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 時刻は深夜をとうに回り、街灯だけがぽつりぽつりと人気の絶えた道を照らす。
 国会議事堂から300m程の所には職員寮があり、かつては先の神ギボールもここに住んでいた。
 入居者の八割は独身者の為、最早寝に帰るだけの箱と大差ない。ヴァルセイア・コクトーもその大勢の中の一人である。
 朝は車を呼んで出勤することの多いヴァルセイアだが、余程のことがない限り帰りは徒歩と決めていた。宮殿からの僅か数分間のうちに頭の中のギアを仕事用からプライベート用に切り替える為である。家の中ではもう何も考えたくないし、またそんな体力的余裕も無い。
 四段しかない階段を上がりガラス戸を押し開ける。煌々と灯る明かりの下、オートロックを開けて2歩。横手から「こんばんは」と声が掛けられた。
 その声にぼんやりと弛緩していた表情が強張る。こんなところで聞いてはならない声だった。
「夜分にすみません」
 寄り掛かっていた壁から身を起こしたのは世界王紅隆本人だ。特に身を隠していた訳でもないだろう。彼の立つ位置は自動ドアの向こうからでもしっかり見える場所だ。
 不意を打たれたヴァルセイアは無意識に後ずさる。たった今通ったばかりの自動ドアをまた潜ってしまった。
 しかし両者の間で口を閉ざそうとするそれを紅隆がドアのスライド部上に立って阻止した。障害物を感知した自動ドアは大きく口を開き、時折ガコンガコンとガラス戸を振るわせる。
「二、三、確認したいことがあるんですが構いませんか?」
「……どうやって中に……」
 言いながらもこの男には鍵も壁も関係ないのだと頭の片隅から声がする。
 しかし予想に反して紅隆は人差し指を立て上に向けた。
「?」
「妻の部屋から下りてきました」
「……ああ……」
 紅隆の妻フィーアス・ロブリーも独身時代ここに住んでいた。現在、自宅は宮殿から6km程の場所に構えているが、結婚してからも彼女はこの寮の部屋を手放さなかった。その部屋と自宅を紅隆が空間術で繋げており、術が効いている限り通勤に便利だからだ。
 時間が時間なだけに世界王はTシャツにジーンズとラフな姿だ。そのポケットから何か取り出した。
 それは爪楊枝のような細く短い棒のような物だった。ボタンでも押したのか「ピ」という電子音がし、5cm角の青い電子板が現れる。「3Dモニタです」更に紅隆が何やら操作すると、電子板上に影が浮かび上がった。
 紅隆はヴァルセイアの意向などまったく聞かず「彼が」とモニタを向ける。
「これをつけているのを見たことはありませんか?」
 モニタ上に投影されているのは指輪のようだった。小さなモニタに小さな指輪、それでは細部など分る筈もなくヴァルセイアは一歩近付く。
 世界王紅隆が「彼」と言ったらそれは先の神、スペキュラーの事だ。
 最近では元老院排斥へ向けて新案を出すなど二度と同じ轍を踏ませないために動いていることが多かった。しかし彼がこの国に出入りを続けているのはスペキュラーの遺言を相手に伝えるためでもあるのだ。
 ヴァルセイアは映像投影の指輪を見る。
「…………確かに指輪をしているのを見たことはありますが、これだったかどうかは……」
 この数分の間に頭のギアを仕事用に戻している。頭の中では昔の記憶が再生されて、スペキュラーが嬉しそうに指輪を眺める様子が浮かんでいても決して顔には出さない。
 確たることを言えないのは事実だが、以前神の指に見たものと目の前の映像は似ているような気がする。
「……西殿、それを何処で……?」
「ああ」紅隆は再生を止めて元通りしまう。「企業秘密です」
「…………」
 紅隆はヴァルセイアの硬い視線に気付くと、にこりと微笑む。自動ドアの立てる音が大きく響いていた。

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