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「そういえば最近大人しいんじゃない?」
 途中エレンに捕まって、アリシュアの夢想は中断した。どうやらわざわざ探してくれたらしい。開口一番に「気分は?」と訊かれ、苦笑を返した。
 中庭に出て二人は陽の当たるベンチに腰掛ける。何がと訊ねると「ザリファンの女共よ」とサンドイッチのパッケージを開けながらエレンは言う。
 一時は幼稚な嫌がらせが毎日のように続いたのにと指摘されたが、今のアリシュアはそんな瑣事を思い出すのも億劫である。神経性の体調不良とはなんとも情けない限りだとの自嘲の吐息と共に「シメた」と吐いた。
「え?」
「先月だったかなぁ。団体様でいちゃもん付けに来たんだけど、こっちも毎度面倒だったし丁度いい機会だったからシメた」
 以来廊下などで擦れ違うとき、彼女達は怯えたように身を竦ませていたのだが、そんなものアリシュアの眼中には既にない。そうこうしている内にローナンが出入りし始めたため、言われるまでそんな連中が居た事すら忘れていた。
 心なしか頬を引き攣らせながらエレンはカツサンドに齧り付く。具体的にどうシメたなどと聞いてもいいのだろうかと思案した。
 横目で覗けば、余程体調が悪いのか、アリシュアはぐったりとベンに凭れている。どんな時でもけろりとしている姿しか見た事が無かったのでさすがに心配になり「本当に大丈夫なの?」と訊いた。
「うん」そう答える声は気だるげである。
 とは言え、こんなに具合が悪いのは妊娠中以来だなと考え、アリシュアは浮かび上がった顔を首を振って追い出した。隣の奇行に友人が心配そうな視線を寄越す。
「何?」
「何でも」
 微笑しながら顔を上げた時だった。
 アリシュアの前方の回廊をすらりとした男が通り過ぎるのが見えた。ローナンである。
 一昨日姿を見せたばかりなのに。くそ、と口の中で悪態をついて身を小さくする。
 目的を調べたくても、この男の場合オルネラ・チェスティエと違って顔を見られるだけでもまずいのだ。うっかり近いて気付かれるのは、オルネラへの対抗策を手にした今、本位ではない。
 何か嗅ぎ回っている気配はするものの、元から元老院排斥のために出入りしている男なのだ。しかしながら今さら何を調べようというのか。
 昼休み終了のチャイムと共に二人は腰を上げた。エレンは最後までアリシュアの体調を気遣ってくれ、大丈夫大丈夫と繰り返して送り出した。
 外務庁第一執務局では昼返上で仕事をしている者が何人も残っていた。アシュアも早々にその中に混ざり、いつもよりもだいぶ遅れ気味の仕事に手を付ける。
 倦怠感が重く圧し掛かる中での仕事は辛いの一言だった。まるで集中できないのだ。
 少しでも気を緩めると今朝の夢がフラッシュバックしてくる。夢の続きとして記憶が再生される。
 鋭いナイフのようだった友が壊れていく。どんな慰めの言葉も受け付けず、死んだ夫に瓜二つの息子をこれまで以上に拒絶する。息子の方も父の死を悲しんでも自分を産んだ女の悲嘆には見向きもしない。
 飲み友達を亡くした事以上に、昔のアリシュアには母子の溝が深まる方が辛かった。
 共通点の多かった友人夫婦と自分たち。友のあの様を思い起こすといつも、夫のために狂えなかった自分がこの上なく薄情な気がしてくる。
 鞄の中から指輪の入った小箱を取り出して蓋を開ける。サイズの違う二つのシルバーの内夫が嵌めていた方を取り出して自分の指に嵌めてみる。以前薬指に嵌っていた指輪はアリシュアの指には大きく、どの指もピタリとは納まらなかった。
 死ぬ前に家族に何かを遺すこともまた、友人家族と同じだ。
 そう考えると気分が悪くなり、アリシュアは指輪を外して席を立つ。
 朝同様、胃液しか出てこなかった。


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あきゅろす。
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