205 「お前それ食うのか食わないのかどっちなんだ」 すぐ側から声を掛けられコルドは我に返る。立食パーティー会場の席で取り分けフォークに刺したはずのカプレーゼが皿の上に落ちていた。 「あ……」 コルドが改めてトマトを口に入れると、マイデルは両手に持っていたワイングラスの片方を差し出した。 「まだ飲んでないだろう?」 「あ、いや、今日は……」 「まあ、私のお酒が飲めないの?」 やんわりと拒絶を示したコルドは、マイデルの背中からひょこりと現れたヴァルセイアに目を丸くする。白と薄紅色のイブニングドレス姿の新婦はコルドがグラスを受け取ったのを見て満足気に微笑んだ。 「一人か? 新郎はどうしたんだ」 返答の代わりかヴァルセイアの視線の先を振り返ると、それらしき人物が客たちに取り囲まれていた。客と言っても神を除いた楓相院や内閣官房府の他は各省庁の長官と元老院、夫婦の近しい親族である。 結婚の事実自体を公表せず情報統制を図った甲斐もありマスコミも全く入っていない。内々の式とお披露目と聞いていたが、「内々」にしては規模が大きいようだ。 「随分お疲れのところ、私事にご足労頂いて申し訳ないわ。加えて貴方には面倒事の処理も任せてしまっているし」 「なんの」 本当はこの後庁舎に戻って仕事をするつもりでいたのだが、コルドは雰囲気に呑まれてグラスを傾けた。隣ではマイデルがボーイにお代わりを貰っている。 仕事柄普段かっちりとした恰好をしているヴァルセイアだが、流石にこの時ばかりは誰よりも華やかだ。首には小さなダイヤが輝き、緩やかに結い上げらえた髪にはドレスと同じ色の花飾りが施され、髪自体もきらきらと光っている。 普段とは違う華やかな化粧に彩られた顔は幸せの色に満ちて――はいなかった。目が笑っていない、完全に仕事モードだ。 挨拶回りに来たわけではないらしい。ヴァルセイアは声を潜めた。 「実は、外務庁を省へ格上げしようという声が一部で上がっているの」 内部事情を正確に理解しているコルドは思わず噴き出した。声に嘲笑が混じるのを抑えられない。 「聞いたかシルヴィオ。要求を通すには官房府の職員を連れて来てその必要性を身に沁みさせればいいらしい」 ヴァルセイア自身呆れ返っているらしく「話だけよ」と釘を刺す声にも力がない。 「私だってその必要性は理解するけど」 水でも飲むようにグラスを空けたヴァルセイアは通りかかったボーイにシャンパンを貰ってまた飲み干した。 この披露宴の最後に新郎新婦からの挨拶がある筈だが、こんな飲み方をして大丈夫なのか。心配しながら「分かった」とコルドは頷く。 「誰がそのカードをちらつかせても相手にしなければいいんだな」 「悪いわね」 ヴァルセイアはコルドの肩を叩いて客の中に紛れていく。華奢なヒールの足元が些か覚束ない。本当に大丈夫だろうか。 「……幸せいっぱいには程遠いな」 これまで黙々と口を動かしていたマイデルが既に紛れた背中を視線で追う。緩やかに蛇行していた足取りと相まって遠ざかる背中は儚げだった。 不安は大きいだろう。 結婚となるとついて回るのが「子供」だ。悠々自適な独身生活時代の「結婚はまだか」が「子供はまだか」にすり替わる。ましてヴァルセイアのような要職に就く女性にとって、余人からのこの声はきつい。 いざ子供が出来ると仕事から身を引くことを勧められてしまうのだから。 幼い娘を抱えるマイデルの妻が正にその状態だ。 ヴァルセイアの進退については、現在世界王秘書官を抱える外務庁以外の宮殿のあちこちで憶測が飛び交っているのを知っているのでコルドも直ぐに察した。 このヴァルセイアの結婚も外務庁の昇格話も元を辿れば全て元老院達の保身の産物だというのだから嫌になる。コルドは腕時計を確認した。 [*前へ][次へ#] [戻る] |