13 不在と聞いてアリシュアは靴擦れした足首に絆創膏を貼る手を止めた。場所は中庭、例によって遅い昼食の後である。 陽にあたりながらベンチに座って軽食を取っていたフィーアスを見つけて、急いでやってきたのだ。 知る限りの次元口を検査しても目当てのものが見つからなかった今となっては、もう権力に頼るしかない。アリシュアとしては大いに不本意極まりないのだが、寄生虫を徘徊させるくらいなら毒をもって制した方が幾らかマシだ。 それに毒の方は条件次第では話の分かる男である。背に腹は変えられなかった。 「……いつ頃戻るとか……」 フィーアスは悄然としながら首を振る。そう、と答えアリシュアはストッキングを穿いた。 「急用なの?」 「うん……まあ……」 侵入出経路が分らない以上、早めに取り押さえたい。 「側近の人が代行してるから、外務庁から要請すればお城の方は動いてくれると思うけど……」 「え?」 フィーアスを見れば、彼女は不思議そうにしている。そこでようやくアリシュアは自分の失態を悟った。 フィーアスからすれば外務庁の友人と夫との間には何の関連性も無いのだ。アリシュアは世界王との面談に同席できるような官位ではないし、自宅に招かれて顔を合わせたことは一度足りとて無い。それが個人的に会いたいなど言えば一体何事かと訝しまれてしまう。癒着と取られても言い逃れは出来ない。 「……ええと……、側近って何ていう人なの?」 外務庁として問題を上げる為にはアリシュアが上に報告するよりない。しかしそうなると何故分ったのかという事になってしまうだろう。それでは非常に困るのだ。 「ヴィンセント・クレイという人よ」 フィーアスの目に僅かに不審の色が見える。分っていても、困惑の表情を隠せなかった。 落胆した。そんな男、アリシュアは知らない。 上に相談してみるわと取り繕って、買ったばかりのヒールを履く。フィーアスの視線が背中に突き刺さるのを感じながらアリシュアは中庭を後にした。 回廊を渡っていると、進行方向の廊下を横切る女の姿を発見した。今日の格好は結い上げた金髪に白のツーピース。化粧の濃いその顔が、先日花瓶に襲われた人物と同じだと判る者はまず居ないだろう。 あまり見ては気付かれる。アリシュアは視線を真新しいつま先に落とした。 昨夜着ていたものは上から下まで全て処分した。あの路地でどんな痕跡が付けられているか分ったものではないからだ。張り倒した魔術師の実力が飛び抜けているのはアリシュアも良く知っていた。 女が春宮の方へ行くのを見て、それまで尾行していた足がピタリと止まる。春宮は元老院のサロンだ。アリシュアの身分では入れない。 元老院……。アリシュアの心がすっと冷えた。 他なら兎も角、この先の何を探ろうが暴こうがアリシュアの実害になる事はまず無い。元老院が剥かれようが殺されようが、正直どうでも良い事だ。女がここに居る限りは、今の生活が脅かされる心配も無い。 ならば、次元口も世界王も係わる必要は無いではないか。 アリシュアは無言のまま踵を返す。何か起きたときは、厚生労働省長官にでも情報をリークして議堂の管理を怠った世界王を糾弾すればいい。 昼休み終了を知らせるチャイムが鳴った。 その日も就業時間で仕事を終わらせたアリシュアは、内線を使ってフィーアスに電話を入れた。 「昼間言ったことは全部忘れて」 「え」 「心配かけてごめんね」 背後でマイデルのものらしい怒鳴り声が聞こえる。フィーアスの困惑が伝わってくるが、忘れてと再び言って通話を切った。 最悪の場合、あの女は始末してしまえばいい。昨夜奪った銃一丁では何とも心許なかったが、アリシュアはそう腹を決めた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |