[携帯モード] [URL送信]
1



 吸い込まれるような風に髪を乱しながら、男は人気の無い霊廟へ足を踏み入れた。
 明かり取りから入る光を浴びながら長い廊下を進む。靴音が高く響き、壁に反響する。
 今この霊廟にはたった一人の男が奉られている。次の者が来るまで、彼がこの霊廟の主なのだ。
 最奥の主の部屋まで辿り着いた来訪者は、扉の真正面の献花台に花が手向けられているのを見て僅かに足を鈍らせた。今日は彼の命日でもないごく普通の平日である。提げた花束を肩に担ぎながらゆっくりと近付いた。
 小さな花束である。淡いピンク色の花が三輪、カスミ草に包まれている何とも味気無い物だった。男はその隣に自分の大きな花束を置いて祭壇を見上げた。
 霊廟の主が祭壇の人物になってもう何年経ったか。月日とは恐ろしいもので、彼と会う以前なら絶対に考えなかった結婚をし、存在すら許さないと思っていた自分の子供が、今や三人もいる。子供達を可愛いと思っている自分が未だ信じられない。
 荘厳な祭壇だ。
 高い天井を貫くように伸びた浮き彫りの施された三本の金柱。その後ろには金細工に飾られた青い楓の葉を描いた円台が鎮座している。それらの向こうに、彼は眠っている。
 男は長いこと柱の浮き彫りを眺ていたが、そのうち諦めたように吐息を零し、踵を返した。
 墓地の入り口まで引き返すと、そこには連れの女の他に固い顔の男たちが待ち受けていた。そうそうたる顔ぶれに、男は内心鼻を鳴らして笑う。
「おや、どうしました? 皆さんお揃いで」
 外務庁長、防衛庁長、事務局長。更に各人部下を二、三人と武装した防衛部隊員が五人、なんとも物々しいお出迎えだ。外務庁長が一歩前に進み出、男に対した。
「本日はどのような御用向きでしょうか。連絡を頂いてはいなかったようですが」
「用件はたった今終わりました。プライベートでしたので連絡しなかったまでですが、必要でしたら次から気をつけましょう」
 では、と会釈して立ち去ろうとするのを中で茶を用意しているからと外務庁長が止めた。断ってもしつこく食い下がられ、仕方なく男は彼らに続いた。客人の護衛だとして、防衛部隊員が二人を取り囲む。
 墓地は国会議事堂敷地内の奥に位置している。一旦構内に入らなければ行けない仕組みになっており、そこで来訪が発覚したようだ。
 特別応接室に通され、言葉通り紅茶が振舞われる。他愛もない世間話の相手を一時間ほどしてようやく男は解放された。しっかり玄関口まで見送られ、鬱陶しいことこの上ない。
「見られたくないものがありますって自分で言ってるの、分ってないのかね」
 運転席に乗り込んだ部下に愚痴るように言うと、薬が効き過ぎたのではと苦笑が返る。男はふんと鼻を鳴らした。
「金喰い豚に鞭打ったくらいで薬か?」
 車は議事堂敷地内をようやく抜ける。並木を抜けて一般道路に出れば人影もぐっと増え、男は息苦しさから解放されたと言わんばかりに伸びをした。
「少しやり過ぎではと申しているのです。未だ元老院の力は絶大ですから、貴方が彼らに何かすれば火の粉は全て妃殿下に……」
「世界王の妻に危害を加える度胸があったらこんなことにはなっていない」
 前方の信号が変わり、車はゆっくりと停車する。男はぼんやりと通行人を眺めている。
 運転席の女は押し黙ってしまった。
 規則や慣例で雁字搦めのこの国の政府は、その結果指導者を死に追いやった。しかし彼らは未だその事実を認めようとはしない。
「それより俺が心配なのは唯一つ」
 幾分青い顔になったのを見て、女はたちまち意を得た。
「すぐ戻るつもりでしたから何も言わずに出てきましたものね。きっと今頃怒り狂ってるでしょうね……」
 この後落ちるであろう側近の雷を予想して、男は眉間を寄せた。


[次へ#]

1/30ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!