162 コルドがその知らせを聞いたのは事件から三十四日経った四十五日のことだった。 対策本部長席まで書類を提出しに来た秘書官が囁いたのだ。 「昨晩、紅隆が目を覚ましました」 え、と顔を上げるコルドに対し、秘書官は内密にと呟いて席に戻る。コルドの視線が追うが彼の態度は平生通りだ。 暫く見ていたが彼はこちらを見ようともしない。 仕方なく、コルドも手を動かした。すると先程秘書官が提出して行った書類束の上から三枚目にピンク色の付箋が貼ってある。 そこに書かれた文字の羅列を見た途端、コルドの腔内は一気に干上がった。 コルドは速やかに付箋を外して握り潰すと、その小さな紙片をポケットに突っ込む。どうしました、と副本部長から声を掛けられたが何でもないと言葉を濁した。 それから三時間ほど仕事をしてコルドは初めて立ち上がった。 「済まないが、所用で出てくる。一度戻って来るから」 副本部長が問い返す間も与えず対策本部を後にした。 第一執務局へ鞄を取りに戻ったコルドは相変わらず書類に埋もれた室内を見渡し大まかな進捗状況を確認すると、副長官を自室へ呼ぶ。 「西殿の意識が戻ったそうだ」 タインがドアを閉めたのを確認すると、コルドは部下にそう告げた。 「え」 「今から行ってくる」 コルドはポケットから取り出した紙くずをタインに差し出す。受け取り、くしゃくしゃに丸められたそれを広げたタインもまた絶句した。 『紅隆が陳謝したいと申しております。申し訳ありませんが月陰城へご足労願えないでしょうか?』 「それで、悪いんだがロブリーの家までの地図を描いてくれないか」 「…………ああ、ええ、良いですけど…………フィーアスは…………?」 コルドは首を振る。秘書官に口止めされたと言うと、タインは仕方ないと頷いた。 恐らく、フィーアスはこのことを知らされていないのだ。 西殿が倒れた原因はフィーアスだとあの秘書官もはっきりと明言していたし、視覚映像を観た今、コルドもタインも重々了解済みだ。フィーアス本人も分かっている。 けれど目が覚めたと聞けば会いたい、顔を見たい、話をしたいという欲求が出てくる筈だが、目が覚めたばかりの紅隆ではまだ彼女の気に耐えられないのだろう。 行きたいけれど行ってはいけないというジレンマを抱えさせることになる。今のフィーアスは仕事に没頭するとこで不安を覆い隠している状態だから、彼らも不用意に刺激したくないのだろう。 タインはコピー用紙に簡単な地図を描く。分かりますかと尋ねられ思わずコルドは苦笑した。絵の上手い下手は地図を描くのとはまた違うのだろうが、お世辞にも上手いとは言えなかった。一応住所も書いてもらい、ようやく出発する。 途中有名店でプリンを買い求め、二度道を間違え、コルドは何とかロブリー宅へ辿りついた。 この辺りは高級住宅地なので周囲の家々も随分立派だ。平均的な一般小売住宅の三倍も四倍も広い面積を確保した邸宅が続く。 その中でも群を抜いているのがこのロブリー邸だ。 周囲の住宅と比べても大人と子供ほど違う。コルドも正門が見当たらずやや暫らく車を走らせた。 タインの話ではただでさえ広い作りの上に客室が十部屋あるらしいからその分面積を取るのだろう。 正門の傍らに車を止め、インターホンを鳴らす。大して待つことも無く「はい」と応答があった。 聞こえてくるのが男声であることに一瞬身構えてしまったものの、直ぐに気を取り直して素性を述べた。車は中に駐車するようにとの指示に従い、口を開けた門を潜って道なりに進むと確かに駐車場が見えた。 個人宅に十二台分の駐車スペースを保有するなど他では無いだろう。 アスファルトで整備された駐車場の隅には見覚えのある車がぽつんと止まっている。あの日紅隆が使用していた車だ。 [*前へ][次へ#] [戻る] |