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 老人はポロシャツの胸ポケットから錠剤ケースを取り出して元部下の前に置く。タインはつられてそれを見た。
「儂は箱を持っている」
 当然タインは視線を上げたが老人とは絡まなかった。
「スペキュラーが遺したパンドラの箱だ」
 引っかかるものを感じ、タインはいつのことだと質した。答えは明確、荷物がオッサムの自宅に届いたのは彼の本当の命日の翌日。
 当時外務庁長だったハクビーズがその荷の存在を知るのはようやく家に帰れた四日後のことだったという。
「まったく酷い奴だ。秘密を全部この老いぼれ一人に背負い込めと言う」
 ハクビーズは透明度の高いそのケースをコツコツと爪で叩く。ケースは八つに間仕切りがされており、内五つがとりどりの錠剤で埋まっていた。
 箱の中には自分宛の手紙と一緒に彼の心が詰められていた。
 かつて、突然死亡した神の代わりに彼の記憶を写した人形で取り繕って凌いだが、その人形を介してしか誰も窺い知れなかった彼本人の記憶の一端が目の前に差し出されたのだ。
「後日あの人形殿に確認したら彼は笑って秘密だと言う。まったく、死後ああなることなど予測できなかったはずなのに記憶だけで別人格を掌握しおったのだ」
 それはタインのみならず、事情を知りあの人形と接した誰もが思ったことだ。
 何があったのだと尋ねても口を開かず、自分の創造主であるゴルデワの術師の命でも彼しか知らない真相の扉は決して開けなかった。非協力的だと詰れば「それでは墓荒らしと何も変わらない」と口答えをする。
 記憶しか継いでいない筈なのに本人だと錯覚する場面がいつくもあった。
「…………それが、キャネザと何の関係があるんです」
 最もな問いだが、ハクビーズは即答を避けた。
「どう関係するのか儂にも分からん。有資格者の認証が必要な箱もあって儂では開けられんかった。その有資格者と言うのがアリシュア・キャネザだよ」
「…………」
「言ったろう、スペキュラーの紹介だったと」
 押し黙ったタインは一拍置いてかつての上司を睨み付ける。謎や猜疑心だけ放り込んでおいて自らの責任は回避とは。口ほどにものを言ったのだろう、タインが何も言わない内に老人は自分は狡い爺なのだと笑った。
「この歳になると人情や倫理よりも先んじて損得勘定でものを考えるようになるから困る。スペキュラーから打診されたときも真っ先に思ったのが『使える』だったからの」
 ハクビーズのこういった思考回路にはタインも覚えがある。益か損かが先に有り、その後で状況や情勢と擦り合せる。有史以来二度目に世界王が現れた時が正にそれだった。
 つまりそれは、キャネザを登用するに当って何らかの不都合な事態が存在したということを示しているのではないか。だがそれを超越するだけの有益さが彼女には有ったからハクビーズは無理を通してでも手元に置いたのだ。
 タインは唇を噛む。
 彼女の優秀さは誰もが認めるところだ。だがその裏にある何かが自分やコルドを不安にさせている。その何かを知っているらしいハクビーズは秘密の入っている箱を持ち出して見せびらかすだけ。
「秘密を暴いたところで混乱を招くだけだ。ならば目を瞑った方が平穏無事に過ごせよう」
「…………混乱を招くような秘密があるという事実だけで平穏無事とは言えません」
「夫婦間であっても何もかも曝け出せば良いと云うものでもない。――お前さん結婚は?」
 タインは口をへの字に曲げた。察した老人は錠剤ケースを仕舞いながら溜息を吐く。
「儂が退職するときに結婚したいと言っとった恋人とは別れたのか。……いやはや……」
 そこからの猛攻が長かった。年寄りの話が長いのはどこも共通だが、これに嘆きや苦言が加わるとパン生地のように膨れ上がるから困る。タインは苦笑いで耐えきった。





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