[携帯モード] [URL送信]
60



 ヒューブがアリシュアを見つけたのは食堂ビルと宮殿とを結ぶいくつかある連絡通路の一つだった。広い通路は片面がガラス張りになっており、そこからの日差しが通路内に点々と設けられた簡易花壇に降り注ぐ。
 アリシュアはその花壇と花壇の間の壁からずり落ちたような体勢で蹲って号泣していた。
 通行人が遠巻きにしながら通り過ぎていく。その間を縫ってヒューブはアリシュアに駆け寄った。
「アリシュア」
 声をかけたが彼女は振り返らない。
 あの男に何を言われたんだと喉まで出掛かって、呑み込んだ。
 今まで彼女のこんな弱弱しい姿を見た事はない。アリシュアはいつだって毅然としていて力強く、女性を評する言葉ではないが、頼もしかった。
 そんな彼女をここまで打ちのめした言葉をその口から言わせるのは躊躇われたのだ。
 どうしたのだろうとひそひそ話す声が聞こえ、ヒューブはアリシュアを抱きかかえて移動した。ここに居てはいい晒し者だ。
 駆け込んだのは資料室の一つだった。スチール棚がぞろりと並び分厚いファイルがぎっしりと詰っている。
 後ろ手にドアを閉め腕に抱えたままのアリシュアを降ろそうとして、ヒューブは嗚咽が止まっているのに気づく。声をかけようとして、突き放された。
 アリシュアは二三歩たたらを踏んで背後のスチール棚にぶつかって尻餅をついた。近寄ろうとして「来ないで」と拒絶される。
「……ありがと……もう、大丈夫だから」
 顔も上げず立ち上がりもしない、声にだってまだ涙が混じっている。仕事に戻れと言われて、こんな状態の彼女を残して行ける訳ないのだ。
 ヒューブは一度止めた足を進めアリシュアの前に屈み込む。顔を覆う手を引き剥がし、顎を掴んで上を向かせると強引に口付けた。舌で歯を抉じ開け貪るように口内を犯す。
 アリシュアの抵抗はなかった。
「……俺は、君を一人で泣かせたりしない」
 きつく抱きしめた腕の中でアリシュアがびくりと震えたのが分かった。泣いているところに付け込むようだったが、もう構うものか。
「君がまだご主人を忘れられなくてもいい。俺は――っ!?」
 言いかけたところで脇腹を思い切り殴られ、思わず腕が緩む。アリシュアは素早く拘束から逃れ、ヒューブと距離をとった。
 咳き込む上から罵声が降ってくる。
「あんな大嘘吐きの腐れ頑固野郎の事なんて知るか! あたしに何一つ言わず黙って勝手に死にやがったくせに、今頃になってあんな…………」
 見上げたアリシュアは片手で掴むように目を覆い、歯を食いしばって再度の嗚咽を堪えている。また泣き崩れるのではと思ったがそうはならなかった。
 掌に溜め込んだ涙をもぎ取るように腕を払うとそのまま身を翻して出て行ってしまったのだ。
 痛む脇腹を押さえたまま失言だったと後悔するが、口から出た言葉はもう戻らない。
 以前亡夫に未練があるのかと尋ねたときの彼女の反応は実に素っ気無いものだったが、それを真に受けるほどヒューブも素直ではない。事実、彼女は先程異常な反応を見せたではないか。
 自分の不甲斐なさに溜め息しか出てこなかった。
 翌日の昼前、法務省にアリシュアが訪ねて来た。
「……昨日はごめんなさい。心配してくれたのに」
 また泣いたのか、目が腫れぼったい。
「お腹痣になったでしょ? 手加減したつもりだったんだけど、素人にあんな殴り方して……それも、ごめんなさい」
 確かに殴られたところが赤黒く痣になっていが、そう申告するのも情けない気がしてヒューブは口を噤む。
「……今来たの?」
 肩に掛かった鞄を見て尋ねるともう帰るところだと言う。
「仕事終わったから」
「え?」
 それじゃあと踵を返した背中はあっという間に公路の向こうに消えていった。


[*前へ]

30/30ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!