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 世界王西殿第八秘書官は自身の昼食用にと一カ月分の栄養剤を用意している。カレンダー型に組んだアクリルボックスに一ケースごと差し込み、朝その日の分を持って行く。そこに残っていた場合は忘れて行ったかそもそも帰ってこなかったということなのでフィーアスが持ち出すことになっていた。
 設置に当たって、キリアンは子供たちを集め実演会を行った。ケースを開けさせると「これは注射です」と説明し、目の前で打って見せる。スタンプ式だから痛みは殆どない筈だが、大人だから痛みを我慢している風を演出し、出てもいない汗を拭う。
 ワゼスリータはそんな茶番に呆れ顔だったが、下二人には抜群に効いた。
 お陰でキッチンカウンターの隅に鎮座するアクリルボックスには絶対に手を伸ばさない。
 昼、今日の分を届けにフィーアスが対策本部を訪れると、キリアンはオフィスチェアに凭れぼんやりと空間ディスプレイを眺めている。まるでテレビでも見ているようだ。
 そんな暇は無い筈だがと思いながら声を掛けると、ちらりとこちらを振り仰いだだけで彼は直ぐにディスプレイに視線を戻す。
 何をそんなに熱心にと思い見てみれば六二版くらいの中規模表示画面の中に映っているのは人の群れだ。一人がやっと通れるゲートがずらりと十は並んでおり、その傍らには青い制服姿の男たちが出てきた人に紙を渡している。
 画面はその様子を右斜め上から映しており、ゲートの奥には順番待ちの長蛇の列。
「先程連絡が来たんですが、正式に宣戦布告宣言がありました」
 キリアンの口からぽろりと零れたその言葉をフィーアスは聞き逃しかけた。驚いて夫の秘書官の顔を見れば、彼は腕を組んでつまらなそうにしている。
「ロウフォロア政府が大慌てで取り成したんですが公国側は聞き耳持たずで、国境沿いに大砲を並べ始めましてね」
「…………」
 フィクションの中でしか聞かない単語に頭が追い付かない。フィーアスは馬鹿みたいにぽかんと口を開けた。
「この映像はジオ近隣の住人や観光客の城内避難の受け入れ作業の様子です。一分遅れくらいかな?」
 厳密にはリアルタイムではないということのようだ。フィーアスがようやく絞り出したのは「え?」という一言だ。間抜けである。
 それをどう取ったのか、キリアンはようやくまともにこちらを見て大丈夫ですよと笑う。
「避難民の受け入れは中層下段までで済みますし、移動制限もかけてます。何よりこうやって大々的に民間人を収容することで公国側はジオの直接攻撃が難しくなりました。月陰城の正門の様子を全マスコミに開示してありますから、中には無関係な民間人が大量にいると世論は認識している訳です。そこに大砲をぶち込むなんてことは、面目大事の公国には出来ません」
 キリアンは出前が来たくらいの呑気さでフィーアスの掌から掠め取った栄養剤を左腕に打っている。
「た、大変じゃないですか!」
 フィーアスの大声に、昼に出られず残っていた職員たちが振り返る。
 実際、ジオ内部ではいつ開戦してもおかしくないと言ってかなり慌ただしい様子だった。ところが
「まあ、大変は大変ですよ。だからフィーアスさん、前にエーデが言っていたこと、最悪の事態になった時は正式に打診することになりますので宜しくお願いします」
「はい。……ってそうではなく!」
 ジオとしては世界王の存命が何よりの優先事項だ。
 開戦し、縦しんば月陰城が堕ちるような事態になった時、世界王と子供たちをロブリー家に避難させてほしいとエーデに言われていたのだ。
「ルシータさんが敵方に行ってるんですよね……?」
「ええ。護身対策は色々取っています。エテルナが同行しているのもそのためですよ」
 この温度差は何だろう。
 つまり戦争が始まってしまったということなのに。





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あきゅろす。
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