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 小柄な女だった。160センチも無いだろう。
 しかし体つきは極めて女性的で、南殿側近の妻をもう少し常識的なサイズに縮小したような、普通の男なら大喜びしそうなプロポーションだ。だが勿論、紅隆にはそんなものさしたる意味はない。
 冷えた手で首筋を撫でられたような気がした。
 女は紅隆と目が合い、ニ、三度瞬きをすると何かに気付いたように身を硬くしみるみる顔を蒼くさせた。深緑の髪をばさりと揺らして顔を隠すとそそくさと席に着く。
 背筋に這い上がる悪寒に眉を寄せながらその後姿を目で追っていた紅隆は、彼女の座った席を見て「あ」と思った。
 それは以前ここを訪れたとき妙なものが置いてあった席だったのだ。
 一見して紫水晶のようだが全く違う、奇妙な結晶体だ。作った本人にそう言うと「お前に奇妙とか言われたくない」と笑っていたが、その奇妙なものに良く似た置物だった。何故こんなものがと思ったがまさかこんなところにと疑念を打ち消していた。
「どうされました?」
 不意に呼ばれて振り返るとコルドが不思議そうに立っている。紅隆が付いて来ないので引き返してきたらしい。
 何でもありませんと答え今度こそ外務庁第一執務局を出た。
 廊下を歩きながら世間話のように話を振る。
「随分と綺麗な人でしたね」
 初め何のことか分らなかったようだがコルドは直ぐに「ああ」と思い当たる。
「キャネザですか。ええ、優秀な部下です」
 心なしか誇らしげな声音だった。
 仕事も速く的確、頭も切れて度胸もある。ただ、とコルドは言葉を濁す。
「些か協調性に欠けるというか……。うちは仕事量が多く、職員達は皆残業の毎日でしてね。そんな中であれだけは綺麗に仕事を片付けてしまう。どの仕事も完璧なので誰も文句など言えないのですが、それを良く思っていない者も多いようで……」
 嫌がらせで自分の仕事を回している者がいるのをコルドは知っていたが、キャネザは涼しい顔でそれすらも片付けてしまうのだ。それを見ると彼女にはもっと大きな仕事を任せられるのではないかとも思うが、そんな出世は余計周囲の反感を買うのではないかという気がして踏み切れずにいた。
 愚痴のようなことを聞かせてしまったと我に返り謝罪する。紅隆はとんでもないと笑って流してくれたが、そう思ったのは早計だった。
「能力があるならどんどん取り立てるべきでしょう。唯でさえ無能な者が上に蔓延っているのですから、……失礼ながら、出し惜しみをしている余裕は無いのでは?」
 痛烈な皮肉である。厚生労働省長官なら三倍にして返すのだろうがコルドは「はあ……」と曖昧に頷くのでやっとだった。
「彼女、どうやら私に気付いたようでしたね」
「……ああ、そういえば……」
 常時とはまるで雰囲気が違うとはいえあれだけ間近で見れば気付いてもおかしくなかったが、紅隆は面白くない様子で「顔も変えようかな」などと呟いている。
「いえっ、それでは私がわかりません」
 慌ててその提案を却下する。そんなことをされたら彼が宮殿内で何をしようと本当に分らなくなってしまう。
 そのあまりに真剣な様子に「冗談ですよ」と紅隆は笑った。
 完全な非公式のため紅隆は一人で乗ってきた車に乗り込む。角を曲がるまでバックミラーにコルドの姿が写っていたが、その姿が見えなくなるとすぐさま車を路肩に停車させた。
 このところの忙しさで忘れていた奇妙な感覚が甦っていた。
 胸の奥でもやもやとするもの。喉まで答えが出てかかっているのにと地団駄を踏むような……。
 思い返せば前回も彼女を見かけた気がする。原因はそれらしいがまるで心当たりが無い。
 強制的に持たされた携帯端末が内ポケットで鳴るまで、紅隆は険しい顔でハンドルを睨みつけていた。

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あきゅろす。
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