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 電話が鳴る。人の話し声。書類を捲る音。タッチキーの操作音。
 それらの音を断片的に聞き、そして自分もその音の一つを発生させていた手が、不意に止まった。
 目の前の端末画面には打ち掛けの文章の続きを要求するようにカーソルが点滅を繰り返している。
 時間が経つにつれ、フィーアスの安堵はえも言えぬ不安に変わりつつあった。
 理由は明白だ。夫が言った「アリシュアの事ばかり考えている」という言葉の意味を考えてしまったからだ。
 胸が苦しいとも頭がくらくらするとも言っていた。そしてあの楽しそうな顔。
 夫の周囲には沢山の女性がいる。
 執務室のエテルナやサイノ、レイチェルをはじめとする軍部の者たち。余所では南殿ルシータや東殿側近のジース、北殿筆頭秘書官エルダ……数え上げればきりがない。
 それらの女性達に対して夫の態度は常に一貫していた。
 エテルナなどの極限られた例外を除けば、一線を引いて必要以上に側に寄らないし寄らせない。そしてあまり優しくない。
 優しくないというならばフィーアスに対しても言える事だったが、レイチェルとの罵り合いを見ていると自分は大層大事にされている方だと実感さえしていた。
 何よりフィーアスはただ側にいられるだけでいいと自分に課している。近くにいられる現状は幸せだった。
 しかしその幸せは偏にコーザの心一つと言える。彼が周囲の言を跳ね除けて他の女を寵愛すれば、それだけでフィーアスはお払い箱だ。夫の移り気を非難するだけの威力がフィーアスにはない。
 今朝の一言は、まさにその始まりなのではとさえ思えた。
 アリシュアは美人で優秀だしスタイルも良く、性格もサッパリとしている。男性なら好もしく思うのだろうし事実そういう噂も聞いた。でもそれはコーザ以外の男性なら何ら問題ないという話だ。
 夫が自分を側に置きたがらないのは彼が自分自身を嫌っているからだ。自分が嫌いな自分を愛する女、そんなもの彼には害悪でしかないのだろう。コーザ自身にも、そしてキョウダの時の彼にも言われた。それを無視して側に纏わりつくフィーアスをそれでも容認してくれていた事に安堵していた。彼の言葉の裏に潜む危険性にずっと気付かなかった。周囲の応援ムードに胡坐をかいていたのだろうか。
 考え始めると止まらない。そして考えるにつれ鬱々とした気持ちになる。
「ロブリー」
 思考を遮ったのは、いつ来たのか直ぐ脇に立ちはだかった上司マイデルのツンドラの声だった。
 長官室に引きずり込まれ長々と叱責されたフィーアスは何も言い返せず肩を落として退出した。今朝の件と相まって気落ちすること甚だしい。席に着こうとすると「少し頭を冷やして来い」と部局も追い出され、フィーアスはあてもなくふらふらと彷徨った。
 一人で放り出されるとまた思考のループが始まる。
 一層鬱々とした気持ちになり、正直頭を冷やす処ではない。
 風に当たろうと外に出ても生ぬるい空気が停滞していて風など少しも吹いていない。こんな状態のまま戻ったらまた雷を落とされてしまう。
 どうしようかと周囲を見渡すと遠くに濃く茂る緑が見える。フィーアスは吸い寄せられるようにそちらへ向かった。
 宮殿は敷地のいたるところに緑を配しており、場所によっては公園のようになっているところもあるが、それはあくまで計算された自然だ。対してここの緑は原生に近い。
 フィーアスは墓地の敷地を隔てる門を潜り抜け、受付に記名した。
 それまでここは形ばかりの受付だったが、以前世界王が入り込んでから出入りのチェックをしており、こうして所属官位氏名を自筆しなければならなくなったのだ。
 フィーアスの筆跡を確認した電子パネルが音を立て、降りていた遮断機が上がった。





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あきゅろす。
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