40
その日はいつもと同じように始まった。だからくたくたに疲弊して床に就くまでも、これまでの毎日と同じだと思っていた。
訃報が入ったのは夕方だった。
遺体が戻ったのが翌未明。
駆けつけるとそこには既に友人がいて、遺体に向かって罵声を放っていた。
冷たくなった頬に平手を打ち、襟を掴んで重たい身体を揺さぶる。側には彼女の部下達が手も出せずに佇みその様を見つめていた。
「あんたは!いつまで!そうやって!狸寝入りをしてんのよ!」
インテリの友人と根っからの武人である遺体の主との体格差はかなりある。それでも激しく揺すったからか、遺体を載せていたストレッチャーが派手な音を立ててひっくり返った。不自然な形で転がった身体に、ぶつけたのか額から血を流した友人が尚も取り縋る。
「誰の許可を得て死んでるんだ!まだお前にやらせようと思ってた案件が山ほど有るんだよ!!」
どんなに喚いてもとうに止まった心臓が動き出す筈もない。叫びは直に懇願するような口調に変わった。
「……ねぇ……もう降参するから……今回は私の負けでいいよ。……いいから、ねえ、目を開けて……」
周囲には駆けつけた者、他のストレッチャーに乗っている遺体と共に戻ってきた負傷者達が何人もいたが声をかける者は誰一人としていなかった。そんな中、身体のいたる所に血の滲んだ包帯を巻いた男が進み出、取りすがる細い肩を掴んで床に沈む遺体から女を引き剥がした。
司法解剖をするからと言うと女の乾いた瞳に困惑の色が浮かぶ。ゆるゆると首を振るのを見て男の苛立ちは頂点に達したらしかった。
「お前は自分の亭主が何で死んだか知りたくねえのか!」
掴まれたままの友人はびくりと震えたが男は構わず怒鳴り散らす。
「ガキの頃から今度のよりもっとヤバイ戦地を潜り抜けてきた男が、急所を撃たれた訳でもねえのに何で死ぬんだよ! 他の奴にしてもそうだ!」
腕を振って背後を示す。十幾つものストレッチャーが控えていた。
「嘆く暇があるんなら仇を討つための算段でも立てろ!」
結局、そんな叱咤も彼女の耳には届いていなかった。悲しみぬいて、最後には心を破滅させてしまったのだ。
薄明るい寝室の天井をぼんやり眺めながらアリシュアは身を捩った。時計を見れば通常の起床時間より一時間半も早い。
寝汗で額に張り付いた前髪を払いその手で目を覆う。
何故今になってこんな夢を見るのか分らなかった。もう昔の話なのに。
重たい身体を起こしてバスームに入る。息苦しく、込み上げた嘔吐感に従って胃液を吐き出した。熱いシャワーで寝汗と共にそれを流し、口を漱ぐ。
当然食欲などなく水を一杯飲んだだけで仕事に出た。
ファレスにも具合が悪いのかと訊ねられ夢見が悪かったのだと答える。それでも他の者よりテキパキと仕事をこなし昼休憩に出た。
何も食べる気がしなかったので購買でスポーツドリンクを買い求め飲み歩きながら今朝の夢を振り返った。
「アリシュア」
呼び止められ足を止める。いくら考え事をしていたからといって相手の気配も視線も感じなかった事にアリシュアは歯噛みした。
「随分蒼い顔をしているけど具合が悪いのか?」
前方からやって来たヒューブが心配そうに顔を覗きこんでくる。大丈夫、とその視線をかわす。
「でも……」
「ホントに大丈夫。心配してくれてありがと」
視線が追ってくるのを感じながら横を通り抜けた。特に目的はなく、宮殿内を歩き回っている。
あの頃の記憶は苦いの一言だった。
涙に暮れて日に日に痩せ衰えていく友。いっそこのまま死にたいと願っていただろうにそれを許さぬ体。自分の命を守る為に捏造された記憶。
どうしているのだろうと夢想しながら窓から見える青空を仰いだ。
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