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 それから幾度目かの週一の休みを明けた月曜日。
 ここ最近順調だったフィーアスの仕事に障害が現れた。
「財務省に行って予算を搾り取って来い。これじゃ全然足らん」
 上司にそう命じられたのは午前も半ばの事だった。
 国会議事堂には全省庁が軒を連ねているが、これを本部とするなら支部に当たる外局が市外に存在する。支部とは言っても各省庁一つあるきりだが、地方案件の全てがこの支部を通り振り分けられ、本部に齎されるのだ。
 そういった案件資料は普段ならメール送信されてくるのだが今回は違った。局長が手ずから持ち込んだのである。
 厚生労働省外局局長はレコンといって過去には本部で副長官も勤めた男だった。マイデルが長官に就任したのは、当時同期ながら既に外局長にまで昇っていたレコンの推挙がその要因の一つだといわれている。
 友人であり恩人でもあるレコンが朝一で持ち込んだ報告書を読んだマイデルが、部下を呼びつけて言い放ったのが先の台詞というわけだ。
 その総額を見てフィーアスははっきりと自分には荷が重いと申し出たが聞き届けられなかった。
 暗澹たる思いで省を後にし、財務省へ向かう。その道すがらのことであった。
 宮殿の全省庁は基本的に関係者以外立入禁止だが、行き来は当然ある。その省庁同士を結んでいるのが公路だ。場所は第7公路を過ぎた広間の隅、財務省へはもう1区画という位置だった。
 財布の紐の硬い財務省のこと、素直に決裁してくれるわけもなく、かといってすごすご引き下がればマイデルが黙ってはいまい。どう言えば予算を引き出せるかと壁に向かって一人ぶつぶつ言っていると、ほぼ無人だと思っていた先の道から話し声が聞こえてきた。
 およそ内容の聞き取れるものではなかったが道の途中で立ち止まり、男女が話し込んでしまったようだった。
 深刻そうな調子はとても出て行ける雰囲気ではなく、フィーアスは息を殺して二人が去るのを待つ。
 けれども立ち去るどころか声がどんどん高くなり、そのうち、どん、と振動が壁伝いに伝わってきて驚いて目の前の壁から飛び退いた。
 聞き覚えのある二つの声にまさかと思いながら顔を覗かせて、フィーアスは忽ち後悔する。
 夫とアリシュアがそこにいたのだ。
 アリシュアはがっちりと壁に縫い付けられており、二人の顔は触れそうなほど近い。冷静に見れば睨み合っている様子だったが、このときのフィーアスにはとてもそんな風には見えなかった。
 無意識に一歩下がり、踵の立てた音に二人が反応した。
「フィーアス」
 アリシュアの緊張した声に余計追い立てられ手足が冷えていく。居た堪れず踵を返して走り出した背中に尚もアリシュアの声が掛かるがフィーアスは足を止めなかった。止められなかったのだ。
 随分引き返してから胸に抱えた資料に気付き、けれども道を戻ることも出来ずフィーアスは仕方なく外から財務省に入る。
 マイデルから指示されて来たと財務長官に資料を提出したがすんなり通る筈もなく、予想通り難色を示された。
「……まあ、彼には借りもあるんだが、それとこれとは話は別だよ」
 帰るよう言われたがフィーアスは動けなかった。
「お願いします」
 さっきまで予算を引き出す巧い文句を考えていたのに何も浮かばない。案山子のように突っ立ってお願いしますと只管頭を下げるしか出来ず、最も肝心な夫の真意を確かめることなど夢のまた夢のような気がした。
 カインはああ言っていたが拒まないアリシュアにもその気があるのではと思い始めると、無性に涙が出た。
 驚いたのは財務長官である。目の前で本格的に泣き出され部下達には「泣かした」と囁かれる始末。収拾するには厚労省の案を呑んでこの元凶に速やかにお引取り願うしかなかった。





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