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 丁度昼時なのもあって二人は場所を食堂に移した。
 詳しく話を聞かせて欲しいと申し出ると「仕事はいいんですか」と呆れられてしまったが、この問題が片付かない限りフィーアスの頭は冷えそうにない。冷えないまま戻ってもまた先程の二の舞、今度は上司に吊るされてしまうかもしれないから良いことにする。
 向かい合っての食事が終わる頃には、フィーアスの不安は確たるものになっていた。
 アリシュアのいる外務庁第一執務局に少し前から出入りしている男の特徴と、先日行き会った変装中の夫の容姿がほぼ一致したのだ。
 夫がアリシュアの周囲に出没していると知り、事務連絡ばかりで碌に会話も出来ない自分との差に気落ちする。ヴィンセントも彼女を気にしていたから仕事上のことなのかもしれないが、そう言い切るには今朝の夫の顔が気に掛かった。
「どうぞ」
 食後のコーヒーを受け取って口をつける。その苦味が今の状態を示唆しているようで、直ぐにテーブルに下してしまった。
「あの、俺も質問していいですか?」
「え?」
「何故、世界王と結婚されたんですか?」
 年若い青年に真剣な眼差しで訊かれたフィーアスは、驚きながらも直ぐに答えた。フィーアスにとってこの問いの答えは他にない。
「好きだからよ」
「言葉も生活環境も圧倒的に違う異人、しかもゴルデワ人ですよ? よく好きになりましたね」
 信じられないといった口調は、フィーアスにとって過去再三に渡り浴びせられた非難忠告よりもずっと軽いものだった。今ならば苦笑いで済ませられてしまう。
「私は夫がとても好き。だけど流石にね、一目惚れではなかったのよ。ただ、係わっていく過程で恐ろしいばかりの人ではないと気付いただけ」
 照れながら言う向いではカインが怖いくらい真剣な顔で聞いている。フィーアスは苦いコーヒーで喉を潤した。
「結婚に関しては、私は運が良かったの。スペキュラーの件でゴルデワ側は一歩も引かない構えなのにこちらは何の対応措置も敷けていなかった。上辺だけでも急いで友好関係を結びたかった上層部とゴルデワ側の意向を摺り合わせたのが私達の政略結婚という形になったから……。本当に、あれよあれよという間だったのよ」
 両政府の後押しが無ければ自分は未だ、彼の背中を見つめるだけだったと呟く姿は何処か寂しげで、それが晩年の父の姿と重なりかけてカインは情景を消し去るように瞼を下す。
「…………先の神の件……というのは? 彼は病死ですよね」
「あ」
 フィーアスは慌てて口を押さえた。じっと見てくるカインから視線を逸らす。
 スペキュラーの死の真相は極々限られたものしか知らない極秘事項だ。こんなところでうっかり漏らすわけにはいかなかった。
 どう言い逃れようかとしどろもどろになるも、彼はそれ以上の追求はしてこなかった。何も無い空中を暫くぼんやりと眺めるその顔は年齢よりもずっと大人びていて、フィーアスは不思議な心地でその藍色の瞳を見つめた。
 奇妙な既視感。
 けれども像を結ぶ前にカインの視線はこちらに戻る。
「羨ましいですね。俺なんか恋人を作る暇もなくて、結婚なんて夢のまた夢ですよ」
 そう言って笑った顔は歳相応に見えた。
「参考までに、ロブリーさんみたいな幸せな家庭の築き方を教えてもらいたいな。うち、結局最後はガタガタだったから」
 それは今のフィーアスにとってこの上なくそぐわない言葉だった。
 世界王西殿が盛った砂上に楼閣を建てていた事に気づいた今、いつ来るとも知れない流砂が土台を崩してしまうことを恐れている身で「幸せな家庭」など蜃気楼のようなものだ。何も言えず落ちた視線を青年の声が持ち上げた。
「……元気がありませんね。…………うちの母と何か関係でもあるんですか?」





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