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 アリシュアは廊下の角に張り付きながら先の道を悠々と歩いている男を盛大に呪った。
 最近外務庁に出入りしているジョイド・ローナンという男だ。
 細身に高い身長、緩いウェーブの黒髪、蒼い瞳。第一執務局の女性陣はキャーキャー言っているが、良く見ろ気付けと叫びたい。あれは世界王紅隆である。
 いつもの仏頂面や不遜な表情を柔らかな笑みに、口調も穏やかなものに改めやや声も違う。だからって顔は同じなのだから分りそうなものだ。世界王紅隆が相手だと怖くてよく顔を見ていないという証左である。
 アリシュアの対角線では同じように隠れている女の姿が確認できる。随分前から宮殿内でスパイ活動をしているオルネラ・チェスティエだ。元老院にはテレサと名乗っているようだがこちらにも何がテレサだと言いたい。
 変装した紅隆が頻繁に出入りを始めたのは忘れもしない二十日程前からである。
 その時は丁度オルネラが春宮から出て来たので様子を見に行っていたのだ。第一執務局に戻った途端鉢合わせた。
 一瞬分らなかった。慌てて顔を背けたし向こうは気付いていないようだったのに、以来奴はやって来る。
 より印象を変えるためなのか髪に癖をつけたその男がにこやかに入ってた時には愕然とした。まさかと思いつつ大慌てで隠れてやり過ごしたが、お陰で仕事が滞ること甚だしい。意地でも残業にはしなかったが迷惑至極である。
 週に一度はやって来るローナンにはコルドも困惑を隠せない様子だった。
 そのコルドに呼び出されたのは八日前だ。昇進話だった。
 どうだろうかと訊かれ即座に拒絶した。昇進後の官位は従七位、公式の場で世界王と対面できる地位である。冗談ではなかった。
 あまりにも食い下がるので左遷を希望するとさすがにコルドは諦めたが、その日もローナンとニアミスしかける始末だ。あまつさえ今、とうとう各省庁をうろつき始めたオルネラを追っているのに奴はその間に立ち塞がっている。
 こちらには気付いていない様子のオルネラもこの世界王の挙動は鬱陶しいらしい。一瞬覗いた渋面がくるりと翻った。
 あっ!と思ったがローナン──紅隆は出くわしたキンヴァレイと立ち話を始めている。
(死ねええええ、ハゲ!)
 と念じてもちょっとやそっとで死ぬ男ではない。隙を見て追いかけるよりない。
 セルファトゥスが春宮に張った探査捕縛結界の「捕縛」にはいくつか発動条件がある。その一つが春宮以外の建物に五回以上出入りすることなのだが、条件不足のうちはこうしてアリシュアがカバーしなければならなかった。面倒だから一回目で拘束しろと文句を付けたのだが魔術だって万能ではないと突っ撥ねられた。
 何かに気を取られたのか紅隆がそっぽを向いた隙にアリシュアは廊下を横切ってオルネラを追う。もう姿を見失っていたがこの先は春宮か本宮か国土省だ。一番危険性が高いのは本宮である。
 国会議事堂本宮には内閣官房府と神の執務室がある。昔何度も通った通路をアリシュアはひた走る。
 本宮ロビーの階段の手前で足止めを食っている背中を見つけ足を止めた。
 神聖な職場で昼間からナンパされているようだ。また春宮に行くのか、元老院を誑かした例の金髪姿のままだから無理もない。
 柱の陰に隠れてホッとしたのも束の間、階上から書記官数名を従えたヴァルセイアが降りてくるのが見えた。オルネラの横を通り過ぎこちらにやって来る。
 携帯端末を取り出し通話をしているふりをしてやり過ごしたが、やはり彼女は目ざとくアリシュアを見つけたようだ。左半身に痛いくらいの視線が刺さるのは免れなかった。
 諦めたのか、オルネラが戻っていく。同じようにやり過ごしてその背中を振り返った。
 次で、捕縛網が発動する。



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あきゅろす。
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