルドが外務庁長官権限でカインを落とすという事もなく、無事合格点を獲得した。さすがにほっと一息つく。
 これに受かるのと落ちるのとでは今後の査定に大きく影響するらしいから、一先ず関門突破というところだろう。
 その日家に帰るとローテーブルの上に見慣れぬ酒瓶がでんと鎮座してあった。メモが添えてあり、見慣れた字が「よくやった」とカインを褒めてくれた。






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