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「あ! 先輩何処行ってたんですか! 今すっごい事があったんですよ!」
 ファレスのみならず執務局全体が躁状態だった。世界王が来たという。
 自分の机の上を気にしていたようだと言われ、アリシュアは机上を振り返る。一部始終を見ていた同僚が右奥に置かれた紫水晶の多角型結晶を示した。
「そう」
 何ですかテンション低いなぁと文句が飛んでくるが、仕事しなさいと逆に叱り付けた。
 席に着いたアリシュアはモニタを起動させ仕事を再開する。ちらりと見やった水晶は沈黙していた。
 今朝方追い出した居候共の片方に昨夜張らせた探査捕縛結界のモニターユニットがこの水晶だ。少し前まで重役出勤した元老院が結界内に入る様子を映し出していた。
 流石に元部下なだけあって見覚えがあったのかもしれない。矢張り昨夜フィーアスに見られたのは不味かった。
 警戒線の手前で気絶させた相手が彼女だと分った時点である程度こうなる予測はしていたが、何も自ら乗り込んでこなくとも良いだろうに。随分と腰の軽いことだ。
 同僚達はちらちらとアリシュアを気にしている。昨日に引き続いての珍客万来では仕方がない。こんな色ガラスを珍しがるなんて意外と可愛げがあるのねとわざと聞こえるように独り言を呟き、興味の矛先を鈍らせた。
 終業間近、外回りの仕事から戻ってくるとアリシュアに声をかける者があった。一瞬ぎくりとしたが声が違う。
 彼、ヒューブ・ザリは法務省の六期上の先輩で、エレンと親しくしているうちに知り合った。先輩と言っても育児のため入庁の遅かったアリシュアの方が歳は上なのでアリシュアに対する口調は丁寧になる。
 自分ももう終わるから一緒に食事をしないかという誘いだった。
 特に断る理由もないので承諾したアリシュアは速やかに残務を終えて通常通り職場を出た。
 連れてこられたレストランは何やら高そうではあったが、彼が持つと言うので遠慮せずガツガツ食べた。面白おかしいから暫く居ると駄々を捏ねた馬鹿共を追い出すのに少なからず金を持たせたので些か金欠気味ではあったのだ。酒も美味いし、正直、この晩餐はラッキーだった。
 女は得だなと思うのはこういう時である。
「変なことを聞いてもいいかな?」
 食事の最中、ヒューブは躊躇いながら訊ねてきた。
「ご主人が亡くなってどれくらいになるの?」
 口の中の肉を咀嚼するので忙しいアリシュアの視線を真っ直ぐに受け、「ごめん」と彼は目を逸らす。聞きもしないのに言い訳を始めた。
「総務に入った息子さんも良くやっていると噂を聞くし、随分前から一人暮らしをさせているんだろう。なのに貴女は恋人も作らずずっと一人で居る……───……のは、亡くなったご主人にまだ未練でもあるのかと……いや……えっと……」
「そんなことは──」
 夫の顔が浮かぶ。
 彼の問いはまだ愛があるのかというものだろう。だったら無いと断言できる。アリシュアは夫の生前から自分の想いにどのような名前もつけなかった。アリシュアの中に「愛」という言葉は初めから存在していないのだ。
 あるのは怒りだ。そして疑問。
 ぽっかり開いた喪失感という穴には、それらが詰っている。
「再婚したいとかは……」
 ワインに口をつけながら「ない」と短く答える。そもそも相手が居ないと続けると、ヒューブは俄かに色付いた。身を乗り出したが何かに思い止まったように体勢を戻す。
 何か言いたそうにしているのがひしひしと伝わってくるが、アリシュアにはまるで興味がなかった。それよりも目の前の料理と美味い酒の方に目が行く。
 それにしても何故今になってこんな話なのか。
 正直、夫のことは思い出したくないのに。
 腹が据わったのか、ヒューブはようやく「あの」と切り出した。

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あきゅろす。
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