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 日頃殺人的な業務時間を強いられている月陰城上層部にも、実は労働基準法で定められた始業・終業時間というものが存在する。これは中、下層部と同じである為、本来なら午前中から始まり夕方に終わる筈なのだが、史上を見てもこの法律が遵守された代は一つもない。
 現四大王政権執行部の中には元法律家もいるが、彼女がこの件に関して言及したのは初日だけである。とてもそんな事を言っていられる状況ではなかったのだ。
 それを裏付けるように月陰城上層の居住性は充実している。
 個人のプライベートルームは元より、仕事場の至る所に休憩所、仮眠室やらバスルームが点在しており「休憩を取りましょう。その後はまたお仕事頑張ってね」と城を上げて労働基準法の放棄を奨励していた。
 有って無きが如き始業時刻にはまだニ時間程早い頃、西方執務室近くの仮眠室へ向かう廊下にフィーアスの姿があった。
 ワゼスリータから話を聞き、ルシータに貰った衣服の礼を言う為にやって来たのだ。フィーアス自身は兎も角、子供たちは日に日に大きくなる。服など直ぐに着られなくなるのだが、なかなか買いに行く暇もない。なので南殿の行為は非常に有り難かった。
 エテルナから聞いた部屋のドアの前に立ちチャイムを鳴らそうとしたまさにその時、中から「どんっ」と大きな音がしてフィーアスは身を竦めた。硬直するフィーアスの目の前でスライドドアが開く。現れたのはエーデだった。
 女顔に凶相を貼り付けていた南殿側近はフィーアスを見て表情を改め、涼しい顔で朝の挨拶をしてきた。
「……おはよう……ございます……ルシータさんも……」
 一体何事なのか、彼の体越しに見える室内は幾分雑然としている。ベッドの位置が斜めになっているようにも見えた。
 叩き起こされたのだろう。首根っこを掴まれたルシータは挨拶しながら乱れたままの長い赤毛に手櫛を入れている。
 フィーアスが急いで礼を言うと「気にしないで下さい」とエーデが言う。
「うちとしても自己防衛の一環ですから。こいつが爆発してうちが機能停止する事を考えれば、俺が一日犠牲になっただけで世の中平和なら、それに越したことはない」
 ルシータが出掛けている間の業務は側近であるエーデの肩に圧し掛かってくる。加えて彼は南軍の責任者と月陰城全軍の総責任者も兼任しているから、昨日はさぞや忙しかっただろう。これから寝ますと宣言した彼の目は物凄く怖かった。
「ルシータさん、今度ゆっくりお茶でも飲みましょうね」
 エーデを気にしつつ礼を兼ねて誘うと、ルシータは救世主が降臨したかのごとくフィーアスの手を押し抱いた。こくこくと頷く様子はどこか可愛らしい。こういう言い方は失礼なのだろうが、まるで子犬のようだった。
 無論それは子犬の首を押さえている怖い飼い主が隣に居るからそう見えるに違いない。ルシータ本人は本来気品ある優美な人なのだ。高貴な生まれなのだと聞いたことがあった。
「エーデさんもどうですか? うちの子たちと遊んでもらって、マクベス君やリヴちゃんにはいつかきちんとお礼をしなくてはと思っていたんです。ご家族皆さんで」
「お世話というならこちらの方ですよ。東の兄妹共々、お宅には色々とご迷惑をかけてますからね」
「そんな」
 奥様にもご挨拶をしたいと思っていますしと続けると、エーデは半笑いになって困った。思わずルシータの拘束も緩むほどだ。
「うちの家内ですか……いやぁ、それは、ご主人が何と言うか……」
 そう言ってエーデは視線を通路の奥へと飛ばす。それを追って振り返ると、紅隆が立っていた。




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あきゅろす。
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