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 午後から出勤したフィーアスは来て早々長官室に呼び出された。恐る恐る入室すると、不機嫌の模範解答のような顔の上司と外務長官のコルドが待ち構えていた。
 二人はフィーアスの入室と共に会話を中断する。
「ロブリー、大丈夫なのか?」
 腰を浮かせたコルドに挨拶する間も与えられず、フィーアスはご迷惑をお掛けしましたと謝罪した。
「特に異常は見当たりませんでした」
 血液検査に心電図、脳波、レントゲン、CT、MRI。問答無用で月陰城内の医療棟に押し込まれあらゆる検査を受けさせられて午前が潰れたのだ。
「一体何があったんだ」
 その質問は朝から何度もされたものだったがフィーアスは答えを持っていない。だからこその検査でもあった。
「……それが、何も覚えていなくて……」
「覚えてない?」
 夫も同じ表情をしていた。そんな馬鹿なという怪訝な顔だ。
 そこへマイデルが割って入る。
「イーガルに電話をしたそうだが、それは何故だ」
 リクライニングチェアに凭れ腕を組んだまま、睨むようにフィーアスを見る。この問いにも答えることができなかった。
 今朝夫にも同じ事を聞かれた。タインの端末にフィーアスから着信があったというのだ。同様にフィーアスの端末にもタインに発信した履歴が残っていたが、まるで覚えがない。
 そう答えるとマイデルは目を細める。コルドが言った。
「うちへ来たのは覚えているのか? 世界王の訪問について連絡しに来てくれたろう」
「あ、はい。それは」
 ちらりと上司を伺うが特に反応はない。コルドから既に聞いているのか。
 記憶の不確かな範囲は極限られた時間なのだ。タインの話に基づくなら、外務庁を出てから外務庁内で発見されるまでの僅か数十分という短いスパンである。エントランスへ出た気もするが、そこまでだった。
 コルドはそうかと呟くとフィーアスを丁寧に労って、無理をさせるなとマイデルに命じる。責任を感じているのだ。
 しかしそんなものを聞くマイデルではない。うるさいと一蹴し、もう用は無いと部下を長官室から追い出した。
「もう少し柔らかい言い方は出来んのかお前は」
 上司たちの声は目の前で閉まったドアに遮られ、仕方なくフィーアスは自分の席へ向かう。病欠したからといって仕事を肩代わりしてくれる者もない。皆自分の仕事で手一杯なのだ。大丈夫ですかと気遣ってくれる部下たちの言葉が胸に沁みる。



 奇妙な男がやって来たのは午後の仕事を開始して直ぐだった。
 頭にタオルを巻いた繋姿の細身の男はどういう訳か上司に奥へと通される。昨日ならいざ知らず、通常日に民間人がこんな奥まで入ることは出来ない筈だ。
「先輩、あの人誰だか……っていない」
 向かいの席のアリシュアの姿がない。ファレスの疑問に答えたのは別の先輩だった。
「えっ! 今のが世界王!?」
 声がでかいと注意され、慌てて口を押さえた。
 そんな通知は来ていなかった筈だが、昨晩のロブリーの件で何か文句を付けに来たのかもしれない。室内がざわつく。
 程なくしてタインが世界王と共に戻ってくるとそのざわめきもピタリと止んだ。黙々と仕事をこなしている振りをしながら、皆が世界王の一挙手一投足に注目している。ファレスも机に噛付きながらもちらちらとその動きを目で追っていた。不意に、その目が合う。
 どっと汗が噴出した。俯く。
「失礼」
 前方から声が掛けられた。
「この席の方は今どちらに?」
「何か」
 タインが慌てて割って入る。いえちょっと、と世界王の歯切れが悪い。
「これが……」
 資料の山の向こうで世界王が何かに触れる気配があった。「いえ」離れる。「すいません、なんでもないです」
 執務室を出て行く背中を見送って、皆が一斉に息を吐いた。



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