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 変化が起きたのは翌日からだった。仕事量が微妙に増え始めたのだ。
 しかし日増しに増加していく仕事もアリシュアは涼しい顔で片付けてしまう。ゴルデワ政府から正式に訪問予定通知が来て以降は特別業務も加算され外務庁を筆頭にてんてこ舞いだったのだが、アリシュアの勤務状況は変わらず、定時で帰宅していく。時間内に完璧に仕事をこなしてしまうので誰も文句を言えないのだ。
 世界王の来襲まで二週を切った頃には、アリシュアの仕事量は他の同期の五倍に膨れ上がっていた。ようやく妙だと気付いたが、この程度特に問題とも感じないので大人しく裁いていた。
「先輩、いつもそれ持ってますね。何が入ってるんです?」
 外回りから戻り鞄の中身を整理していると、向かいの席からファレスが身を乗り出して白革張りの小箱を指した。開けていいですかと手を伸ばし、返事も聞かぬ間に蓋を開けた。
 中には指輪が二つ納まっている。意外だったのか「へぇ〜」と言ったきり言葉が続かない。アリシュアは速やかにそれを取り返した。
「嵌めないんですか?」
 当然の疑問だろうが、嫌な質問だ。アリシュアは憮然としたまま夫の形見なのだと答える。夫を亡くしてから何となく付けられなくなったのだ。しかし捨てることも出来ず、こうして持ち歩いている。
 悄然とした姿に狼狽したのかファレスは「すみません」と神妙に謝ってきた。
 それでも気にはなるのかちらちらと見てくる。何だと問うと「同じデザインなんですね」と当然のことを訊く。
「当たり前でしょ。ペアジュエルなんだから」
「ぺあじゅえる……」
 不思議そうにしている顔を見て「あ」と思ったがそれ以上の追求は無かったので捨て置くことにした。
 必要書類を提出し、次の報告書を作成しようとしたときだった。
 コーヒーを配り歩いていた同僚がアリシュアの手前で躓いたのだ。机上の紙料を抱えキャスター付の椅子ごと退避したので無事だったが、あわや頭から被るところだった。辛うじて端末は免れたし、机や床に派手にぶちまけただけで済んだのは不幸中の幸いだろう。
 以後も似たようなことは度々起こった。
 液体、固体と数々のバリエーションがアリシュアの頭上に降り注ぎ、時には道を塞ぐ。しかしその度ひらりとかわしているので被害は全くなかった。しいて言うならぶちまけられた物の後始末を手伝わねばならないのが些か鬱陶しいくらいだ。
「作為を感じるわね」
 散らばった書類を掻き集めながらエレンがぼそりと言う。落とし主が平謝りしながら駆けて来てそれを受け取った。
「不注意よ、以後気を付けなさい」
 エレンに注意されぺこぺこ頭を下げながら駆け戻って行く背中に目を向けると、その奥の角に慌てて引っ込む影を見つけることが出来る。実を言えばこれまでの事故には九割方そんな傍観者が付いていた。アリシュアは駆け去っていく背中やその横顔までばっちり目撃したこともある。それが何処の誰で、何の目的でアリシュアに絡んでくるのかも既に確認済みだ。
 イリッシュに言われたことが現実になっているのだ。
 エレンにそのことを告げると、彼女は顔を歪めて「これだから女たらしは」と吐き捨てる。
「エレンはキープしておかないの?」
「私、あの手の優男嫌いなの」
 文句を言ってやると意気込む友人を制止する。ヒューブに言ったって治まるものでもなかろう。
 彼自体は非常に良い人なのだ。すっぱり振ったアリシュアにもこれまで同様気にかけてくれているし、息子の方にも顛末を報告したそうだ。意趣返しに自分のファンを焚き付けてアリシュアに嫌がらせをするような腹黒ではない。
 ただ日増しにエスカレートしていく行為はそろそろ本格的に対応した方がいいだろう。直、世界王がやって来る。


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あきゅろす。
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