172 朝、対策本部に出勤してきた者は一様に驚いた。昨日まで島だったゴルデワ人の席が砦になっていたからだ。更に服装まで場違いな程カジュアルになっておりその明らかな変化に戸惑うと同時に身構えた。 けれど本人はそんな周囲の緊張も意に介さず物凄い速度でキーボードを叩く。時折覆いかぶさるように空間スクリーンが表示されては消えてを繰り返していた。 本部長席からその様子を見ていたコルドは早くも積み上がりつつある書類の山を一瞥し、避けておいた一部を抽斗から取り出した。それはキリアンが出勤したコルドに渡してきた連絡報告書だ。 たった三枚の紙だった。 「…………」 「何か問題でも?」 難しい顔をしていたのを見咎めて副本部長が声を掛けてくる。何でもないと返し書類を抽斗に戻したが、彼はコルドを開放するつもりはなかったらしくキリアンの変貌を頻りに訝しっている。朝からずっとこれだ。「何か謀略を企てていますよ」などと子供のようことを囁いていた。 謀略とは思はないがコルドも一応注意を向けているとどうやら電話が掛かってきたらしい。それでも仕事の手は止めず端末片手に書類を捲っていた。 しかし程なくしてその手も止まり、表情も硬くなる。何を話しているのか聞きたくても生憎コルドとキリアンとの間は遠い。更に部下の席からの雑音や会話が彼の声をかき消してしまう。 それでも断片的ながら辛うじて届いたのは、キリアンがゴルデワ語で喋っていたからだ。 「……オウ、エンセイの順で死んでいますね。これは当時の生存……調べれば……それを……ない。ギタイの首を刎ねて串刺しに……ずこれが……リモート……」 良くは分からないが不穏な話をしているのは分かった。相手はジオの人間か。暫く見ていると目が合うが彼は慌てた様子もなく悠然と視線を外す。空間ディスプレイを操作しているようだ。 そんなキリアンが何かに驚いたようにびくりと体を震わせた。そして 「…………全滅……?」 その声はやけにはっきりと聞こえた。世界王の秘書官は厳しい表情で電話の声に耳を傾けている。右手が動いたと思うとキリアンの顔の前に空間ディスプレイが表示されコルドの視線を遮った。 空間ディスプレイの裏面はゆらゆらと揺れる水面のように周囲の光を乱反射している。 「本部長」 何度も呼ばれていたらしくコルドは部下に詫びた。 間を遮っていた空間ディスプレイが閉じられた時には既に彼は電話を終えていた。今度は視線が合わない。何事も無かったように仕事を再開していたが暫くするとガタン! という大きな音を立ててキリアンが立ち上がった。 皆ゴルデワ人の挙動にギョッとする。 「……ああすいません、何でもないです。あはははは」 座りなおしたキリアンの顔色が先程よりも青くなっているのをコルドは見逃さなかった。 昼休憩を告げるチャイムが鳴り対策本部でも人が欠けていく中、世界王秘書官は立ち上がる気配も見せない。 流石に空腹を感じてコルドが立ち上がった時だ。机の間を縫って砦に近づく人物が居た。 「すいません遅くなっちゃって」 フィーアスだった。彼女はキリアンに何か差し出すと「こっちにしませんか?」と提げていた紙袋を掲げる。 「わぁ、美味しそうですねぇ」 キリアンは中を覗き込んで笑うが結局固辞した。端末や書類に隠れて見えないが、受け取った物を開けているようだ。 気になったので近づいて声を掛けると、彼は丁度袖を捲り上げて注射を打とうとしていた。 「……何をしているんです」 きょとんとするキリアンに代わりフィーアスが栄養剤だと説明してくれた。その間にも彼は軽快にアンプルを二本開ける。声も出ないコルドにフィーアスが先程の袋を示した。 「一緒にどうです?」 サンドイッチやホットドックが二食分入っていた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |